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金融(銀行・保険・証券), その他 (同意人事)

2008年03月18日 第169回 通常国会 議院運営委員会≪聴聞会≫ 【441】 - 質問

議運委で再度提出された日銀総裁・副総裁候補の所信表明と質疑

 2008年3月18日、日銀の総裁・副総裁について政府から再度提案がおこなわれました。13日、武藤敏郎氏と伊藤隆敏氏が参院で不同意とされたため、新たに総裁および副総裁の候補を改めて提示したものです。
 総裁に田波耕治氏(国際協力銀行総裁、元大蔵省事務次官)、副総裁に西村清彦氏(日本銀行政策委員会審議委員)が提示されました。
 衆議院議院運営委員会では候補者から所信聴取し、質疑がおこなわれ、佐々木憲昭議員も質問しました。

 田波氏は、1998年、金融機関の不良債権処理のためと称して30兆円を超える公的資金の注入のスキームをつくったときの事務次官です。
 政府は、その後、同制度の改悪や資金注入枠の拡大を繰り返し、最終的に総額35兆円超の公的資金を金融機関に投入しました。
 不良債権処理加速策のもとで、信金・信組を中心とする金融機関の統廃合の促進や、その利用者である中小零細業者・個人債務者を倒産・廃業に追い込み、国民の生活や日本経済に重大な被害をもたらした責任は大きなものがあります。
 この日の聴聞会において、田波氏は「この公的資金注入で、当時、何とか金融危機を逃れた」と改めて評価しました。
 本来、銀行の責任、銀行業界の自己責任で資金調達を行うべきではなかったのかとの質問に対しても、「銀行は不良債権を大量に抱え大変であった」と答えるなどいっさい反省していません。
 田波氏は、80年代バブル景気のいち原因であるプラザ合意後の日銀の低金利政策について、「世界恐慌を回避することができた」と肯定的に評価するなど、副作用として起きた国民生活への重大な痛みや家計への犠牲を軽視し、対米追従姿勢の政府・日銀の政策を容認しています。

 副総裁候補の西村清彦氏については、日銀政策委員会審議委員に就任した後の発言を見ると、日銀の超低金利政策に対して批判的な発言も無く、むしろ超低金利政策の継続を合理化する発言が目立ちます。
 金融政策決定会合でも、福井総裁らにすべて同調しています。

議事録

【佐々木議員の質問部分】
○佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。
 田波さんが事務次官をされた98年1月から99年7月というのは、先ほども少し議論がありましたが、公的資金の投入を行った、こういう時期で、私どもは、この公的資金の投入そのものについては批判的な見地を持っておりました。といいますのは、銀行業界としての責任というのは一体どうなのか。つまり、この危機を招いた経営者の責任を十分問うこともなく国民の血税を投入するということは問題があるというふうに思っておりました。
 そこで、お聞きしますけれども、この銀行業界としての責任というものをどのようにお感じなのかというのが一点です。
 それから、私どもは、預金保険機構を活用して銀行の保険料を適切に引き上げ、銀行の自己負担で自己責任をしっかりと果たすべきだという考えを持っておりました。この点についてどのようにお考えか。
 それから二つ目は、85年9月のプラザ合意、これ以後5回にわたって公定歩合の引き下げが行われて、アメリカのドル高是正に協力をしたわけですが、当時、超低金利政策と言われました。ドイツは早々とその政策を打ち切って金利を上げたんですが、日本は、2年間、長期にわたって続けて、低金利が続きました。このことについてどのようにお考えか。日銀の三重野元総裁は、もう少し早くブレーキをかけていれば経済への振幅は少し小さなものになったのではないか、こういうふうに言っているわけですが、どのようにお考えかということです。
 それから、バブル経済の背景にこの低金利政策があったという認識があるかどうか、その点もあわせてお伺いしたいと思います。
 それから、アメリカとの協調を優先し過ぎると、国内経済、生活を犠牲にしかねない面もありますので、その点をどのようにお考えか。
 最後に、次官になられる直前に大蔵スキャンダルというのがありまして、大変大きな問題になりました。その後、福井総裁の村上ファンドの問題もありました。こういう問題についてどのようにお感じか、見解をお聞きしたいと思います。
 以上です。
○田波参考人(日本銀行総裁候補者(国際協力銀行総裁)) 銀行業界のその後の責任は、金融庁にその舞台が移ったこともあって、直接財務省に残った、当時は大蔵省でございますけれども、あれではありませんけれども、一つは、やはり公的資金を入れた銀行というのは、これは先生のお立場からすれば厳しくないという見方もあるいはあるかもわかりませんけれども、それぞれ皆さん責任をとっておられるという事実はあると思います。
 それから、公的資金導入そのものがおかしいんだという議論でございますけれども、さっき仙谷先生がおっしゃられた、最初のスタートというのは、やはり預金保険法の改正なんかで何とか処理ができないかというようなチャレンジをしたわけですけれども、その後、非常に不良債権のボリュームが広がることによって、それではやはりできないという認識のもとで決断された政策だというふうに思っております。
 それから、低金利政策によっていろいろな面で国民生活に影響があるのではないかという御質問でございますけれども、なぜあそこまで財政が出なければいけなかったか、それから金利を下げなければいけなかったかということは、やはり、何とか世界恐慌を阻止し、それからデフレ経済からの脱却を図らなければいけないということについての挑戦だったと思います。その結果、ある程度の効果が出て、その後の日本経済は経済自体としてはある程度の立ち直りが見えたことも、これは事実だというふうに思っております。
 むしろ、私が当時考えておりましたことは、ああいう非常に大胆な政策をとった後、どういうふうに国民のコンセンサスを得て、その状態から少しずつでもいいから何とか脱却できないかというような考え方を持っていたところであります。
 それから、例のいろいろな意味でのスキャンダル、これはもうまことに申しわけないということに尽きるわけでございます。私はあの事件が起きた後に行ったんですけれども、これはやはり基本から全部きちんと調べなきゃいけないということで、1000名以上の職員を全部調べまして、合計でたしか112名の方々だったと思いますけれども、私としては非常に、率直に言って個人的には心の痛む仕事ではありましたけれども、そういった格好で主観的にはけじめをつけたと思っております。



○佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭です。
 西村さんが3年前に政策委員会審議委員に就任されたときの記者会見の記録を見ておりましたら、量的緩和政策についてこうおっしゃっています。
 量的緩和というのは、はっきり申し上げてモルヒネである。モルヒネを打ちながら、非常に大きな困難を乗り越えてきた。劇薬は当然のことながらとめてしまった方がいいわけだが、しかし、劇薬を急にとめるとそこに非常な痛みが生じてしまう。頭ではわかっていても、痛みというものは体に来てしまう。
 こういう発言をされていますね。この発言の意味、趣旨はどういうことなのか。
 それからもう一つは、日銀が行ってきたこれまでのゼロ金利政策、量的緩和政策というものは、国民の家計に影響、痛みというのが非常に大きかったと思いますが、それはやむを得なかったというふうにお考えなのか。この点をお聞きします。
○西村参考人(日本銀行副総裁候補者(日本銀行政策委員会審議委員)) まず最初に、量的緩和はモルヒネであるということは、量的緩和は、申し上げますと、これはやはり非伝統的な政策であります。やはり金利政策が伝統的な政策であります。その意味で、非伝統的な政策が量的緩和ですので、非伝統的な政策というのはかなりいろいろな副作用があります。その副作用のことを考えながら、モルヒネという言葉を使いました。
 副作用というのは、一つは、痛みを和らげるといういい部分もありますが、しかし、どうしても物事を先送りにしてしまうという副作用もあります。つまり、痛みが弱いうちにそういったことに対応するようなことを我々はすべきであるというふうに考えていますし、この時点でそういうことをしたのではないかというふうに考えております。
 ゼロ金利政策に関しましては、これが家計に大きな痛みを伴ったということは否定できない事実でありますし、逆に言えば、それほどの犠牲と、それから、こういうモルヒネを打たなければ、あの時点からのその後の脱却、私はまだ脱却の途中だと思っていますが、その脱却に向けての道をうまくつけることができなかったということだと思います。その意味で、金融政策をやっている者として、こういった痛みというものがあるということは常々頭の中に入れて、頭だけではなくて、心にやはり感じていなければいけないんだというふうに考えております。

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