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私の歩んだ道 その6 ムネオ疑惑追及

予算委で「ムネオハウス」を追及

2002年2月13日は、私にとって忘れられない日になりました。衆議院予算委員会で、「ムネオハウス」をはじめてとりあげた日だからです。

この年の予算委員会では、アフガン復興支援会議へのNGO参加問題をめぐる鈴木宗男議員の外務省への一連の介入問題が、最大の焦点になっていました。

しかし、鈴木宗男議員と外務省の間でどのような利権構造がつくられていたか、具体的に追及した質問はありませんでした。

【写真】「日刊スポーツ」02年2月14日付より

私は、党議員団の調査で得た資料をもとに、国後島に日本政府が4億1685万円を拠出してつくった「友好の家」(緊急避難所兼宿泊施設)をとりあげました。

私が「この友好の家は、ムネオハウスと呼ばれている」と紹介すると、予算委員会の与野党席から「ホォーッ」という驚きの声がひろがりました。

なぜ、そう呼ばれているか。「この家は、鈴木ムネオという政治家が造ってくれた」と信じ込んでいるからです。

【写真】質問で掲げた「ムネオハウス」のパネル

私は、もう1枚のパネルを持ち出しました。

小泉総理をはじめ各閣僚も自民党や野党席からも、すべての委員が身を乗り出してパネルを見つめています。

私は「このムネオハウスには何が書かれているか。“鈴木さん、あなたは私たちの友達です”という横断幕が掲げられている」と言ったとたん、爆笑と歓声がどっとあがりました。

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小泉総理も「よく調べている。感心した」

この「ムネオ・ハウス」の工事受注業者は「犬飼工務店」で、社長の犬飼勝氏は「鈴木宗男中標津(なかしべつ)後援会」の会計責任者でした。この後援会幹部から、82万4000円の献金がおこなわれています。

それだけではありません。色丹の診療所の所長は、道議会議員が訪ねたとき、ここは「鈴木宗男診療所と言われている」と、堂々といっているのです。94年に贈られた10人乗りの四輪駆動車は「ムネオ号」と言われています。マイクロバスにも、「鈴木さんは友達です」という横断幕が張られているそうです。

すべて、国民の税金で援助が行われているにもかかわらず、どうして個人の名前がこんなに出てくるのか。援助を私物化しているから、としか言いようがありません。

【写真】閣僚席の小泉総理

鈴木宗男議員の関係者が「北方四島人道支援」の仕事を受注し、受注した企業から鈴木宗男議員に資金が還流する仕組みになっています。そして、この6年間で、鈴木議員に1182万円もの献金が流れているのです。

これはもう国民の税金を食い物にしている、としか言いようがありません。

私は、「ただちに調査し改めるべきだ」と、詰め寄りました。

小泉総理は、「よく調べている。感心しながら聞いていた」「調査すべきだと思う」と答弁せざるをえませんでした。

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「ムネオハウス」追及の質問が大反響

【写真】新聞の報道ぶり

この質問が、思いがけず大反響をよんだのでびっくりしました。テレビ局や新聞、雑誌、ラジオなどマスコミから取材が殺到しました。

新聞やテレビ・ラジオの扱いは、まさに最大級のものでした。新聞は、一般紙にとどまらず、スポーツ新聞まで大きくとりあげました。

メールや電話でも、たくさんの激励をいただきました。ほんとうに洪水のような声援でした。

――「黙っていられないので電話しました。質問は素晴らしかったです。鈴木宗男代議士からバッチを外すまでがんばって欲しい」(中年の女性)。
――「国会中継見ました。“鈴木君は友達です”のパネルで笑い、死ぬかと思いました。今まで知らなかったけど、これからは応援します」。
――「素晴らしい質問でした。委員会室も爆笑でしたね。調査が実に見事でした。妻と茶の間で拍手しました。共産党ここにありの感いっぱいでした。佐々木さんを国会へ送ってよかった。今日は、つくづく思いました」(三重県・50歳・男性)。
――「今まで、政党では共産党は拒絶反応を示していましたがこれからは、佐々木議員を注目して見ていきたいと思います。これからも、頑張ってください」(30歳代)。
――「ここ数日で、すっかり佐々木さんのファンになってしまいました(^-^)。なんといってもそのお声!!! もうハートマークピカピカです(^^;;;; ……これからもその歯切れのよさで そしてその素敵なお声でビシバシ悪の芽にメスを入れてください。期待しております」(福岡市・30代・女性)。

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外務省の「内部文書」が佐々木事務所に届けられる

【写真】流行語大賞の授賞式 外務省の内部文書その1 外務省の内部文書その2

私が、鈴木宗男議員とはじめて直接対決した参考人質疑は、「ムネオハウス」疑惑をとりあげてから1週間後の2月20日におこなわれました。

ここで、メガトン級の衝撃を与える「外務省の内部文書」を暴露することになります。それは、「国後島緊急避難所兼宿泊施設(メモ)」という秘密文書でした。

参考人質問の当日(2月20日)の朝、すでに予算委員会は始まっており、私は第1委員室に出席していました。

ちょうどそのころ、午前9時30分すぎ、衆議院第1議員会館の私の事務所に、「親展」の速達で封書が届けられたのです。差出人は書かれていませんでした。

それを受け取った秘書は、私の机の上にそれを置こうとしました。しかしこの時期に来た差出人のない速達なので「ひょっとしたら内部告発かもしれない」と、直感が働いたのです。

開封すると、そのなかから出てきたものは次の3つでした。

(1)手紙。
(2)「しんぶん赤旗」(2月16日付)のコピー。
(3)内部文書。

手紙には、「鈴木氏が無競争入札にするよう働きかけたことを示す文書を送付します」と書いていました。

「赤旗」の記事は、国後島の「ムネオハウス」と択捉島の「仮設診療所の2件の建設工事が「公募型の競争入札」という形をとっているが、じっさいには1事業者しか入札に参加しない「無競争入札」だ、という報道でした。

そして、いくつかの内部文書があり、その中にあったのが、1999年5月28日の「国後島緊急避難所兼宿泊施設(メモ)」(秘・無期限)という文書です。

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この「資料」は、ホンモノだ!

秘書は、ただちに鈴木ムネオ追及チームのメンバーに連絡をし、党の国会対策委員会にその文書を届けました。国対では、さっそく政策委員長も参加して内容の検討をはじめました。私も、そこに呼び出されてはじめて文書を見ました。

その文書のはじめには、こう書かれていました。――「『国後島緊急避難所兼宿泊施設』の入札公示の内容に関し、鈴木官房副長官を○○が往訪したところ、概要次の通り」。

そして、外務省と鈴木議員のやりとりがこと細かく記載されているのです。これには、ほんとうに驚きました。

とくに重大なのは、鈴木議員が「道開発局基準のBランクで該当企業が200社程度というのは知っている。そもそも200社もいらないだろう。多すぎる。……いっそのこと地域を北海道内ではなく根室管内に限定してどうか」と言っていることです。

この内表は、きわめて重大です。

外務省が、人道支援の「入札公示」という重要な内容について、特定の議員・鈴木宗男議員にわざわざ説明に行っていること自体が異常です。

しかもその結果は、鈴木宗男議員の注文通りになっているのですから。

私は「これは本物だ」と思いました。

なぜなら、それまでの調査でムネオハウスの入札公告を見て、なぜ「根室管内で実績のある業者」と限定をつけたのか、疑問に思っていたからです。この文書によって、その疑問はいっぺんに解けました。「こんな仕掛けがあったのか。すごい文書が手に入った」というのが実感でした。

国対のメンバーとともに検討したうえ、これを参考人質疑で鈴木議員に直接ぶつけることになりました。

しかし時間がありません。質問まで15分しかないのです。
私は、それまで準備していた質問原稿を使わず、「この内部文書だけで勝負しよう」と腹を固め、第1委員室に戻りました。

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「にげちゃいけないよ」と一喝!――どよめく予算委員会室

【写真】文書を示して鈴木議員に質問

質問席に立った私は、鈴木議員に対して「あなたは北方四島人道支援の入札、受注に関して介入したことはありませんか」と聞きました。これにたいして、鈴木議員は「私は、関与したことはありません」と声高に否定しました。これは、想定通りの答えです。

私は「とんでもない。事実と違う答弁だ」と言いながら「ここに外務省の内部資料を持っている」と内部文書を手にかざしました。

その一瞬、鈴木宗男議員の顔が、緊張でこわばりました。ある新聞は「委員会室がどよめいた」(「読売」2月21日付)と書きました。

私は、内部文書に書かれている鈴木議員の発言内容を、具体的に紹介しながら追及しました。

【写真】参考人席の鈴木議員

この内部文書には、入札資格審査の段階で実質的に地元の業者が有利になるよう配慮せよと圧力をかけているようすが、リアルに記録されているのです。

つまり、結果として根室管内の業者である渡辺建設工業と犬飼工務店に落ちるような仕組みをつくっているのです。

この追及に、鈴木議員は答弁に立ち上がれず、顔は青ざめ、指先は小刻みに震えていました。予算委員長に「鈴木参考人、指名しております」と2度も催促されて、ようやく答弁席に立つと「そのようなことはあったようだが、細かいことまで外務省から受けた記憶はない」とのべ、「地元の市長だとか、商工会議所の話なんかと混同されると困る」と開き直りました。

私は、いつもは淡々と質問しているのですが、この答弁を聞いて本当にハラがたってきました。

そこで、思わずこう言ってしまいました。――「だれも市長や商工会議所の話をしているんじゃない。外務省の内部であなたが参加した会議の話をしているんだ」。「逃げちゃいけないよ、あんた!」。

鈴木議員を一喝したこの場面は、テレビで何度も放映されました。

その日の午後、小泉総理に質問する機会がありました。

総理は、「個人のお金で寄付したならともかく」、対外援助の資金で「そのような、いま言われているような形で使われているようだったら、これはよく調査しなきゃいかん」と答えざるをえませんでした。

私の議員会館の事務所では、その日から電話が鳴りっぱなしで、マスコミの取材への対応におわれ、多くの方からの激励を受けました。

21日も、朝6時に起きて、テレビ朝日へのナマ出演があり、さらにVTR取材も相次ぐという状況でした。連日4〜5時間の睡眠時間が続きました。

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議員、秘書、党組織が一丸となって

このような質問は、決して議員ひとりでできるものではありません。

日本共産党の国会議員は、議員団、秘書・スタッフの強力なメンバーによって支えられており、これをさらに地方党組織がバックアップしたり、地方議員と連携して追及するという組織的な対応をしています。これは、他党にない特徴です。

ムネオ追及では、日本共産党の北海道委員会、釧根地区委員会、釧路市議団などとの緊密な連携が大きな力になりました。

党の国会議員団のなかでは、鈴木宗男疑惑追及チームがつくられ、秘書・スタッフの皆さんが、共同して調査・分析をおこなってきました。

【写真】『ムネオ疑惑追及の300日』の本

たとえば、自民党などの政治家の資金は、資金管理団体、代表を務める政党支部、後援会・関連政治団体などに管理されています。その収支報告書と選挙の収支報告書を調べなければなりません。それらのデータと集めるだけでも大変です。しかも、この膨大な資料をチェックし分析しなければなりません。

党の国会議員は、チームを中心に10数人の秘書が何日もかけて丹念にチェック集計していくという作業をおこないました。これは、他党には決してマネのできない作業でした。民主党のある議員が「自分もやってみたが、とてもできなかった」と言い、日本共産党の組織的追及の成果に舌を巻いていました。

この間の秘書・スタッフと議員団の奮闘ぶりをドキュメンタリータッチでえがいた『ムネオ疑惑追及300日』(日本共産党国会議員団鈴木宗男疑惑追及チーム著、新日本出版社)は、その年の11月に出版されました。

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私も「マンガ」になりました!

【写真】やくみつるさんの漫画

びっくりしたのは、私の質問がマンガになったことです。

2月25日の「夕刊フジ」のやくみつるさんの「嘆きの週アタマ」。そこでは、こんなふうに描かれています。

──ムネオ疑惑追及で一躍“全国区”になった佐々木憲昭議員。「地元ではあろうことか『ムネオハウス』と呼ばれております」(佐々木)。
──「さぁー 皆さま こちらが今国会で話題の佐々木議員のご自宅でございまぁす」。「おーっ」パシャ、パシャ(カメラの音)「意外と質素ねぇ」。
──「地元ではもちろん、親しみと尊敬の念を込めて『ササキハウス』と呼ばれておりま〜す!」
──「誰だ、勝手に横断幕を!」(佐々木)。「佐々木さん、あなたは私たちの先生です」(横断幕)。

これを見て、私は思わず腹をかかえて笑ってしまいました。

やくみつるさんは、「週刊ポスト」のマンガ、「ビッグコミック」のマンガなどで取り上げていただきました。また、「モーニング」のいとうさんのマンガにも取り上げられました。

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「マル秘」でないものを「マル秘」にしたことこそ問題

外務省は、「マル秘」文書が表に出たことを問題にしているむきがあります。これは、本末転倒といわなければなりません。

第1。この文書は外交にかかわる機密文書でも何でもありません。いわば、「汚職の記録」です。それを、なぜ「秘」にしたのか。これ自体、徹底的に責任を問わなければなりません。

第2。わざわざ「秘 無期限」という扱いにしたのは“汚職の記録を永遠にヤミに葬り去ろうとした”黒い意図のあらわれです。こんなことは、絶対に許すことはできません。

第3。このような悪事を記録した文書を明らかにすることは、公務員であれ誰であれ正当な行為といわなければなりません。逆に、見て見ぬふりをすれば、悪事を隠蔽する共犯者になってしまうでしょう。

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鈴木宗男議員の証人喚問――マスコミの取材攻勢

3月11日には、鈴木宗男議員に対する証人喚問がおこなわれることになりました。

私も尋問をおこないました。

たった10分という短い時間でしたが、私は、鈴木氏のムネオハウス入札関与と受注企業からの献金問題をとりあげました。

この日、テレビなどマスコミに出た回数はピークに達しました。

<12:00〜12:45 TBS「ベストタイム」> 
<13:55〜15:50 日本テレビ「ザ・ワイド」>
<17:00〜17:15 テレビ東京「ニュースアイ」>
<17:15〜17:45 日本テレビ「ニュース・プラスワン」>  
<17:45〜18:00 TBS「証人喚問特番」>
<18:30〜20:30 外国人特派員協会で講演>
<21:25〜21:55 JーWAVE「JAM THE WORLD」>
──ラジオ番組ですが、ここにもテレビ・カメラが入りました。
<22:15〜22:30 テレビ朝日「エクスプレス」の収録>
<23:00〜24:00 TBS「ニュース23」>

【写真】テレビ出演の様子 【写真】連日のテレビ出演

このようにして、私が出たテレビの生番組は2001年2月から6月頃までで約50回になりました。この他、録画収録も数十回にのぼります。

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人として許せないことがある

鈴木議員は、人を人と思わない人権感覚の持ち主であり、驚くような傍若無人の振る舞いをしていることも、わかってきました。

たとえば、次のようなことです。

★議員の前で外務省職員に土下座をさせた
逮捕された外務省の佐藤優前主任分析官が、鈴木宗男議員に叱責された外務省職員の前で「謝るときはこうするのだ」と土下座をしてみせ、職員に土下座を強要していたというのです。

★外務省職員に暴力をふるった
国後島に桜の木を植樹することをめぐってロシア側と外務省のあいだでトラブルが発生したさい、帰りの船の中で鈴木宗男議員が外務省職員に暴力を振るっていたことも明らかになっています。私は、予算委員会で医者の診断書と外務省の記録を受け取って、驚きました。

★「俺が取ってきたカネだ」と詫び状を書かせた
イスラエルの研究所長を1999年に日本に招いた際、国際機関「支援委員会」から費用を捻出(ねんしゅつ)できなかったことを知った鈴木宗男議員は、「おれがとってきた金で呼ぼうとしたのに、なぜ出せないんだ」という発言を繰り返し、外務省職員を叱責したうえ、詫び状まで書かせていたというのです。税金を勝手に使って当たり前という態度をとっていたことを示すものです。
★政治資金で青山の鈴木豪邸を建てた
鈴木宗男議員は、私設秘書の佐藤玲子容疑者から直接、資金管理団体から自宅購入費に流用された3600万円が、手渡されていたことが分かりました。あの「青山の豪邸」は、このようにして建てられたものだったのです。これは、政治資金の私物化そのものです。

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鈴木議員秘書の逮捕、そして本人の逮捕、辞職勧告決議の可決

2002年4月30日、東京地検は、ムネオハウスの不正入札で鈴木宗男の第1秘書である宮野明、受注企業の渡辺建設工業、犬飼工務店の社長ら7人を偽計業務妨害容疑で逮捕に踏切りました。ついにムネオハウスの入札をめぐって、ついに逮捕者が出たのです。

【写真】逮捕許諾を決めた本会議

6月17日、東京地検特捜部は、東京地裁に鈴木宗男の逮捕状を請求、その要請を受けた小泉内閣は、衆議院に逮捕許諾の請求をおこないました。

そして、19日午後1時から開かれた衆院本会議で、この逮捕許諾請求を全会派一致で採決したのです。その採択したのをうけて、東京地検は斡旋収賄容疑で鈴木議員を逮捕したのです。

私が、2月13日の予算委員会で、はじめて鈴木議員の「ムネオハウス」疑惑を取り上げてから4カ月、ついに本人逮捕という事態となり、たいへん大きな節目を迎えました。

【写真】日テレ「ニュースプラス1」6月19日放送分

鈴木議員の直接の逮捕容疑は、国有林を不当伐採したために林野庁の事業から排除されていた「やまりん」という会社から、林野庁の仕事を確保するためのあっせんを受け、その見返りとして500万円を受け取っていたあっせん収賄容疑でした。

その後、受託収賄罪、政治資金規正法違反、偽証による議院証言法違反などの容疑事実がつぎつぎと加わっていきました。

7月10日には、検察当局が、鈴木宗男議員と政策秘書の多田淳容疑者を「やまりん」をめぐるあっせん収賄罪で起訴しました。

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ムネオ・マネーは政界にどう流れたのか

逮捕された鈴木宗男容疑者は、集めたお金をどのように使っていたのでしょうか。その多くを、自民党や公明党の議員にばらまいていました。

鈴木議員の疑惑がいかに深いかを示すものとして、総額3億3000万円(3年間)のウラ金の存在があります。この汚れたお金を政界に流して自分の力を強めようとしていたのです。鈴木議員は、オモテの政治資金約12億円(3年間)とあわせて、これらのウラ金もばらまいていたということになります。

【写真】鈴木宗男容疑者

★自民・公明の58人に渡る
その金の大半は、橋本派を中心とする自民党そのものに渡り、党全体がまるごと汚染されていたと言わなければなりません。

渡った先は、鈴木議員と親しい議員でつくっていた「ムネムネ会」を含む自民党、公明党あわせて58人の議員(落選者も含む)に渡っていたのです。

58人のリスト(※日本共産党中央委員会のページ:別ウインドウでひらきます)

日本共産党がこの点を指摘すると、公明党は大慌てでさっそく「公明新聞」で「中傷だ」などと弁解しました。

ところが、その「反論」がまったく成り立っていないのです。冬柴幹事長は、公明党の遠藤議員が宗男議員から50万円を受け取っていたという事実を認めたうえで、あれこれと弁明しているのですから。「語るに落ちた」とは、まさにこのことです。

だいたいムネオマネーというのは、国民の税金を食い物にしてつくったお金です。このなかにはワイロも、ヤミ献金もまじっているのです。そのおこぼれにあずかって、反省すらせず「中傷だ」などと開き直るというのは、いったいどういうことでしょうか。

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「ムネオハウス」が流行語大賞のトップテンに入賞

【写真】流行語大賞の授賞式

世相を表した言葉を表彰する2002年の「日本新語・流行語大賞」(自由国民社主催)が発表され、「ムネオハウス」もトップテンに入り、受賞しました。

流行語大賞は、アゴヒゲアザラシの「タマちゃん」と、サッカーのワールドカップでカメルーンのキャンプ地となった「W杯・中津江村」でした。

また、特別賞を受賞したのは、大リーグ入りを目指す松井秀喜選手でした。

ムネオハウスについて、司会者が「空疎なだらだらした国会の審議にうんざりしまくっている有権者に対して、なんとか『証人喚問』実現の見せ場をつくった衆院議員・佐々木憲昭さん」と紹介しました。

【写真】「ムネオ・ハウス」受賞の楯

私は「名付け親が塀の中にいて、私が受賞していいのか複雑な気分」と切り出し、「口利き疑惑がはびこり、いろんな族議員がばっこしている。政官業癒着の構造にメスを入れ、よどんだ永田町にカツを入れるつもりで受賞したい」とあいさつしました。

2002年は、私にとって「ムネオハウス」にはじまり「ムネオハウス」に終わるという忙しい1年になりました。

しかし、「ムネオハウス」疑惑をとりあげたときは、これほど大きな問題になるとはまったく想像していませんでした。事態の展開は、自分でもびっくりするようなものでしたが、私にとって生涯忘れられない体験となりました。

2003年以降の「歩み」は、「奮戦記」などをご覧下さい。

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