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私の歩んだ道 その3 当選〜議員

東海ブロックから衆議院へ初当選(1996年10月)

【写真】「東海ブロックニュース」

私は、新しい選挙制度のもとで、瀬古由起子さんや平賀高成さんとともに、東海ブロック(静岡、愛知、岐阜、三重)から立候補することになりました。今度は、日本共産党と書いていただく比例代表選挙の候補者です。

東海ブロックというと、東は神奈川県に接し、西は奈良や和歌山に接するという広大な地域です。ここでどのような活動をするか、日本共産党のブロック選対と大いに議論し実践するなかで作りあげた方式が、「シンポジウム」活動でした。

地域の党組織が、その地域で焦点になっているテーマを設定し、私も参加して、その問題にたいする党の政策・見解を議論して明確にするとともに、その問題で一流の専門家をパネリストに招いてシンポジウムを開くという活動は、大変大きな反響を呼びました。たとえば、農業、教育、介護、医療、地場産業、観光、まちづくり、薬害問題、リストラ・雇用、鉄道の安全、、コンビナート防災、ゴミ・環境問題など、あらゆる問題をとりあげてきました。私たち候補者が直接かかわったシンポジウムは、総選挙直前まで、あわせて100回を超えたのではないでしょうか。

このような活動もあって、1996年10月の総選挙では、東海ブロックは私を含め3名の当選者を出すことができました。最後の当選者(平賀さん)が出たのは、夜中の1時過ぎ。天を突くような大きな“万歳!”の声、そして笑いと涙……。じつに感動的でした。私は、この期待にこたえて全力をあげる決意をあらためて固めました。

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初質問は夜中の10時。三塚大蔵大臣の公約違反追及

【写真】初当選したときの「赤旗」報道

私は、大蔵委員会と決算委員会に所属することになりました。

初めての質問は1997年1月29日、大蔵委員会でした。ところが、質問がはじまった時間は、なんと夜の10時。「国会の質疑は、こんな夜中までやっているのか。夜も昼もないところだなあ」というのが第一印象。9兆円負担増と消費税問題をとりあげました。

相手は三塚大蔵大臣でしたので、本人の公約違反もとりあげました。選挙のときの新聞のアンケートに対する三塚さんの回答が、「消費税増税は延期」というものと、「5%を推進」というものがあるのです。まったく違う二つの公約の矛盾はどうしても説明できない。そこを突いたら、大臣はかなり困っていました。

これを手始めに、国会質問は経済問題を中心に多岐に及ぶことになりました。

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「金融国会」で“怒りの憲昭”と言われて

なかでも、めちゃくちゃ忙しかったのは、98年夏から秋にかけての「金融国会」(143国会)でした。

もともと私は、「穏やかな性格」だと思っていたのです。しかしこのころから、私はどうも「怒りっぽくなった」かもしれません。NHKの国会中継をみた支持者から、「憲昭さんって、質問で怒るんだね」と言われました。

銀行支援のために、国民の血税を60兆円も投入するという、とんでもない法律が審議された金融問題特別委員会(98年8月〜10月)。私は、長銀と住友信託の合併構想について、「なぜ国民の税金を投入するのか」と宮沢大蔵大臣にただしました。宮沢さんは「業界のことは業界で持てと言うのは護送船団の思想に似ている」などと、的はずれな反論をしてきました。

そこで私は、間髪を入れず「銀行に税金を投入することこそ、護送船団ではないか」と大声で一喝しました。宮沢大蔵大臣はぐっとつまって、答えることができませんでした。このとき以来、「怒りの憲昭」というイメージが定着したようです。

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大銀行の「資金回収マニュアル」など不正を暴露

【写真】予算委員会で暴露した東海銀行の「資金回収マニュアル」

それ以来、私は、大銀行の貸し渋りや不正取り引きにたいして、繰り返し徹底的追及をおこない、一定の成果をあげてきました。

たとえば、1999年の2月12日の予算委員会での集中審議で、私は、大銀行の非情な「資金回収マニュアル」を示して、政府の銀行監督責任を追及しました(NHKでも放映)。ここでとりあげたのは、東海、第一勧銀、さくらなどの内部指示文書でした。

とりわけ衝撃的だったのは、東海銀行の内部文書でした。その「マニュアル」には、「支店長の心得」として、次のように書かれていたのです。──「貸出先の業況を注視し、資金繰急迫、業況悪化を認めるときは、直ちに保全強化・回収に全力をあげ、一円たりとも回収ロスを出さないよう最善の努力をしなければならない」。「債権回収に躊躇(ちゅうちょ)してはならない。当社が引けば倒産の引き金を引くかもしれないと心配する前に、当行の回収を最大にすることを優先しなければならない」と、指示していたのです。

私は、質問していながら怒りを押さえきれませんでした。「血も涙もない債権回収で、どれだけ多くの中小企業が泣かされ、つぶされ、自殺に追い込まれてきたか。あなたがたは知っているのか!」──委員会は一瞬シーンとなり、「ひどいな〜」という声が自民党席からあがりました。

テレビ中継をみていた方から、「公的資金を60兆円もつぎ込んでおきながら、すさまじい貸し渋りだ。ひどすぎる」「徹底追及をやってほしい」という声が寄せられました。

この追及の結果、ついに金融監督庁は、99年3月5日付けで第一勧銀と東海銀行に「業務改善命令」を出すことになりました。

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