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憲昭からの発信

憲昭からの発信 − 論文・対談

対談 財界戦略と国民の反撃

 2008年4月18日、佐々木憲昭議員は、特殊法人労連で、堤和馬氏と懇談をしました。
 この対談の内容は、特殊法人労連の機関誌(L.U.P.2008年6月号)に掲載されました。
リンク【国会での活動】特殊法人労連で、堤和馬氏と懇談


対談財界戦略と国民の反撃

   特殊法人労連幹事会学習会(4月18日)で、佐々木憲昭日本共産党衆議院議員と堤和馬氏(ジャーナリスト)の対談が行われました。

<プロフィール>
佐々木 憲昭
(ささき・けんしょう)
 1945年北海道生まれ。小樽商科大学卒、大阪市立大大学院卒。現在、衆議院議員4期。著書に『転換期の日本経済』『どう見る世界と日本経済』『変貌する財界 日本経団連の分析』など。

堤 和馬
(つつみ・かずま)
 1954年生まれ。明治大学政経学部卒。特殊法人労連事務局長を経て、ジャーナリスト。著書に『巨大省庁天下り腐敗白書』『特殊法人解体白書』など。


 佐々木憲昭さんの『変貌する財界 日本経団連の分析』を読んで、日本の産業構造の変化を背景に新たな戦略として中央省庁の再編を中心とした、橋本「行革」・小泉構造改革がどのように準備されてきたのかよく解りました。日本の大企業のグローバル化・多国籍企業化、そういうものを背景にして財界は、新しい国家戦略を90年代半ばに確立し、それに則って「改革」と称するものをやってきました。
 90年代の半ばから特殊法人労連は「民営化・統廃合」とたたかい続けてきました。我々は財界が行政を乗っ取るための最初のターゲットにされた部隊で、今もスクラップの対象という位置にいます。
 たとえば、去年の独立行政法人の「改革」も、内閣官房の行革推進事務局と内閣府の規制改革会議、総務省の政策評価・独立行政法人評価委員会など5つの審議会を使って改革議論が行われた。
 これは90年代の橋本行革までにやっていた、官邸一本槍のやり方とは明らかに違うやり方です。中央省庁再編で内閣府や内閣官房が強大な権限をもち、この機能を最大限に使いながら「改革」を行っています。中央省庁再編への過程・背景を含めて分析されたものは、私の見る限り『変貌する財界 日本経団連の分析』しかないと思います。しかも、大企業のグローバル化・多国籍企業化という経済的な背景を含めて分析されています。
 政治の乗っ取りに注目し、財界が政治の舞台に乗り出してきて政治献金を再開し、自民党と民主党の二大政党化を図っていくということでかなり危機感を持たれて書かれている側面があります。一方、我々の側から見ると行政の乗っ取りがいかに準備されてきたのか、その背景は何だったのかを勉強するのに絶好の本だなと思っています。

「財界プラン2010」

 最初に、1995年の財界戦略についてですが、ちょうど当時、私は公務共闘(国公労連、自治労連等が加盟する公務員労働組合の共闘会議)の行革担当委員をやっていまして、橋本「行革」が始まるときに資料をいろいろ集めていました。橋本行革の基本方針や経団連の『魅力ある日本の創造』、読売新聞の中央省庁再編の提案、相手側を迎え撃たなければならないわけですから。『変貌する財界』にも、当時の経団連が発表した「新日本創造プログラム2010(アクション21)」が紹介されていますね。
 橋本「行革」が始まって中央省庁の再編が決まる直前、1997年10月21日に特殊法人労連は「橋本行革は増税と戦争への道]と題するシンポジウムを開きました。そのときに『魅力ある日本の創造』も取り上げています。そういう意味では非常に先進的な取り組みだったのではないかと思っています。
 さて、1995年はどういう年だったのかというと、「新日本的経営(労働者を長期雇用の基幹職、有期雇用の専門・研究職、雇用柔軟型の一般職の3グループに分類)」の提起が当時の日経連から出され、95年の暮れまでに日本経団連は2010年までのアクションプログラムを発表しました。当時の新聞はあまり大きくは扱っていなくて、「消費税を何段階に分けて上げる」という程度の報道でした。
 特徴的なのは「プログラム2010」の中で、これからやろうとする政策がほとんど網羅されていることです。「生命に直接関わる部分をのぞく経済的な規制の全面撤廃、中央省庁の再編、小さな政府、道州制、首都機能の移転、300自治体、労働力の流動化、教育の自由化、金融の自由化、財投改革、政府系金融機関の縮小、郵政事業の分割民営化、消費税の段階的引き上げ」というような内容です。
 この頃は、いろいろなビジョンが出されていました。小沢一郎氏が93年に『日本改造計画』を書いていますが、その中身は「プログラム2010」に近い。読売新聞も96年5月3日に中央省庁の再編案を新聞紙上に発表し、中央省庁再編に向けた動きを作っていっていた。 PHP研究所でも『国家再編計画』を発表して、橋本「行革」につなげていくわけです。日本の財界が直接ビジョンを作って橋本「行革」を推進した。
 その背景は90年代半ば、日本の大企業が質的な変化を遂げたということですね。そのことについて、最初にお聞きしたいと思います。

財界変化の3つの特徴

佐々木 今、紹介された1996年1月の『魅力ある日本の創造』という豊田章一郎経団連会長がまとめた「豊田ビジョン」ですが、当時の経団連副会長、評議委員会議長、副議長、総合対策委員会委員、広報委員会企面部委員を中心とする関係委員会の検討、並びに各界有識者との意見交換を踏まえ、96年1月16日に理事会の承認を得て発表されたものです。財界の各方面と協議したうえで作り上げた、いわば「財界総意を集約した戦略ビジョン」でした。やはり、90年代半ばが、大きな転換の時期だったと思います。
 その戦略ビジョンの内容は、後で触れるとして、そこに反映された財界の意向がどのようにして形成されたか、その背景をきちんととらえることが大事だと考えています。国会の仲間と『変貌する財界 日本経団連の分析』を書くなかで、経団連を中心とする財界・大企業を36年間に渡って分析していくと、いくつか特徴が浮かびあがりました。
 第1に、規模が非常に巨大化している。総資産、売上高の指標で、経団連の役員企業1社あたりの大きさを比べました。なぜ、1社平均で見たかというと、経団連の役員企業の数が増えているので、1社平均でなければ比較できなかったのです。
 1970年の頃には、1社平均の総資産は6565億円でした。それが、どんどん膨れあがり36年間で約10倍になっている。その間、従業員は2倍に増えただけです。巨大資本の蓄積が非常に大きなテンポで進んでいることが分かります。
 第2の特徴は、多国籍企業化です。国内で労働者を搾取して資本が巨大化し、それを基盤に外国に資本輸出を行って生産拠点を広げてきた。これは総体的な統計ですが、日本の海外進出企業の海外生産比率は95年から2005年の10年間を取りましても、19.7%から31.4%、2割から3割に増えています。 10年で、それくらいの増え方をしているのですね。その中心はアジアで、特に中国に進出している。日本の大企業、財界は規模が巨大化するだけでなく、海外に進出してアジア中心の多国籍企業に成長している。
 外国に出て行って生産を増やしているから、日本からの輸出は減っていると思われがちなのですが、実は日本からの輸出比率はほとんど減っていないのです。むしろ高まっているといってよい。日本の巨大企業は、世界に広がっているだけではなく、日本からの輸出も増やしているのです。そのため、日本型多国籍企業といわれるわけです。これは、アメリカ型とは違う特徴なのです。
 その内容を見ると、海外の生産拠点に対して日本から部品を輸出したり、出来た製品を国内に逆輸入するという企業内取引が増えている。つまり、アジアを中心に多国籍企業化した巨大企業の企業内取り引きが増えているということです。輸出比率が高いというのは、アジアにおいて生産ネットワークが大きく広がり、企業内取引が活発化している反映でもあります。
 3つ目は、アメリカ資本との関係が深まっていることです。日本の巨大企業が発行している株式を誰が握っているか。日本経団連役員企業の発行株式に占める外資比率は、70年のときは2.85パーセント、非常に外資の保有率が少なかった。 80年は2.22パーセント、90年になると8.28パーセントでした。ところが2000年では21.4パーセントになっている。 2005年で29.2パーセント、2006年には29.9パーセントと増えています。日本の大企業が発行した株式の約3割は、外資の保有になっているのです。
 これは非常に大きな変化です。キャノンも半分は外資です。トヨタもかなりの部分は外資です。この変化には、たいへん驚きました。
 まとめて言うと、日本の財界・大企業は急速に巨大化し、アジアを中心に生産拠点を広げ企業内取引を活発化させている。同時に、発行済み株式の3分の1を外資によって握られている。このような特徴を持っていると思います。
 そうなると、日本の大企業は、純粋に国内企業といえるのかという問題が出てきています。国内の生産基盤を重視しなくとも、世界的な活動で利益をあげることができる。しかも、外資によって株式の少なくない部分が握られている。ですから、端的に言って日本の財界団体は、日米巨大資本の共同の利益を追求する性格を持つようになっているのではないか。日本経団連は、そのような特徴を備えた巨大資本の団体であると見たほうがよいのではないか。
 1990年代の半ばというのは、まさにそのような特徴をそなえるようになりつつあった時期、転換点にあたる時期だったと思います。 1996年1月の『魅力ある日本の創造』という豊田章一郎経団連会長がまとめた「豊田ビジョン」は、そのような背景のもとで出されたものでした。経団連が目指す方向を先取りしていたと思います。

「国家改造」へ

 ちょうど日米財界共同の要求を出すということで、1994年から年次改革要望書が始まっています。 95年にアメリカ政府が日本に郵政事業の民営化を含めた案を出し、そのときにちょうど日本の経団連も郵政事業の分割民営化要求を立てているわけです。
 しばらくは橋本首相だったので、それは実現しなかったわけですけれども。要するに、日米共同で日本の国内政治、いろんな問題に対して要求を出していく。それが何で大掛かりな国家を変えていくというところまで、計画されたのか、その辺をどうお考えでしょうか。

佐々木 日米経済関係でいえば、80年代末から90年代初めにかけて、経済摩擦がありました。非常に激しく、自動車、半導体、農業、繊維など、日米の巨大資本問の商品取引をめぐる摩擦が発生した。
 特に自動車摩擦の場合は、決裂寸前まで行くわけです。日本がアメリカの数値目標を受け入れないと拒否するところまで来て、それを乗り切るのにどういう手法を使ったかというと、トヨタの奥田氏がアメリカに飛んで非公式にアメリカ政府と交渉し、「日本の生産拠点をアメリカに移します。アメリカに移せばアメリカの会社です。アメリカの労働者も雇い、造った製品もアメリカで売る。アメリカの企業としてやりますから」と摩擦の解消を図った。それが94年、95年頃です。
 日本の巨大資本の行動パターンとして、それまでは国内の生産拠点で生産し製品を輸出することが中心でしたが、このころから、外国に生産拠点を移すことによって経済摩擦を克服し世界的規模で巨大化していく、という新しい方向に転換していくようになった。それが90年代半ばでした。アメリカの対日要望を列挙する「年次改革要望書」も、94年から出されるようになりました。
 日本の大企業が多国籍企業化したこととも関連して、日本自身がアメリカの意向を酌んで対応するという「協調」型経済外交に、代わったこともあります。2000年10月24日に出されたローラ・タイソンのグループの報告書「米外交問題評議会リポート」は、「日本経済の内的構造が変化しつつある」ことに着目し「民間の役割」を強調したのは、注目すべきことだと思っています。
 それからもう一つ、90年に日本のバブルが崩壊し、非常に深刻な経済不況に陥り、それをどう克服するかということで、支配層も新しい戦略を模索していたことにも目を向けなければなりません。
 内閣官房副長官を務めた石原信雄氏が「言論NPO」というサイトで「安倍政権の100日評価」という論評を書いています。石原氏は、内閣官房副長官を87年から95年の間務めた人で、経済摩擦がピークに達した時期に内閣の要職にいた人です。
 彼は、こう言っています。
 「80年代から90年代に日本経済全体の成長率がピークに達して、行政の面でも守りの時代に入ってきました」。「特にバブル崩壊後は、行政を縮小しなければならない」。「撤退作戦をしなければならない分野が出てきました。各省の分担管理は非常に難しくなります」。「それぞれの役所は、……自分の権限を減らす、撤退するのは、みんな苦手です」。「そのようなときには、行政全体、政治全体をにらんでいる総理大臣が、この省は撤退しろということを言わなければならないし、言えるようにしなければなりません」と。
 そして、「最も切実な要求になってきたのは、バブル崩壊後の橋本内閣以降です。バブル崩壊で日本の経済成長力が落ち、税収も減り、それまでの行政水準を維持できなくなった。どうしても歳出削減、行政の守備範囲の縮小をしなければならず、内閣が前面に出ていかなければならない」。そのためには各省庁のバランスの上に総理大臣が乗っかってバランスをとっているのではダメだ、総理大臣自身がリーダーシップを発揮して省庁そのものの撤退まで指示できるようにならなければならない、そういう強力な権限を持つ必要がある、ということで内閣機能強化の必要性を説いているわけです。
 そして、この「経済財政諮問会議の設置を提案したのは私」だといっているのです。これは経済財政諮問会議をつくったときの意図をよく示していると、私は思いました。
 バブルが崩壊して、日本経済全体が非常にダメージを受けて財政も大変になっている。全体として行政を縮小しなければいけない。そのため、新しい行政改革を行って、財界として使いやすい行政・財政の体制を作っていく、ということを考えた。その司令塔として、経済財政諮問会議を提案し、財界代表が直接その中に入って牛耳っていこうとしたのだと思います。

 95、6年頃、中央省庁再編の案等が出てきた時に、常に言われていたのは「政治主導」でした。
 今、お話を聞いてわかりました。「守りの行政」、広がった行政を撤退させなければいけない、撤退させるためには首相の権限を強化して、首相に撤退を促すことをやらせなければいけない。政治主導は、官僚に対する優位という意味で理解していましたが、経済財政諮問会議ができて構成メンバーを見て、政治主導というのは財界主導だったんだということに思い至りました。
 当時、2000年から01年、中央省庁が再編する時にいろんな議論があったのですけれど、ほとんど論文らしい論文が出ていませんでした。総合雑誌にも中央省庁を再編してどういうものができるのか、どういう政治的意味があるのか、ということを分析したものは、ほとんどありませんでした。その頃、私は『巨大省庁天下り腐敗白書』という本を書いたのですが、出版社から中央省庁再編の意義を書いてほしいと言われました。それで資料を探したのですが、見つかりませんでした。
 田原総一郎氏が司会している「サンデープロジェクト」という番組でも、巨大な省庁ができるのだ、統合するから、という話ばかりだったのです。
 内閣府の経済財政諮問会議が中心的役割を果たすようになるのだけれど、財政の主導権、予算編成の主導権を大蔵省から内閣府に移すのだ、それが最大のポイントだという議論はありました。大蔵省の主計局がやっていることまでできるのかというと、そんなことはできるわけがないので、太棹だけは決めるというやり方になりましたけれど。
 財界が大きく変わったということと、バブルがはじけて行政が縮小しなければいけないという時代に入って、新たな戦略が必要になったということで中央省庁の再編が行われ、新しい体制になったということですね。
 われわれは特殊法人行革が続いて、94年には村山行革があり、97年には橋本行革が始まった時にも行革対象になりました。要するに、露払いの役割を特殊法人はさせられたということになるのだと思います。そういう中でシンポジウムを開いたり、団地に30万枚のビラをまいたりしてたたかってきたわけです。

多国籍企業の陰

佐々木 中央省庁の再編という問題を、行政機構の枠組みから見るだけではなく、日本の経済構造全体の変化の中でとらえることが重要だと思います。ひと言でいえば、「行革」は、多国籍化した財界にとって使い勝手のよい省庁をどうつくるかということから始まったのではないでしょうか。
 まず、日本の巨大企業が多国籍化していくと、どういう事態が国内経済にもたらされるか、この点をしっかり見ておく必要があります。
 一つ目は、国民経済からの離脱です。自動車・電機を中心とする大企業は、アジア諸国に生産拠点を移し、ますます多国籍企業化しています。そのため、アジア諸国の貿易のかなりの部分が、日系企業の企業内取引で占められるようになっています。この傾向は、年々高まっています。たとえば、自動車産業では、日本国内からエンジンなどの高級部品を供給し、賃金の安いアジアは中間財の生産・組み立てをおこない、欧米・日本市場に輸出するという“アジアの生産ネットワーク”を高度につくりあげつつあります。
 彼らは、日本の国内経済を何とかして成り立たせようとか、国民経済を立て直そうという発想が起こらないのが特徴だと思う。つまり、アジアをはじめ、世界的規模で生産・販売して利益を上げればよい、国内で生産する必要はない、という発想です。
 2つ目には、その結果何か起こるかと言う問題です。そうなると、アジアで賃金の安い労働者を使えばいい。日本国内では賃金が高すぎるという「高コスト」論が出てくる。その結果、アジア並みの低賃金と下請け単価もアジア並みでいいという発想が出てくる。日本国内では、大企業の生産・組み立て分野を中心に、下請企業への単価切下げ、労働条件の引き下げ、雇用の削減をすすめ、地域経済の衰退など“産業空洞化”を加速することになります。こうして、国内の労働者・勤労者の生活水準を全体として際限なく押し下げる方向に作用していくのです。
 私の手元にあるのは、下請けに出す「発注票」です。ここに「韓国単価」と書いてある。最初から「単価は韓国並み」という発注をしているのです(驚きの声)。これが、実際に愛知でやられているのです。アジアに進出して多国籍企業化した巨大企業が、日本国内では下請けにこのようなことを公然と要請しているのです。
 3つ目は、国境措置の撤廃要求です。トヨタの工場がマレーシアにあり、その工場から製品を日本の本社へ輸入するのになぜ関税がかかるのか、会社内の取り引きに関税はいらないという発想になってきます。アジアでは、同じ庭の中で自由に取引したらいいじゃないかと、FTA(自由貿易協定:物品の関税、その他の制限的な通商規則などを取り除くことを目的とした2国間以上の国際協定)やEPA(経済連携協定:締約国間の経済取引の円滑化等、連携強化促進協定)が出てくる。財界・大企業がアジアのなかで企業内取引に国境措置という壁はいらない、ヒトもモノもカネも自由に出入りできるようにしたいという発想です。
 結局、それで誰が煽りを食うか。アジアから入ってくる農産物には関税をかけないということになると、日本の農業・農家に悪い影響が出てくる。国境措置を取り払うということは、財界にとって動く自由が確保される反面、農業が潰される。農業だけでなく、たとえば靴などの革製品や労働集約型の製品もアジアから安いものが入ってきて日本の中小零細企業・地場産業が打撃を受けることになります。
 たとえば、今国会に、「日本・ASEAN包括的経済連携協定」が提案されています。これは、いくつかの国と結ばれている2国間協定のうえに、ASEAN諸国全体と包括的に結ぶかたちでつくられる協定です。その特徴は、ひと言でいえば日本と相手国とのあいだの関税を相互になくすだけでなく、特定の鉱工業品について、ASEANに加盟している国々相互の間で日系企業の取引にたいして関税をなくす(累積規程の適用)ということにあります。
 先日、外務省、経済産業省、農水省からレクチャーを受けました。私は、そのとき配布された資料に、次のように書いてあったことに注目しました。−−「現在、多くの日系企業が、日本およびASEAN各国で工程を分ける企業内・工程間分業を実施している。本協定の締結による原産地規則における累積規定が適用される結果、これら日系企業は、幅広い材料調達を行っても、生産する産品を本協定による特恵税率の対象とすることが容易となり、その結果日本およびASEAN域内における物品の流通の拡大が期待できる。これは、日・ASEAN域内全体の生産ネットワークの強化に資するものである」と。
 すでに、日本の自動車・電機を中心とする大企業は、ASEAN諸国に生産拠点を移し多国籍企業化しています。そのため、ASEAN諸国の貿易のかなりの部分が、日系企業の企業内取引で占められるようになっており、この傾向は年々高まっています。私は、『変貌する財界 日本経団連の分析』のなかで、次のように書きました。「日本の貿易に占める巨大企業の比率はきわめて高い水準を保っているが、その内容は次第に海外の現地法人との取り引きに置き換えられている。また、各国に設立された現地法人相互間の取引を増加させている」と。
 今回の協定は、財界の意向を受けて、これまでのように2国間で関税をゼロにするだけでなく、さらにすすんでASEAN域内なら、どこでも日系企業の企業内貿易の関税負担をゼロにできるというものです。これで、日系企業はいっそう大きなメリットを得ることになります。それは、もともと日本経団連やトヨタをはじめとする自動車会社、電機会社などが、以前から要求していたものです。
 その結果、日本国内では、大企業の生産・組み立て分野を中心に、下請企業への単価切下げ、労働条件の引き下げ、雇用の削減などがすすみます。それは、地域経済のいっそうの衰退をもたらす可能性があります。
 もうひとつ、財政問題で言えばアメリカによって公共事業基本計画を押しつけられ、10年間で430兆円(1991〜2000年)、630兆円(1995〜2004年)という莫大な公共投資を実行する。当時は、バブルが崩壊し不況だからしょうがないと言ってやった。そのため、国と地方の財政のなかで、公共事業の比率が異常に高まった。
 だから、バブルが崩壊して不況が深刻化したうえ、財界・大企業の新しい多国籍企業化という戦略があり、さらにアメリカの圧力が加わって財政がゆがめられていった。社会保障や福祉、教育などの予算は、そういう中で抑制・削減される。しかし、こんなことをしたら、必ず国民の中から不満が出てくる。政治は、なかなかそれを抑えられないようになる。そのため、支配層はそれを押さえ込むために上から枠をはめなければならない。枠をはめるには自分たちが直接乗り込んで影響を与えなければいけない。このような発想が強まってくるわけです。
 “国民の言いなりにならず財界の言うことをよく聞く仕組み”を政治・行政でつくりたいという狙いから、2つの手法を使うようになりました。
 第一は、政治に対し直接影響を与える日本経団連の通信簿方式の政治献金です。財界と同じ政策を出して実行するなら、いい点数をあげます。点が高ければ献金をやりましょうというやり方です。その対象は自民党であり、補完的役割を果たす民主党です。第二は、内閣・行政機構それ自体を自分たちの意図どおりに動かす体制を作ることです。それが経済財政諮問会議です。こうして、政治と行政、両方に対し財界が直接支配する体制を作りあげるということが、90年代後半の橋本行革だったと思います。
 結局、橋本行革の中でつくられたのが経済財政諮問会議でしたが、実際に機能したのは小泉内閣になってからです。初代の議長は森義朗氏で、2001年1月から4月までやっていたのですが、作られたものに乗っかっただけで何もやらなかった。小泉内閣になって初めて財界の意向を忠実に実行する手段として、経済財政諮問会議を最大限活用するということになったのです。

金融自由化と意識変化

 小泉純一郎氏が総裁選に出てきた時に、橋本6大改革(行政改革・財政構造改革・経済構造改革・金融システム改革・社会保障改革・教育改革)の話を出してきて、これを私は仕上げるのだ、と言いました。総裁候補の討論でそう話をしているのです。橋本6大改革を受け継ぐというのが小泉構造改革のポイントなのです。
 私かもう一つ重要だと思っていることは、金融ビッグバン(自由化政策)です。自由貿易でアジアから安い商品が流入、労働者も来ていますが、銀行への公的資金の導入が行なわれたあと、98年ごろからでしょうか、たかが3年から4年くらいの間にものすごい勢いで、金融自由化政策(ビッグバン)が取られましたよね。この影響がとても大きいのではないかと思っているのです。佐々木さんはどうお考えですか。

佐々木 1997年にアジア通貨危機があって、日本では北海道拓殖銀行の破綻などが起こり深刻な金融不安が広がった。そのとき、公的資金を大規模に投入する仕組みがつくられると同時に、金融の再編・統合がおこなわれました。それまで都市銀行は21行ほどありました。当時、榊原英資氏が国際金融局長をしていましたが、彼は、金融ビックバン関連法案が出た時に、「今はこれだけの数の銀行がありますが、そのうち4つか5つになる」と答弁していたのが印象的でした。私は当時、そんなことはありえないと思ったのですが、銀行業界では、その後、再編に継ぐ再編がおこなわれ、実際にそうなってしまいました。
 金融ビッグバンを米美並みの規制緩和で進め、それとワンセットで銀行の再編が行われたわけです。その負担と犠牲は、すべて国民に回されました。銀行はリスクをとるのではなく、国民にリスクを押しつけた。その典型は、不良債権処理でした。
 当初、小泉構造改革の中心は不良債権処理だったのです。採算の取れないところへの貸し出しはやめる。貸し渋り・貸しはがしをやって、耐えられない中小企業は潰れても結構です、という政策をすすめていきました。そのため、大量の倒産と失業が出ました。このなかで、力の弱い銀行が潰されたり再編の対象となり、その一方で、公的資金を大規模に投入された巨大銀行は生き残るという弱肉強食の再編がすすめられたのです。

 その後、金融自由化の中で、ホリエもんや村上ファンドのように株を買い占めて会社を乗っ取る様なことが公然と行われるようになって、時代が変わったということを我々でも認識したわけです。こういうことを通じて、外国資本が日本の会社の株式を大量に取得するというようなことが、行われ始めました。
 最近の話でも、特殊法人であった電源開発が民営化されJパワーとなりましたが、イギリスのファンドに20パーセントくらい株を買い占められて、経営への口出し、役員要求や配当を増やせと、いろいろな要求をされています。それでもっと株を買い占めることを許すのか、許さないのかという問題が、政府の審議会で議論され、結論はやらせないとなりました。
 この問題は民営化政策との関係で大変重要な問題です。 JRやNTTなど他にも影響があります。 NTTは2割、国が取得しなければいけないとなっていますが、制限がないところもあります。
 06年12月経済財政諮問会議に資産・債務改革の実行などに関する専門委員会が設置され、政府方針では、10年間で12兆円の売却収入をめざす。内訳は、8.4兆円が民営化株の売却。未利用国有地2.1兆円。宿舎・庁舎で1.5兆円となっています。
 公共性を守るという点から見ても、民営化株を外国企業が買い占めるというのは、重大な問題なのです。そういうことまでが行政改革の中で進行し、それに対してどういう歯止めをかけるのかということも重要な問題になってきている。
 金融自由化の後に、政府の方針や経済財政諮問会議の議論の中でも、「金持ちをねたむな」「儲けて何処が悪い」というのが出てくる。相当、日本人のものの考え方を変えようとしている感じがしました。新自由主義的なものの考え方を国民に浸透させる意味で、金融の自由化政策はすさまじい威力を発揮したのではないかなと思います。
 特殊法人・独立行政法人の中で行革がどういう影響を与えたかというと、道路公団民営化、空港公団の民営化、政府系金融機関の統合民営化等があります。最初に行われたのは96年に科学技術基本法でして、その直後に国の研究者の任期付き採用が行われたのです。
 派遣労働、労働者流動化政策の1つではないかと思います。
 90年代には、中小企業退職金共済に401kの導入が検討されもしました。401kは株で運用して退職金を積み立てていくというやり方ですね。
 露骨に攻撃されているのが、奨学金の金融ローン化政策。ドンドン有利子奨学金を増やし、返還免除制度を廃止して、取立てを強化していく。政府の行革の方針でも、金融分野に分類されている。
 最近の政策で重要なのは、アメリカのサブプライムローンのことではないですが、債権の証券化政策があります。住宅金融公庫、今は住宅金融支援機構になっていますが、そこの債権の証券化か行われ、本体の財投積も証券化することが行われている。また、都市再生機構の賃貸住宅の売却、「混合診療」の導入等も問題です。社会保険診療報酬支払基金に対して、レセプトのオンライン化によって劇的に経費を削減せよとか、いろんなことが出ています。
 証券化ということと、資産の売却をすることが特に最近の動きで、渡辺喜美行革担当大臣が月刊誌で「6000億円以上を売却するめどがついた」と言っている。
 法人が入っているビルや研修施設、保養所など資産全部洗いざらい審議会に出させて、あれを売却せよこれを売却せよという議論をしている。大蔵省の印刷局が独立行政法人になった時はその資産を独立行政法人に移したのです。今回は独立行政法人改革で全部国に戻させるということに道筋をつけようとしている。
 印刷局が持っている非常に重要な土地は大手町の逓信博物館のあの辺の土地が一番大きくて、それなどを売却していくことになっていくのではないかと思います。
 先に財務省が国有資産の売却について議論していました。それについて佐々木さんはどうお考えでしたか。

佐々木 去年、衆議院の財務金融委員会でもかなり議論があって、公務員宿舎を売れという話もそのなかにありました。マスコミも騒いで、国有財産を売り払うのが当たり前のような風潮がつくられました。しかし、本質的に国有地は国民の財産です。民間大企業の利益のために国民の財産を売るということは、一時的に国家財政にプラスになっても、長期的に見ればいいことではない。その観点から、私は何度も質問をしました。
 たとえば「大手町開発」が典型です。国有財産を売るだけではなく、「UR(都市再生機構)」が中心になって、東京都もかんで、容積率を引き上げることとワンセットで売却するのです。タネ地の国有地を「大手町開発」という会社を通して民間に売却し、民間が移転する。そこに空き地ができるので他の民同会社がそこに移転する、というように転がしていくかたちで開発をする。容積率をドンドン引き上げていくと、土地が何倍にも価値を上げていくわけです。
 そういうかたちで大都市の中心部を再開発して、大企業が利益をあげるシステムがつくられていく。大資本本位の再開発の仕掛けです。

 『魅力ある日本の創造』の「プログラム21」の中で実現できなかったのは、道州制はこれからですから、首都機能移転だけではないでしょうか。小泉政権になるちょっと前に、都市再生事業、経済特区を作っていくやり方に変えています。その時は不良債権の処理のためにやるという触れ込みでした。ゼネコンや大手ディベロッパーは、莫大な利益を得て、不良債権が解消されたということでしょうか。
 最後に今、財界の支配が揺らいでいるのではないかと思うのです。ねじれ国会になったこともあって、経済財政諮問会議の民間議員のあせりようを感じます。今まで小泉政権のときに進んでいたことが動かなくなっちゃって、何とかしろとワーワー言っているのですが、うまくいかない。
 最近は、内需拡大をしろ、と盛んに言うようになって、財界関係者も個人の家計にお金が回るようにしなければいけない、中小企業を発展させなければいけないと、言いはじめています。ねじれ国会を作った2007年、去年の参院選からその動きが出ている。
 この数年間行われてきた構造改革の陰が国民に認識されたからではないか。特にワーキングプアを生み出して、不安定雇用の労働者が3分の1、若者では半分、地方が疲弊して、労働分配率が低下している状況を作り出して福祉や医療も切り捨てられてきた。
 国民の怒りが噴出したものではないかと思うのです。こういう中で財界側も策を打っているわけですが、どうしてもジレンマから抜け出せない。現状認識をいろいろしても出されてくる政策が新自由主義的な政策のままなのですから。現在、ターゲットにしているのは第一に医療です。医療を「改革」して混合診療にしていく。農業、教育も俎上に上っている。そうした政策は基本的に大きな矛盾を抱えていると思うのです。どうやれば国民的転換に持っていけるのでしょうか。

民意を力に

佐々木 今の局面をどう捉えるかということですが、橋本改革のもとで財界の意図がストレートに政治と行政に反映させる仕組みを作った。小泉内閣で、それは多くの部分で実行に移された。それは、安倍内閣で完成するところまでいくはずでした。
 経済財政諮問会議をおさえても、官僚の抵抗がある。抵抗のない体制にするためには、財界が望む公務員を作らなければならない。公務員制度改革などによって、行政機構そのものも財界直結に変えていきたい。そう考えたと思います。
 ところが、財界の意図を忠実に反映する体制を仕上げようとした途端、思わぬことが起きました。去年7月の参院選挙で、国民全体の総反撃を受けたからです。一方的に国民がやられっぱなしの感じがあったけれど、やはり国民は、簡単に「ハイそうですか」とはならなかった。まず、様々な負担増にたいする怒りが爆発した。2001年から今まで、つまり小泉・安倍内閣が実施した国民負担は、じつに12兆7023億円にもなっていたのです。1人あたり10万円、4人家族だと40万円です。年間40万円も余計に負担させられて、もう黙っているわけにはいかない。去年7月の参院選挙の時、年金のズサンなやり方に国民の怒りに火がつき、住民税・所得税の増額に怒った。今は、後期高齢者医療制度に怒っている。発火点に達しているから、すぐ火がついちゃうわけです。
 しかもその底辺には、労働者の置かれている深刻な実態があります。若者を中心に、派遣など非正規雇用が急速に増えていることです。非正規雇用は労働者の3分の1に達しており、若者の場合は2分の1です。人をモノ扱いする無権利で過酷な労働を強いられている彼らは、マグマのように怒りを累積させています。最近は、小林多喜二の『蟹工船』などがブームになっているようですが、その背景にある労働法制の規制緩和のもとで引き起こされた構造的な変化をみなければなりません。
 国民の多くは、最初「構造改革」というのは「改革」だと思って黙認していたわけです。しかし、このままでは、とんでもないことになってしまうと思うようになった。負担増に対する怒りが、ものすごく広がっているのが特徴だと思います。
 ガソリン税が1ヶ月だけ下がっただけでも、皆歓迎したわけですよ。こんなに物価が上がっているのに、1つくらい下がってもいいのじゃないか(笑)というのが普通の感覚です。それほど国民の負担増に対する怒りには、根強いものがある。
 根本的に言えば、財界と政府与党がすすめてきた政策に、総反撃が起こったということです。われわれはそこに依拠して、新しい政治を進めるべきだと思います。新自由主義的政策にようやく今、一定の歯止めがかかった状況ではないかと思うのです。
 福田内閣は、小泉さんや安倍さんのときに強行した悪い法律を実行する内閣になっている。だから、福田さんは「俺の責任じゃないのに」(笑)と思っているかもしれませんね。

 公務員や独立行政法人職員等行政の中にいて、散々「行政改革」で攻撃されているように思っているけれど、国民に対する負担増を始めとして、国民全体に矛盾が広がっている。我々は押し込められているように見えているが、怒りを持つ国民がさまざまな行動を起している。行政の外側でいろいろな動きが始まっているのです。大きな波が押し寄せてくる可能性がある。そこのところを見ながら、公共性を守って事業を進めていく、たたかっていくことがすごく大事なのではないかと思います。

今後の財界戦略と国民的転換

 去年の天下り人材バンクには、驚かせられました。公務員制度全体の改革提案がないまま、退職についての部分、天下りだけを人材バンクで一括管理するという提案です。
 最初は、国家公務員法103条の天下り規制の緩和だけだった議論が突然、人材バンクに変わった。これもまた、財界提案でしたね。 2005年に財界は、公務員制度改革についての提言を出していますが、そのなかに、キャリアの一括採用・一括管理、天下り人材バンク構想、今日の内閣府人事庁構想を提言しています。
 そして、これと平行して進められているのが国の地方機関の整理、そして、道州制です。
 国家公務員制度改革基本法は、まさに道州制になった時の「小さな政府」の中枢の構想ですし、公務員を政府と政権与党・財界の戦略を推進する部隊に変えることです。
 佐々木さんは、このような財界戦略についてどのように考えていらっしゃいますか。

佐々木 昨年夏に「東富士アピール2007」と言う文書が、日本経団連の第6回東富士夏季フォーラムで出されました。ここには、財界が何を求めているかが端的に示されています。日付は、2007年7月27日、参議院選挙の投票日の2日前なのです。見てびっくりしたのですが、ひとつは「教育」、ふたつ目は「EPA」、みっつ目は「道州制」となっています。
 道州制がどうしてこんな大きな位置づけなのか。「道州制の導入は、国のありかたから国民の意識や生活までを根本から変革する『究極の構造改革』である」と書いてあります。そして、「それぞれの地域に自立した経済圏を確立し、わが国全体の国際競争力を強化すること、そして、国民が自覚と誇りをもって地域に根ざし生活できる社会をつくりあげることができる」と。
 これを解説した日本経団連会長の御手洗氏の講演が、その意味をあけすけに語っています。「日本経済の構造変化と道州制の展望」と題する講演で、日本経済研究センターで6月19日におこなった講演です。
 それを見ますと、「国・地方を通じた行政のシステムや税・財政のあり方、政治のあり方など、これまでのわが国のあり様を根本から変える『究極の構造改革』であります」と言っています。「国の役割は外交・防衛などの安全保障や司法、国家としての競争力が重視される政策など」−−これは何かというと科学技術政策です。「必要最小限のものに限定して、これまで国が担ってきた内政上の役割の多くを地方に委ね、権限や税財源もそれに見合うよう地方に移譲」と言っています。
 要するに、外交、防衛、司法、科学技術振興の4つは国がやります。そして内政上の役割の多くを、地方にゆだねるということです。そうなると国民のくらしや営業や社会保障やこういうものは道や州の役割になる。国があって、道・州があって、その下に基礎自治体というのがある、その基礎自治体というのはどの程度の数か。現在広域合併があり1800くらいに減っています。この1800になった基礎自治体の数を将来的には300から500程度にする。その上に道州があり、その上に国がある。国は限定したことしかやりません。あとは道・州、基礎自治体がやりなさいという発想になっている。
 では、自治体が本当に成り立つようなやり方を考えているのか。御手洗氏が提起している「道州制憲章7ヶ条」の第1項をみますと、「国に依存せず、地域の個性を活かし、それを磨きあげる心が、日本全体に活力をもたらす」、これが第一のスローガンなんです。
 それはどういうことか。御手洗氏は、「お上に頼り、国に頼ろうとする意識をいつまでも待っているようでは、地域は道州制のもとで真の自立を達成することができません」と言っています。要するに“お上に頼るな、国に頼るな、道州は自分で税収を上げ、自分で社会保障をやり、地域経済を自立させるんだ”こういう発想なのです。
 道州にして、九州がひとつの州、北海道は道、あとは中部とか四国とか、今のブロックをひとつの州にする。その州は独立して、国から援助を受けずアジアとも競争する、こう言っているわけです。彼らは、九州や北海道を、マレーシアやタイ、韓国などと同じように横並びで見ているのです。大企業の工場が進出しやすいような条件を整えたら、そこに進出しましょうという発想です。
 そうなるとその地域の賃金とか社会保障とか税制とかはどうなるのか、アジア並みに下げるというのか。露骨には彼は言っていませんが、全体の流れからいうとそういうことしか考えられないわけです。「究極の構造改革」というのは、生活や意識まで変えるということですから、これは大変危険なものだなと、私は感じました。今の財界戦略は歯止めが利かないというか、放っておくと国を滅ぼすようなものです。

 日本国憲法と国家公務員法の全体の奉仕者、国民への奉仕者としての公務員から逸脱するばかりか、構造改革路線をひた走り、国民に犠牲と負担を押し付ける政策は、国民の反撃を呼び起こすのは必至だと思います。
 最近、アメリカのサブプライムローン問題でのドルヘの不信がひろがるなか、西尾幹二氏(『新しい日本の教科書』の著者)は、「一歩一歩アメリカ離れを進めることが肝心だ。」、死んだはずのマルクスが生き返ったとも言っています。これは、カネがカネを生むような気が狂った構造が実態経済から離れてグローバル化していることを見ての話しですが、日本のバブルの時のようなことが、国際金融市場で行われて、金融や株がだめならということで、原油や鉱物、穀物などに投機資金が流れている。食料品と燃料の値上がりで、飢餓に苦しむ難民が増加して、国際的食料援助が始まりました。
 日本の政府も、最近、内需拡大が重要だと言いだし、春闘のときには、首相がメールマガジンで、賃金引上げを訴えるということもありました。経済財政諮問会議でも、内需拡大が議論されていますが、出てくる政策が、医療分野でいけば混合診療の推進であるとか、保育園のバウチャー制度とか、新自由主義的政策ばかりです。私は、ジレンマに陥っていると思っています。打開する鍵は、憲法に謳われていることを実質にしていくということではないかと思います。格差と貧困をなくす、憲法25条。教育の機会均等・高等教育の無償化、公的住宅政策も福祉的意味では、重要となっています。
 佐々木さんのお考えはいかがでしょうか。

佐々木 いま、財界・大企業の利益をはかることが政治の役割だとばかりに、突っ走ってきた政府与党が、国民の総反撃を受けて、たじろいでいる状況だと思います。しかし、そう簡単には、軌道修正ができない。長年にわたって財界・政府が一体化し骨絡みになっているからです。
 何か新しい政策を出そうとしても、これまでの延長線上でしか出てこない。しかし、それは国民から見放され、内閣支持率は低下する一方です。今の行き詰まった日本の政治を変えることができるのは、次の総選挙だと思います。

特殊法人労連役員から質問

質問 財界が中心になって構造改革を進めてきてその要求に私達も苦しめられていますが、今の国会情勢では野党が参院で過半数を占めていますから、経済財政諮問会議を解散せよという議論は出て来ないのでしょうか。(笑)

佐々木 そこまでは、まだ出ていないですね。ただ、民主党も共産党も経済財政諮問会議に出ている財界人を国会に参考人で出てくるように言っているのですが、政府は出してきません。政府の意思を事実上決定しているわけで、内閣の意思決定の基本を作り、それを内閣が了承してやっているわけですから。一番の張本人の御手洗日本経団連会長に出てくるよう言っても、政府は絶対に出さない。参議院で決議を行なえばやれないこともないけれど、参考人というのは証人喚問と違って、議決しても本人が出ないといったらそれで終わりです。

質問 国会に参考人として出席しないことに非難などはないのですか。

佐々木 主張はしているのだけれどもマスコミも書かないし、なかなか話題にならないのです。私たちも、もう少しいろいろな手を考える必要があるかもしれませんね。

質問 自民党と民主党が財界に通信簿をつけてもらっていますね。公明党もつけてもらっているのでしょうか。献金が欲しい人が手を上げて通信簿をつけてもらっているということですが。

佐々木 通信簿の評価をはじめた当初から、日本経団連は「企業の政治寄付の受け入れる意思を明らかにしている自由民主党と民主党」を評価の対象としています。 2005年の郵政民営化で新党が出来た時にも、「新党については、実質的な活動期間が極めて限定的であることから、今回は評価を避けた」と言って、自民・民主の2党だけを評価し、その後も2党だけです。
 そもそも、財界は、安定的に“財界好み”の「改革」を行ってくれる自民党政権が不安定になったときのための「保険」として民主党にも政権を担えるように二大政党づくりをすすめています。ですから、2党だけを評価しているということも当然なのかもしれませんね。

質問 実際に献金を受けているのですか。

佐々木 自民党の場合、通信簿をつけてもらう前の2003年には、日本経団連からの献金は18.2億円でした。それが、通信簿の5段階評価の最高位“A”の数は、04年に3個だったものが、05年に4個、06年に9個へと増加し、それにあわせるように献金額も04年は22.2億円、05年は24.2億円、06年には25.3億円と増加しています。
 一方の民主党も、企業献金の増加傾向がよりはっきりと出ています。民主党の企業献金額(日本経団連以外の企業・団体分も含む)は、2003年は5109万円、04年は6299万円、05年は6344万円、06年は8863万円と急増しています。日本経団連の役員企業では、味の素、住友商事、三菱商事が04年から新たに民主党にも献金するようになりました。三菱重工業も、06年に初めて献金しています。昨年の参院選の結果を受け、財界からは「民主党が政権を目指して現実路線に修正するならば、民主への献金額を増やす企業も出てくるだろう」(大橋光夫・日本経団連政治対策委員長、「朝日」2007年8月4日付)との声も出ていて、さらに献金が増加するかもしれません。

質問 お金をもらっていたら財界を批判できないですね。

佐々木 その通りですね。(笑)民主党も献金をもらっていますから、それだけ物を言えなくなってくる。たとえば法人税率を元に戻せとは一切言えない。だから「霞ケ関埋蔵金伝説」の話になる。
 民主党の財源論は「ムダ遣い」と「埋蔵金」。(笑)税制については、庶民増税はけしからんと言うのですが、法人税を上げるべきだとはひと言もいわない。それが一番の筋ですけれども一切言わないのです。

 07年の参院選のマニフェストで、民主党は独立行政法人を全廃して、3兆8千億円の財源を作ると書いている。そんなことをしたら重要な研究や事業ができなくなるし、職員の給料も払えなくなってしまう。そんなことは絶対できない。(笑)彼らの政策は荒唐無稽だと言えますね。(笑)

質問 経済成長している時はいろいろに問題が起こっても自民党に投票していたけれど、バブル後はろくなことがなくて、しかも国民をひっぱたいてそれで反撃を食わないと思っていたのでしょうか。我慢強い日本人でも我慢ができないほど、生活ができない事態に陥らせて、民主主義を名乗った選挙制度がある国で反撃されないと思っていたのでしょうか。

佐々木 思っていたのでしょうね。(笑)財政を維持するために一定の負担は必要であると、本気になってやっていたのでしょう。しかし、国民負担がいろんな分野で積み重なって真綿のようにじわじわと国民の首を絞めていった。まったく際限がありません。一つ一つの負担は大したことがないと思って政府はやってきたわけです。しかし、あわせて見ると一人10万円の負担になる。いきなり10万円も負担を増やしたらみんな怒って内閣を倒してしまう。(笑)けれど、じわじわやるので、みんな気付かなかった。
 でも今は、政府が何かヘマをするとワッと国民は怒りますね。小泉内閣のときはじっとしていて、小泉パフォーマンスに馴されていた面がある。「今を耐えれば明日がある」「人生いろいろ」などといわれると、そうだなと思わされた。(笑)
 福田内閣になってそのツケが回ってきて、あわてて若干手直ししようとしています。しかし新自由主義的手法を根本的に変えることができない。ほんとうに、小手先の修正しかできないから、本質的には何も変わらない。それで、国民の怒りがおさまらず内閣の支持率が急速に下がってきている。

質問 一方で、ほとんどの悪政の元凶である小泉元首相の待望論がありますね。(笑)

 本当のことが国民にはまだはっきりとは伝わっていないということでしょう。『変貌する財界 日本経団連の分析』に書かれている財界戦略の本質を暴いて、世論にしていかないと。本日はどうもありがとうございました。

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