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財政(予算・公共事業), 景気回復 (予算案)

2005年02月23日 第162回 通常国会 予算委員会≪公聴会≫ 【278】 - 質問

山家氏が負担増批判「生活支援へ組替えて」 予算委公聴会午後

 2005年2月23日午後、午前に引き続いて、予算委員会公聴会が行われ、学者・有識者が公述し、日本共産党から佐々木憲昭議員が質問しました。
 午後の公述人は、田中明彦氏(東京大学東洋文化研究所教授)、山家悠紀夫氏(暮らしと経済研究室)、武石恵美子氏(株式会社ニッセイ基礎研究所上席主任研究員)、伊藤修氏(埼玉大学経済学部教授)です。

 前神戸大学教授で、「暮らしと経済研究室」主宰の山家悠紀夫(やんべ・ゆきお)さんは、「国民への負担増が景気と財政にいっそうの悪化をもたらす」と政府の増税・負担増路線を批判。景気回復には消費の回復が必要であり、そのためにも予算を生活支援の方向に組み替えるべきだと主張しました。
 また、山家さんは、国民に消費税増税など9兆円の負担増を押し付け経済を失速させた橋本内閣の失政にふれ、「失敗の轍(てつ)を踏んではならない」とのべました。
 佐々木議員が「家計をどう支援していくべきか」と質問すると、山家さんは、「企業があげた収益が労働者に還元され、家計に流れるようにすることが重要だ」と強調。サービス残業の根絶に向けた施策や、世界的にも低い水準にある法人の税負担を引き上げることなどが求められるとのべました。

議事録

【公述人の意見開陳部分と佐々木憲昭議員の質問部分】
○田中公述人(東京大学東洋文化研究所教授) 東京大学の田中でございます。
 本日は、予算委員会の公聴会で私見を述べさせていただく機会を与えていただきまして、大変光栄に存じます。
 私は、仕事という点から申しますと、国際政治の研究をしておりますものでして、きょうの意見も、かなり長期にわたって、世界の中での日本という観点から意見を申し上げたいと思っております。
 世界の中での日本ということを考えてみますと、戦後60年の日本の実績は、大まかにとらえれば成功だったと言えると思います。破局的な敗戦と占領から立ち上がって、現在では世界の主要国の一角を占めるまでに至りました。国連安保理に新たな常任理事国が追加されるという改革が実現するとすれば、日本は最有力の候補であることは間違いありません。世界経済の運営においても、G8サミットのメンバーとして指導的立場にありますし、開発援助の世界でも日本の役割は大きいと言えます。
 今や世界じゅうを日本人の観光客が濶歩し、日本のビジネスマンが飛び回っております。例外はあるにしても、世界じゅうで日本人に対する好感度は相当高いと思います。多くの国々から徹底的な敵対感情で見られていた1940年代前半とは全く別の世界になっていると言うべきだと思います。
 振り返ってみますと、現在のように日本が世界の指導的地位に立つようになったのは、1960年代の後半から1970年代の初めにかけてでありました。自由世界で第二の経済力を持つというふうに言われるようになったのが1960年代の末であります。それから、日本を抜きにして世界経済の動向は語れないという認識が欧米で強まって、主要国のサミットの一員となったのが1975年のことであります。それ以後30年、顔が見えないとか、外圧がなければ何もしないとか、いろいろ言われてきましたけれども、日本が世界的課題解決に向けてのさまざまな問題に関与してきたということは事実だと思います。
 概観的に言いますと、戦後、日本は30年かけて主要国の地位を回復して、以後30年間、主要国として生きてきた、そういうふうに言うことができると思います。次の30年はどうなるでしょうか。
 なぜ日本がサミットに出席し続けているのかというふうに言われるようなことはないでしょうか。仮に現在の国連外交がうまくいって、安保理の常任理事国になれたとしても、10年後とか20年後に、もう日本が常任理事国である必要はない、そういうふうに言われることはないでしょうか。アジア開発銀行の総裁というのは、これまで常に日本人が就任してきましたけれども、日本人ばかりがこの地位を占めるのはもう適切でないというふうに言われるようになりはしないでしょうか。政治家や外交官が面目を失うだけならともかく、世界じゅうで日本人が軽視されたり嘲笑されたり、あるいは迫害されたりすることはないでしょうか。
 20年、30年後の時代にこんなことが言われないようにしたいと私は思います。予算編成は、その年その年のことでありますから、その年の課題にこたえるということですけれども、ぜひとも、このような日本や日本人にならないように、立派な予算をつくり、国政を指導していっていただきたいというふうに思います。後から考えて、日本の没落の原因は21世紀初頭にあったというようなことを言われないようにしていただきたいというふうに思います。
 21世紀の世界は、大変複雑でダイナミックな世界であります。アメリカが圧倒的な軍事大国であり続けることは間違いないと思います。一方、統合を進めるヨーロッパの影響は増大すると見られます。アジアでは、中国の台頭のみならずインドの成長もほぼ確実でしょう。国家のみならず、テロリストを初めとする非国家主体の動向も重要です。グローバル化はますます進展しますから、遠方の出来事が直接人々の生活に影響を与えるようになります。日本周辺の国際環境は、依然として武力対立の可能性がなくならない不安定な状態が続くということも想定し続ける必要があります。
 このような世界で日本はどうなるのでしょうか。少子高齢化が進み、財政制約は大変大きい。かつてほど何でも経済力で日本のプレゼンスを示すということはできなくなると思います。他方、世界的課題から目を背けて、内向きに生きるというような選択もないように思います。内向き路線は、長期的には確実に日本を主要国の地位から放逐するでしょうし、日本周辺の安全保障環境は、日本の利益を軽視ないし無視した形で形成される可能性が大きいからであります。
 内向き路線には将来がない、しかし、何でもかんでも経済力に頼るというわけにもいかないとすれば、そうしたら、どうしたらいいのでしょうか。
 私は、一国の国際的な戦略は、大きく分けて二つの要素から成り立つものだと考えております。
 第一は、最悪の事態を防ぐための戦略であり、第二は、その反対に、最善をもたらそうとする戦略です。
 第一は、日本にとってマイナスとなることができるだけ起きないようにして、起きた場合にはその損失を最小にするという戦略であります。通常は、これは広い意味で安全保障の戦略というふうに言われるわけであります。第二の戦略は、日本人にとってできるだけよい状態をつくろうとする戦略、つまり、ビジョンを実現する戦略と言ったらいいと思います。極端なことを言いますと、政治というのは、基本的には安全保障とビジョンの二つを語ることだということになるのではないかと思います。
 まず、安全保障についてですが、昨年末に閣議決定された新しい防衛計画の大綱は、今後の日本の安全保障政策の重要な方向性を示していると思います。
 現代の日本を取り囲む安全保障環境の特徴は、伝統的な国家間の安全保障問題が依然として継続する中で、9・11事件に見られるようなテロリストなどの非国家主体からの脅威が増大しているというものです。この中では、単に自国と自国の周辺のみに関心を持つというタイプの安全保障戦略は十分ではありません。自国の防衛に加えて、広く国際的安全保障環境そのものを改善させていく、そういう努力をしなければいけないと思います。
 そして、このような安全保障の二つの目的、つまり、自国防衛と国際的安全保障環境の改善というこの二つの目的を達成するためには、さまざまなアプローチを組み合わせていくことが必要となります。日本みずからの努力は当然ですけれども、同盟国であるアメリカとの協力、そして、広く国際社会との協力が求められます。
 したがって、今回の防衛計画の大綱で示された、多機能で弾力的な防衛力の整備を自衛隊が着実に行うことは極めて重要で、これによって、自衛隊が安全保障のためのさまざまなアプローチの重要な一翼を担うことができるようになってほしいと思います。そして、それを可能にする背景として見れば、法的に言って、国際平和協力の任務を自衛隊の本来任務と位置づける必要があるのは私は当然だと思っております。
 しかし、安全保障は、自衛隊のみが行う活動だけではありません。複雑性を増す国際環境の中では、非軍事のさまざまな活動も重要です。日本が行う活動として見れば、量的に圧倒的にこのような非軍事の活動が重要だと思います。
 国際的安全保障環境の改善のためには、不安定な地域に秩序をもたらし、経済発展が可能となることによって、武力対立の芽を摘むことが必要です。そのためには、自衛隊などによる平和構築活動と密接に連携した文民の活動が重要です。文民警察、行政支援、そして政府開発援助です。これらに参加する人員は、政府のみならず、民間企業やNGOなどから多く集めなければなりません。国際平和協力に関しては、法律的に言えば、私は早く一般法を作成することが望ましいと思っております。
 このように、多様な人材を使って包括的、総合的に安全保障戦略を進めなければいけませんが、その際重要となるのは、情報と政策統合と外交の力です。日本周辺のみならず、世界各地の情報がなければ、このような戦略を進めることはできません。
 また、このような活動が各省ばらばらの縦割り行政的に行われたのでは、むだばかり多くなります。テロ対策についていえば、自衛隊、海上保安庁、警察の緊密な連携が必要ですが、国際平和構築活動について見れば、それをさらに超える各省間の緊密な協力体制が望まれます。
 そして、このような日本の活動が各国にも理解され、実効あるものにするためには、国際政治をリードしていくだけの外交の力が必要になると思います。
 その意味で、各省ばらばらの対策ではなく、国家としての安全保障政策を明示的に示すものとして、私は、毎年、政府の安全保障会議で、国家安全保障戦略の年次報告とか、あるいは指針としての国家安全保障年次指針といった文書を作成して、国として統合的な安全保障戦略を実施していってほしいと思います。
 言うまでもなく、日本周辺の安全保障環境は、依然として極めて大きな不安定要素があります。この中で国際緊張を高めずに実効的な安全保障環境を担保するためには、これまで以上に密接な日米同盟関係を築いていく必要があります。また、国際的安全保障環境を改善するためにも、アメリカとの協力は欠かせません。先日の日米安全保障協議委員会、いわゆる2プラス2ですが、これは大変建設的な戦略対話だったと思っております。
 そして、このような日米協力を国民的に支持していくためにも、日本国内における米軍基地などに関する国民の負担についてはできる限り軽減できるよう、創造的、クリエーティブな方策を考えてほしいと思います。沖縄の普天間基地の問題は、私は急務だと思います。
 世界の中の日本ということを考えるとき、安全保障に加えて、国際社会に対する日本のビジョンを語っていくことも必要だと思います。そのようなビジョンこそが、国際社会の中での日本の地位を維持し、日本人への尊敬を増すものだと思うからです。私は、今後の日本のビジョンは、平和で繁栄し自由主義的・民主主義的価値、そして地域の伝統が尊重されるような東アジアという地域を日本周辺に確立していくことだと思います。
 現在の東アジアはそうではありません。朝鮮半島など不安定要因を抱え、国によっては、経済発展もままならず、人権侵害の絶えないところもあります。これは超長期の仕事になるかもしれませんが、日本や日本人にとって、不安定な地域が周辺にあるということは望ましいことではありません。この地域を、平和で繁栄し自由主義的・民主主義的な価値を体現したような地域に変えていくこと、これが日本のビジョンでなければならないと思います。
 小泉総理が施政方針演説で語られた東アジア共同体という言葉も、このようなビジョンが実現した暁の東アジアの姿だと思います。もちろん、共同体という言葉であらわせるような実態がこの地域に直ちに生まれると想像することは現実的ではありません。
 しかし、平和で繁栄し自由主義や民主主義の理念に向かって近づいていこうとする方向性を進めていく基盤がこの地域に全くないわけではありません。1997年以降のアジア経済危機にもかかわらず、現在、東アジアの経済はダイナミックに発展していますし、民主主義体制の国々もふえています。また、東アジアの発展する数多くの都市を中心に、東アジア型文化あるいは東アジア型生活様式とでも言い得るものが広がっています。
 このような動向を確固たるものにし、一層促進するためには、自由貿易地域の協定、FTA交渉や国際金融の安定化のための制度づくりなど、さまざまな活動を進めていく必要があります。最も基盤的な活動としては、地道な文化交流や学術交流も重視する必要があると思います。
 分野によっては、日本の国内の一部利益にとって短期的な不利益が生まれる可能性もあります。しかし、長期的に見て、日本がみずからを開放することによって地域全体の平和や繁栄に貢献するということは、日本自身の活力の源ともなり、日本の繁栄につながるのだと思います。
 言うまでもなく、このような東アジアは、アメリカやヨーロッパと、友好的で緊密な関係を維持する東アジアでなくてはなりません。東アジアの繁栄の基盤はアメリカ市場や欧州市場との密接な関係だからであり、また、グローバル化した世界において、いかに広い地域であれ、自己完結的な地域などというものはあり得ないからであります。
 仮に、今から30年後の東アジアがこのようなビジョンに近づいていたとしましょう。そのとき、過去を振り返って、日本と日本人が頑張ったから平和と繁栄と自由・民主のための東アジアができたのだ、そういうふうに言われるようになったら、これはどんなにすばらしいことでありましょう。このような評価が生まれれば、そういうことがありさえすれば、30年後の日本の地位や日本人への尊敬を確保する基盤ができたと言えるのではないかと思います。
 統合的な安全保障のための戦略と、平和で繁栄し自由・民主の東アジアというビジョンは、どちらも相互補完的な戦略だと考えるべきだと思います。最悪の事態を防ぎ、平和を維持することなくして、繁栄し自由・民主の東アジアは生まれません。また、東アジア協力を進め、繁栄の期待が高まり、普遍的な価値観が普及することこそが、国際的安全保障環境を改善することにつながるからであります。
 敗戦から30年で主要国の地位に日本はつきました。その後の30年間、世界の主要国として日本は世界のさまざまな活動に参与してきました。この日本が、今後も同様な地位を維持できるか。現在、世界的に相当の尊敬と好感を持って見られている日本人は、今後も同様の尊敬と好感を維持できるかどうか。そのような観点から御審議をお願いしたいと思います。
 財政制約が厳しいわけですから、何でも大盤振る舞いはできません。しかし、安全保障を確保するために必要なものは備えなければいけません。国際的安全保障環境の改善や地域のビジョンを実現するためには、やはり相当規模の経済援助を継続する必要があります。
 限られた資源を有効に生かすかどうかは、保持している情報の質に依存します。情報収集や分析に力点を置かなければいけないと思っております。人文・社会科学も含めて科学技術力というのは、一国にとっての総合的な影響力の基盤だとして重視する必要があると思います。
 また、日本のこのような努力がより効果的に世界に対して発揮されていくためには、外交体制の充実も急務だと思います。現在、かつてないほど外交活動の幅も量も広がっています。外務省や対外活動に当たっている人員が過労死してしまったのでは、安全保障も地域ビジョンの実現もありません。
 いずれにしても、経済の規模だけで勝負していくということは、今後の日本にはできません。最終的には、人の力をこれまで以上に発揮するしかありません。日本人の個々の力が十分振るえるような政策をお願いしたいと思いますし、世界的に言えば、日本のことをよく知っている人、これは私の造語ですけれども、知日人とでも言い得るような人々を世界じゅうでふやすという政策を行っていってほしいと思います。
 以上、簡単ですが、私の方から冒頭発言をさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)
○甘利委員長 ありがとうございました。
 次に、山家公述人にお願いいたします。
○山家公述人(暮らしと経済研究室) 山家でございます。
 私からは、日ごろ、日本経済の分析とか景気の分析を中心に仕事をしておりますので、そういった角度から、2005年度予算について意見を申し述べたいと思います。
 お手元にA4三枚の資料がございます。グラフが並んだ図表一、図表二というのが表面にあります。それを用意しましたので、ごらんになりながら聞いていただきたいと思います。
 まず、日本経済の現状、とりわけ景気の現状についてでありますけれども、最近の日本経済の大きな特徴として、輸出の影響力が極めて大きくなっているということがあります。輸出がふえると景気はよくなる、輸出が減るか伸びが鈍るかすると景気は悪くなる、あるいは景気の足踏み状態が起こる、そういうことが起こっております。
 図表一をごらんください。
 これは実質の輸出でございますが、輸出の増減と鉱工業生産の増減を同じグラフ、同じ表に載せて対比したものであります。4半期ごと、季節調整済みの前期比という数字をとっておりまして、点線が輸出の動きであります。実線の方が生産の動きです。二つの線の動きが非常によく似ていることが直ちにお気づきになられると思います。
 ここ数年について見ますと、2001年というのは景気が落ち込んだ年でありました。生産も大幅なマイナスになりました。ごらんいただけますように、輸出の方も大きく落ち込んでいるわけでございます。これは、アメリカ景気が失速した年でありました。それに伴って日本の輸出が落ちた、それとともに生産も大幅に落ち、景気も悪くなったということであります。
 最近、2002年からの景気の回復ということが言われております。ごらんいただけますように、生産は前期比プラスの状態が続いております。やはり、その背景に、輸出の伸びが高まっていることがあるということが言えるわけであります。アメリカの景気回復とか中国経済の好調、そういったことが背景にあります。
 また、2002年からの回復は必ずしも一直線ではありませんで、2002年の終わりから2003年にかけて生産の伸びが停滞した時期、景気の回復が中だるみになった時期があります。その時期には、やはり輸出の伸びが鈍っております。それから、昨年の後半から、景気の中だるみ、足踏み状態ということが言われております。生産はほとんど伸びない、若干のマイナスという状況になっております。その背景にも輸出の伸びの鈍化があるわけであります。こういった関係は、日本経済の全体像を示します実質経済成長率との関係でも、やはり輸出の影響度が強いという格好で見えるわけであります。
 今度は、図表二をごらんいただきたいと思います。
 これは、実質GDPの成長率を折れ線グラフにとりました。それから、その成長に対する輸出の寄与度、要するに、輸出がどれだけふえたことによって成長率が何%影響を受けたか、その寄与度を棒グラフにして対比してみたものであります。年ごと、これは暦年でありますけれども、毎年の動きを見ております。ここでもやはり、実質成長率の動きは輸出の動きによって左右されているということがおわかりいただけるかと思います。
 もう少し申しますと、最近の景気の動き、輸出がふえますと企業の収益がよくなる、それによって企業の設備投資がふえる、そこまでのことがここ何回かの景気回復で起こっております。逆な例は逆でありまして、輸出が減ると設備投資も落ちる、景気も悪くなる、そういう流れになっております。
 ページを開いていただきまして、図表三であります。
 これは、経済成長率と、輸出と設備投資を合わせた寄与度、これを対比したものであります。折れ線グラフが、図表二と同じ経済成長率、毎年の成長率であります。棒グラフが、さっきは輸出だけでしたけれども、これは輸出に企業の設備投資の増減をプラスしました。その二つの成長率に対する寄与度を見たものであります。
 これで見ますと、近年の経済成長率の高まりが、ほとんど輸出と企業投資の増加によって説明できる、こういう状況になっております。
 こうしたことが最近の日本経済に顕著なことでありまして、このことから何が言えるかといいますと、海外の景気、アメリカなり中国なりの景気が悪くなり輸出が伸びなくなると、それとともに日本の景気は悪くなってしまう、そういう危うい基盤の上に日本の現在の景気回復が成り立っているということであります。
 こうした状態、日本は何せ世界で第二の経済大国というふうに言われております、そういう国が、ひたすら海外景気の動きによって国内の景気も左右される、これは非常に残念なことといいますか、みっともないことといいますか、望ましいことではございません。輸出と設備投資、設備投資は国内需要でございますが、輸出に導かれての設備投資の増加ではなくて、国内需要の増加による景気の本格的回復ということが必要な状況であると言っていいかと思います。
 そういう点で見ますと、国内需要、GDPの55%を占めております家計、民間の消費支出、この伸びというのが大事な意味を持ってきます。消費の回復を図ることが景気の本格的回復を図るためにどうしても必要であるということになるわけです。そのことによって、海外頼りの景気回復の危うさということからも脱却できるかと思います。
 ところが、民間の消費支出については、このところ極めて不振であります。資料は用意しておりませんけれども、GDPの実質消費支出、4半期ごとの伸びを見ますと、24半期続けてマイナス、7―9月期も前期比マイナス、10―12月期も前期比マイナスという状況です。名目の成長率、消費支出の伸び率について見ますと、既に4―6月期からずっとマイナス、2004年度に入ってからマイナスにマイナスが続いている、そういう状況にあります。そういうふうに消費が不振なわけでありますが、その背景に何があるかということであります。
 今度は、図表四をごらんいただきたいと思います。
 図表四は、国民経済計算、GDP統計の中の雇用者報酬という欄がございますが、その数字を拾ったものであります。
 上段の折れ線が、これも暦の年で拾っておりますが、毎年の雇用者報酬の前年比変化率、ふえたか減ったかという比率であります。下の棒グラフは、雇用者報酬の金額そのものをグラフにしております。2001年から去年、2004年まで4年連続して減少であります。上の折れ線グラフでごらんいただくとおりであります。やや長期的に見ますと、1997年をピークに減少傾向にある。この間ふえたのは2000年だけでありまして、傾向としては七年続けてマイナス傾向にあるというふうに見ていいかと思います。
 ちなみに、2004年の数字は、グラフではちょっと読み取りにくいかと思いますが、263兆円でありまして、2003年、前年に比べて3兆円減っております。4年前、最近のピークであります2001年に比べますと10兆円減っております。さらにその前、1997年のピークに比べますと18兆円落ちている。雇用者報酬、これはサラリーマン、働いている人の所得の総額でありますが、こういうふうに減り続けているというわけであります。こういうことがありますと、消費が不振であるのももっともというふうに言えるかと思います。
 とりあえずここまでの景気の話をまとめますと、景気が回復しているということが言われております。それは、生産の統計を見ましても、あるいはGDPの成長率を見ましても、あるいは企業収益を見ましてもそのとおりでありまして、景気は一応全体としては回復してきている、そういうふうに言っていいかと思います。
 しかし、そういう景気の回復が言われる中でも、家計部門にあっては景気は一向に回復してきていない、むしろ年々悪くなっている、こういう状況にあるわけでありまして、家計部門の景気はまだ悪化し続けているというのが足元、2005年初めの状況であります。
 こうした景気の現状を踏まえますと、2005年度予算にはどういうことが期待されるかということであります。
 ここから予算について考えを述べたいと思います。
 2005年度の予算案で最も気になりますことは、家計部門の負担が大きくなる方向での予算が組まれているということであります。すなわち、予算案には、定率減税の縮小、住宅ローン減税の縮小、あるいは国立大学の授業料の値上げなどの項目が織り込まれております。また一方で、国民年金保険料とか厚生年金保険料あるいは雇用保険料の引き上げが進められようとしております。そのほかに、公的年金控除の縮減とか老年者控除の廃止などが既に実施されております。介護施設の利用代、食費の有料化なども予定されております。加えて、地方自治体のレベルでも、財源難を背景に各種の福祉サービスの切り詰め、住民負担の増加が続々と行われようとしております。
 こうした負担増が家計を圧迫し、消費を一段と落ち込ませ、景気が悪化するのではないかと、大いに懸念されるわけであります。
 もとより財政の状況は極めて厳しい、そのことは十分私も承知しております。しかし、財政状況が厳しいからということで、国民の負担増によってそこからの脱出を図るということをいたしますと、そのことによって景気は悪くなる、結果として一段と財政状況が悪くなるということが起こります。既に1997年に我々はその例を持っております。
 図表五と六のページを開いていただきたいと思います。
 1997年の財政再建優先政策といいますか、そのときの内閣によってとられた財政再建政策によって財政状況がどのように悪化したか、これからその数字を見てみたいと思うんですが、以下、その数字を何で見るかということで、私は、政府正味資産という数字の動きで見てみたいと思います。余りなじみのない言葉かと思いますが、図表五をごらんください。
 これは、国民経済年報に記載されております政府部門の貸借対照表、バランスシートを単純化したものであります。ここで政府とは、国と地方自治体を合算した政府部門全体であります。目下のところ、残念ながら、統計は2002年末までしかとることができません。間もなく2003年末の数字が発表されると思いますが、まだ我々のレベルではとることができませんので、2002年末の数字でグラフ化しております。
 図表五の右側に負債789兆円というふうにあります。国債とか地方債、その他政府部門の負債の合計を示したものであります。左の欄は政府の保有している資産の中身、総額が記載されております。金融資産、さまざまな年金積立金とか外貨準備、地方政府のいろいろな積立金、財政調整基金等がここに当たります。そうした金融資産、それから固定資産、道路とか建物、港湾、ダム、政府保有の固定資産、それから土地、それが記載されております。総額で895兆円あるというのが国民経済計算で示されているところであります。
 そうしますと、資産が895兆円、負債が789兆円でありますから、2002年末において、政府は106兆円の正味資産を保有している、そういうことであります。
 財政の状況を把握する方法としては、政府の総負債残高、政府部門の借金が幾らあるか、あるいは国債残高、国の国債が幾らあるか、そういう負債側の統計が専ら使われております。しかし、政府の財政の全体像を見るためには、やはり資産も合わせてみて、正味資産がどうなっているかという数字をとらえるのが一番全体的にとらえられる方法ではないかというふうに思うわけです。正味資産で財政状況の推移を見てみようと考えている次第であります。
 今度は、図表六をごらんください。
 図表五で見ました正味資産の動きを示したものであります。上段の折れ線グラフは、毎年末の政府部門の正味資産残高の推移を示しております。1990年末には政府の正味資産が350兆円ありました。それが、2002年末には106兆円に減ってきているということであります。
 注目していただきたいのは1998年。グラフの下の方は、年末と年末の残高の差額、年間の増減額を示したものであります。この下の段をごらんいただきますと、1998年に年間の減少額が55兆円という、それまでもマイナスだったんですが、極めて大幅なマイナスに転じていることであります。98年以降、年間減少額は、30兆円から40兆円という大幅なものになっております。すなわち、1998年を境に政府正味資産の大幅な減少が始まったということがあります。
 上の折れ線グラフを見ましても、1997年の残高300兆円から2002年の105兆円、この五年間でおよそ200兆円の減少が生じております。その前の5年、1992年から97年にかけて、同じ五年間でありますが、この五年間は50兆円の減少にとどまっております。
 すなわち、どういうことが起こったか。1996年から7年にかけて、時の政府は、50兆円という正味資産、財政状況の悪化に対応すべく、いろいろ、国民負担九兆円と言われる増税策をとりましたし、公共事業の大幅削減をいたしました。そういう対策をとった結果として景気は大変に悪くなった。どうしようもなくなって財政支出を図らざるを得なかった。その結果、その後の5年間で、その前の5年間の4倍、200兆円の財政悪化を招いてしまったということであります。今回、こうした失敗の轍を踏んではいけない、貴重な教訓にしていかなければいけないと思うわけであります。
 97年の国民負担増は9兆円と言われました。今回は、それに比べると規模が小さいのではないかということがあります。ただし、そのことでもって余り楽観視してはいけないと思います。
 97年の場合、戻っていただいて図表四でありますが、雇用者報酬はかなり増加していたという背景があります。九六年の雇用者報酬は、棒グラフですが、273兆円でした。97年は281兆円です。この一年間で8兆円の雇用者報酬の増加があった年であります。それだけ雇用者報酬が増加した、サラリーマンの所得がふえた、それでもやはり9兆円の負担増の影響は大きく、景気は悪くなってしまったということであります。
 今回の場合、さっきもお話ししましたが、足元の雇用者報酬は減少しております。266兆円から263兆円、3兆円減少。前回と比べて11兆円、前回は8兆円の増加、今回は3兆円の減少ですから、11兆円の差があるわけです。前回の国民負担増が九兆円だった、今回は少ないからといって安心できないということはおわかりいただけるかと思います。
 2005年については、政府の経済見通しを見ますと、雇用者報酬は増加を見込んでいるようであります。ただし、その増加額は0.5%、1兆円程度の増加、政府の見通しでもそういう数字になっております。しかも、これが実現するかどうかはまだはっきりしない。さっき言いましたように、海外経済の悪化でも一度起こりますと、たちまちにして逆の方向、マイナスになってしまうというおそれも多分にある状況であります。
 財政赤字につきましては、その速やかな削減を図ることがもちろん必要でありますけれども、その対策とタイミングを誤ってはいけないというふうに思います。何よりも必要なことは、まず景気を本格的によくすることであります。一般会計の税収の推移を見ますと、2003年度の決算、小泉内閣発足直前の決算でありますが、そのときの一般会計の税収は、たしか50兆7000億円だったと思いますが、51兆円近くありました。2005年度予算で見ますと、税収見積もりは44兆円であります。7兆円の税収減が生じている。要するに、この間の景気の悪化によって、主としてそれによって財政状況が7兆円悪化しているということであります。
 ということは、これから景気の本格的な回復を図り、税収の増加を取り戻すことがまず財政再建のために必要なことであり、行うことであると思います。そのために必要なことは、需要の多くを占める消費支出の回復が必要であるということを申しました。そのための政策を展開すべきであります。
 国民負担の増加をかなりもたらすであろう今の予算を、そういう、国民負担を軽くするばかりでなく、国民生活を支援する方向へと組み替える必要があるんではないか、そういうふうに思っております。
 以上で陳述を終わらせていただきます。(拍手)
○甘利委員長 ありがとうございました。
 次に、武石公述人にお願いいたします。
○武石公述人(株式会社ニッセイ基礎研究所上席主任研究員) ニッセイ基礎研究所の武石でございます。よろしくお願いいたします。
 本日は、衆議院の予算委員会の公聴会で意見を述べさせていただく機会をいただきまして、大変ありがとうございます。
 私の専門は人的資源管理、企業の人事管理、それから女性労働論ということでございまして、私の前のお二人の御意見がかなりマクロの御意見でございましたが、私はもう少しミクロの、働く人とか働く女性という視点からきょうは意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
 特に本日は、日本の少子化傾向と関連いたしまして、子育てと仕事の調和の問題に関して私が考えていることの意見を述べさせていただきます。
 予算というものは国の方向性を決めるものであるというふうに考えているわけでございますが、少子化問題、これは今後、中長期的にかなり大きな問題になると思いますが、この問題にどんなふうに取り組んでいただきたいかという私の意見ということでお聞きいただきたいというふうに思います。
 私は、こういう研究をしておりますと、きょうもここに来るときに職場の女性から頑張ってきてねと言われたんですけれども、子育てをしている女性から、非常にいろいろな事例を聞かされます。ちょっと、最近の事例を三つほど御紹介したいと思うのです。
 まず、30代の金融機関に勤める知人なんですけれども、職場結婚をいたしました。そうしたら、職場結婚をした途端、夫が海外赴任を命ぜられたということで、出産を考えていた彼女は非常にそれにショックを受けて人事にかけ合ったんですけれども、ひっくり返らなかった。それなら断ればよかったのにと言われたわけなんですね。人事の方は、当然別居をして、夫だけが海外に行って妻の方は残ると思っていたらしいんですけれども、そういった個人のライフプランにまで考えが及んでいないということなんだと思います。
 それから、二つ目の事例は、私の同僚なんですが、共働きをしながら二人の子供を出産しています。親が遠方にいるものですからなかなか親の協力も得られないということで、苦労をしながら子育てをしておりますが、彼女がつくづく、最近私にこぼしたのは、仕事をしながら子育てをしていると、何かもう毎日毎日いろいろなところに行って、済みません、済みませんと言って謝っている。やってもらったことにありがとうと言うんだったらわかるんだけれども、何でこんなに謝らないといけないんだろう、非常に不合理だということで、こぼしておりました。
 それから、三つ目の事例なんですが、これも私の知人ですけれども、育児休業から復帰しまして短時間勤務で働いていた。企画部門にいる総合職の女性なんですけれども、自分でプランニングした企画の会議を、大体夕方の時間からの会議設定で行われるということで、やりくりをしながら会議には出るんですけれども、どうしても出られない場合がある。そうすると、上司に資料の説明をして、資料を準備して帰るわけなんですが、翌日会社に行ってみるとその企画がひっくり返されているというようなことで、非常にやりきれない思いをしている。それから、就業時間後のいわゆるお酒の席でいろいろな仕事の話がされるということで、いたたまれなくなって、やむなく退社をしてしまった。こういう事例が数えれば山ほど出てくるわけなんです。
 それで、子供を育てながら仕事をする、仕事ではなくてもいいんですが、社会にかかわっていくというようなことが当たり前にできない社会に日本がなっているんじゃないか。先進国のほかの国を見るとこれほどの状況というのはないわけですけれども、それが日本では一般的にならないというこの状況をどういうふうに考えたらいいだろうかということなんです。
 私はこういう研究をしていますので、仕事と子育ての両立ということで、少子化の流れを変えるためには重要だというふうに申し上げますが、ただ、実際に仕事と子育ての両立支援をしたときに、では少子化がとまるのかと言われても、それは未知数だと思っています。ただ、これからの社会、人口が減って、子供が減っていくという社会の中で、どういう働き方がスタンダードな働き方なんだろうかというのを考えていく必要があると思います。
 今でこそ、子育てをしているカップルというのは専業主婦の家庭がとても多いんですけれども、これからは、夫婦が働かないと生計が成り立たない、そういう家庭がふえてくるんじゃないかというふうに思っております。そうすると、そういう家庭が一般的になる中でどういう政策をしていった方がいいのかという中長期的な視点からこの問題を考えていただきたいということをまずお願いしたいというふうに思います。
 きょう、私の資料をお手元に配らせていただいておりますが、少子化対策と言われるものの中で、仕事と子育ての両立支援というのがなぜ重要だったのかということなんです。ここに、日本の労働市場の非常な特殊性というものを指摘しなくてはならないというふうに思っております。
 資料の一ページの上のデータをごらんいただきたいんですけれども、これはOECDが分析しましたレポートから掲載してございます。折れ線グラフが六歳未満の子供のいる母親の雇用率ということになっておりますが、日本は33.3%で、ここに並んでいる国の中で一番低くなっているんです。つまり、子供を持っているお母さんの就業率が一番低い。それから棒グラフの方なんですが、これは、仕事と育児の両立支援策を指標化しましてOECDが比較をしたものなんですが、これが左から低い順に並んでおりますけれども、日本はギリシャに次いで二番目にこういった施策の取り組みがおくれている、こういう状況になっております。
 下の表をごらんいただきたいんですけれども、合計特殊出生率、先進国の中で出生率が低下していくという傾向が、80年代ぐらいまでは共通して見られました。ところが、80年代、90年代以降、国によって出生率の動きに違いが見られてくるということになるわけです。
 80年代に出生率が上昇してくる国として、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーのような北欧諸国、それからアメリカといった国が挙げられますが、90年代以降は、さらにフランス、オランダといった国で出生率が回復しております。日本と並んで低い出生率ということで、いつもドイツ、イタリア、スペインといったあたりが取り上げられるんですが、こうしたドイツ、イタリア、スペインをごらんいただきましても、近年、出生率が少し上がってきている。水準としては低いんですが、上がってきている。この中で一貫して下がっているのが日本とギリシャというような状況でございまして、日本の出生率の動向が非常に低水準で、しかも回復の兆しが見られないという状況に来ているということでございます。
 それから、次の二ページの上のグラフをごらんいただきたいんですが、そういう中で、女性の労働力率、労働参加と出生率の関係というのが、80年代までは確かに労働参加の高い国は出生率が低いという負の相関関係が見られるんですが、90年代それから2000年と、労働力率の高い国が出生率が高いという関係が見られるようになってまいります。
 そして下のグラフですが、日本の都道府県で見ましても同様の傾向が見られるということでございまして、女性の労働市場への参画というのを所与にした施策の展開というのが必要だというふうに考えられるようになってきたわけでございます。
 そこで、それでは日本はどういう状況にあるかということで、三ページのデータをごらんいただきたいと思います。
 三ページの上の表になりますが、ここで女性の労働力率あるいは婚姻関係別、末子の年齢別の状況をごらんいただいております。特に、末子の年齢別、一番下の子供の年齢がゼロから3歳、4歳から6歳という未就学児を持つ母親の状況を見ていただきたいんですが、90年代、これが1・57ショックと言われて、少子化が非常に差し迫った状況として認識された時期でございます。このときから比べまして、現在まで、小さい子供を持つ母親の就業率というのはそれほど上がってきておりません。下にも同様のデータを掲載してございますが、特に、週35時間以上働くフルタイムの母親というのは、ゼロから三歳の子供のところでごらんいただきますと、一割という非常に低い水準でございます。
 そして、働いていない人たちがどういう思いで無業状態にあるかといいますと、就業希望を持ちながら非労働力化している、これが小さい子供を持っている女性たちの現状ということになります。
 ですから、90年代以降の少子化対策の中で、この両立支援策というのが大変重要な柱になってきたわけなんですが、その結果といたしまして、出生率に上昇が見られない、母親の就業率は上がってこないということで、限定的な効果にとどまってしまっているというのが現状ではないかというふうに思います。
 それでは、どうしてこの対策が効果を上げなかったのかということなんですけれども、私は、従来の少子化対策が、言ってみれば働く女性のための対策、もっと言ってしまえば小さい子供を持つ人の対策というところで矮小化されてしまったことに原因があるんじゃないかというふうに思っております。本来、仕事と子育ての両立というのは、働く女性だけの問題ではなくて、男性の問題でもありますし、これから子供を持とうとする若い人たちの問題でもあるわけなんですけれども、そこが十分認識されずに施策が展開されたという課題認識を私は持っております。
 そして、子供を持たない理由、理想の子供数を持たない理由として、経済的に苦しいからというのがよく言われます。経済的に苦しいんだったら、では手当を給付しましょうという政策が提案されることも多いわけなんですが、実際に、国家予算というものが今高齢者給付に非常にシフトしていまして、児童・家族関係給付というのは非常にその割合が低い。こういう中で児童・家族関係給付をふやすということに関して、私は何ら異存はございません。
 ただ、子育て家庭の支援策として手当を給付するということは、私は慎重に検討がなされるべきではないかというふうに思っております。女性あるいは男性の望むライフスタイルとその手当の支給のあり方というのが本当にマッチしているものかどうかということをきちんと考える必要があるだろう。
 それで、経済的な理由というときに、なぜ経済的な理由になってしまうかというと、やはり、子供が生まれると妻が仕事をやめてしまうという家庭が非常に多いんですね。そうすると、子供がいないときは二人で働いていたのに、子供が生まれて家族がふえたのに一人が仕事をやめてしまって、二馬力から一馬力になってしまうということで、これで家計が厳しくなるのは当然でありまして、そういった二人の収入減というのを和らげる方向での政策というのも十分考えていいのではないかということでございます。
 それから、職場における対応ということについて次に申し上げたいというふうに思います。
 特に仕事と家庭の両立という問題の中で、職場でのマネジメントの問題というのは非常に重要になってくると思いますが、今、企業がこういった問題になぜ取り組まなくてはいけないかというと、企業の社会的責任、少子化なんだから企業も何か努力しなさいという文脈で、企業の責任論というのが展開されます。
 ただ、私は、それも大事なんですけれども、むしろ、これからの企業にとって、そういった仕事と子育て、仕事と生活といった従業員のライフスタイルに目配りをしたマネジメントというのをしないと、逆に企業としてのパフォーマンスが落ちてしまうのではないか、企業の必然性としてこういう取り組みが求められてくるのではないかというふうに考えております。
 そういう中で、企業が実施している両立支援策の中で大きな期待を寄せられているのが育児休業制度だと思います。
 育児休業制度に関しましては、いろいろ制度改正もなされて、この4月からは改正法が施行されるということで、制度の改善が行われてきております。私はこれは大変いいことだと思うんですけれども、一方でちょっと危惧しますのが、育児休業制度にのみ過大な期待がかけられ過ぎてはいないだろうかという問題です。
 私は二人子供がおりまして、下の子供を産んだときがちょうど育児休業施行の半年前だったものですから、育児休業をとることができませんでした。ですから、育児休業制度の重要性は非常によくわかるんですが、両立支援の切り札という形で育児休業制度に余りに過大な期待をかけ過ぎるのは、むしろ問題が大きくなるのではないかということでございます。
 資料の四ページの下に、育児休業給付という、雇用保険の仕組みで支給されています休業中の賃金補てんのような意味合いの給付金ですね、これの受給者数の推移を載せてございますが、最新時点で女性が10万人、それから男性ですと459人という受給者数になっています。年間に生まれる子供の数が約百十万人ですので、この給付の対象にならない公務員あるいは自営の方というのがいるんですが、ざっと母親の一割、それから父親に至っては0.0何%という水準の取得率になっているわけです。
 この育児休業の取得がふえない理由というのは、いろいろな理由があるわけですが、もちろん、職場で取得をすると言ったら上司から嫌な顔をされた、そういったプリミティブな問題もたくさんあるんですが、一つは、やはり育児休業だけでは育児期を乗り切ることができないという問題があるんじゃないかというふうに思っています。
 現在の育児休業法というのは、子供の一歳のお誕生日の前日までを労働者の権利として休業を保障しているわけです。ただ、育児休業で一歳までを乗り切っても、その後の長い子育ての中で残業とか転勤というハードな働き方を強いられることになると、長期的に考えてここで仕事をやめておこうと選択する人がいてもそれはやむを得ないということで、育児休業だけで子育てが乗り切れない。むしろ、その後の柔軟な働き方というのをこれから考えていかないといけないのではないかということでございます。
 ここで注目されますのが、次の5ページの下のデータをごらんいただきたいと思うんですが、よく、こういった両立支援策というのは中小企業では導入が難しいと言われるわけなんです。ところが、出産後も継続している女性の割合というのは、大企業よりも中小企業の方が多くなっています。これはいろいろな理由があると思うんですけれども、結局、制度があるなしではなく、職場の中で子育てといった状況にどのように柔軟に対応できるかということが重要なのではないかということで、中小企業は確かに制度はないんですが、人材の引きとめ策として経営者の方が大変努力していろいろな対応をされている中で、こういった中小企業で出産後も継続する女性が多いという状況になっているんだろうと思います。
 したがって、子供が小さいときの育児に限らず、もう少し長期間にわたった仕事と子育ての支援のパッケージといった発想から、この両立支援策というものをぜひ展開していただきたいということでございます。
 ただし、その際に、私は、子育てという場面だけを切り取って、子育てを聖域にして、子育てをしている労働者のためだけの施策というのは弊害も多いというふうに思っております。
 子育てをしている人は、確かに、休業ができて短時間で帰れて満足度が上がるかもしれないんですが、周りにいる人たちにそのしわ寄せがいってしまっては周りの従業員の人たちのモチベーションが落ちてしまうということで、周りの人たちのニーズも踏まえたトータルの、子育て支援策よりももっと広い、最近人事の分野で言われていますワーク・ライフ・バランス、仕事と生活の調和、その生活の中には、子育てももちろん入りますが、それ以外のボランティア活動ですとか学習活動、いろいろな活動が入ってまいります。そういうワーク・ライフ・バランスという視点から、子育てを聖域にしない、子育ても含めた働き方の見直しというのが大変重要になるのではないかなというふうに思っております。
 アメリカで、1980年代に、子育てを行っている従業員に対する支援策が大変充実いたしましたが、そのときに問題になったのが、ほかの従業員のモチベーションの問題でした。そこで、90年以降、もっと従業員を包括的に包み込むワーク・ライフ・バランスの取り組みというのが進められてきております。
 それから、イギリスでも近年、ワーク・ライフ・バランスの重要性というのが、企業だけではなくて国の経済にとってもこういった取り組みが重要であるということで国の政策に取り上げられているということで、日本でもぜひ、子育て支援にとどまらず、働き方の見直しという視点から、ワーク・ライフ・バランスの視点からこうした少子化の問題にもアプローチしていただきたいなというふうに思っております。
 日本でこういった取り組みがどういうふうに展開され得るかということを最後に申し上げたいと思うんですが、日本の労働市場というのは、正社員の働き方と非正社員の働き方、非常に距離を置いた二つの働き方が労働市場にあって、その間に選択肢がない、これが一番の問題であろうというふうに思っております。ですから、拘束度が高いけれども雇用保障も強い、両方トレードオフの関係にある正社員の働き方と、拘束度は低いんだけれども労働条件も低いという非正社員の働き方、この二つの働き方の両者をつなぐような多様な働き方がふえてくる、そういった政策対応が必要になってくるのではないかということでございます。
 最後のデータなんですが、6ページの下に、では正社員の働き方が変わるのかということで、データを御紹介させていただきました。
 これは2003年に実施した調査ですが、短時間で働きたいという正社員がどのぐらいいるかというデータを見ているんですけれども、ちょっと色の濃いところがそういう働き方を希望する、それから白っぽいところがどちらかといえば希望するということで、現在からライフステージを切って掲載させていただいております。
 特に男性、左にありますが、下の方の、介護ですとか、あるいは学習活動をしたいとき、社会活動をしたいとき、こういったときに、男性でも短時間で働きたいという人が出てきています。私の周囲にも、賃金が下がってもいいから労働時間をもっと短くしてほしいという人がたくさんいます。
 やはり、子育てをしている人の状況まで想像力が及ばないというのは、結局、その周りにいる人たちがライフがないからじゃないかというふうに私は思っております。ワーク・ライフ・バランスというときには、ワークは、働いている人は大体あるんですが、自分の個人生活というものがしっかりないと、このワーク・ライフ・バランスが難しいと思うんですが、そういったライフの部分をもっと充実させて、子育て以外の人たちのワーク・ライフ・バランスということを考えていただきたいということでございます。
 そしてそれは、働く人にとってももちろんハッピーなことなんですけれども、企業にとっても、やはり満足度を持って働いている人たちが多い組織というのは活性化してくる。そうすると、そういう企業がたくさんふえれば、日本の国の経済としてパフォーマンスが高くなるということで、ぜひそういう視点の重要性という意見を、きょうは最後に述べさせていただきたいというふうに思います。
 以上で意見陳述を終わりにさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
○甘利委員長 ありがとうございました。
 次に、伊藤公述人にお願いいたします。
○伊藤公述人(埼玉大学経済学部教授) 埼玉大学の伊藤でございます。
 資料はございません。しゃべくりだけでやらせていただきます。
 本日、御意見申し上げたいのは、税制と社会保障についての考え方にかかわる問題であります。
 いわゆる定率減税の廃止については、二年をかけて、そして景気に配慮しながらということに決まっているように伺っておりますけれども、これはもっと大きな、全体的な税制再改革の検討と一体で実施していただきたい。さらには、もう一つ加えるとすれば、社会保障改革と一体で考えていただきたいというのが最初に申し上げたいことであります。
 なぜならば、これは時限的なものとして始めたんだからまずここを戻すというのは、行政的といいますか形式的な取り扱いであって、長い目で見た税制の改革の中で、これを実施することがどう位置づくのかというのを改めて考える必要があるだろうと思うからであります。そうでないと、これはまた、取りやすいところから負担がふえるというような受け取られ方が出てまいりまして、国民のマインドが下向きになりまして、景気に対して悪影響が出るだけということを恐れるからであります。
 そう申しましても、私はすべての増税がよくないと言っているわけではなくて、中長期的にはむしろ税負担水準の上昇は日本においては不可避であるし、また必要であるというふうに考えています。それも、わずかではなくて、ある程度大きな負担水準の上昇というのは不可避かつ必要であると考えています。
 なぜならば、景気循環の関係での税収の減少というのもありますけれども、これを取り去った上でもいわゆる構造的な赤字というのが残るという分析結果が出ておりまして、今、国際的に見ても負担水準が低い状態から、ある程度上げていくことは不可欠であると考えるからであります。
 また一方、支出の方でも、社会保障の必要性というのは、高齢化のさらなる進展に伴ってこれは否定できないことでありますので、むしろ、税、社会保障負担の水準の上昇というのは避けられないもとで、それをどうやりくりしていくかというふうに頭を進めた方がいいのではないかというふうに考えます。
 その際、特に重要だと思うのは考え方でありまして、下手をすると国民をミスリードするようなキャンペーンをやってしまいはしないか。それは有害な結果を既にもたらしているし、今後もそうならないように注意すべきだという点でございます。
 例えば、今三つ挙げたいと思うのですけれども、一つ目の例は、長期の公的債務が、先ほど来資料にも出ておりますが、7百兆円を超えてくる。これについて、国民一人当たりに直しますと6百万円を超えるというようなことがよく言われるし、目にするわけであります。
 しかしながら、あらゆる借金はそうでありますけれども、すぐに全額返済する必要はないわけでありまして、このように一人当たり幾らと言いますと、国民の間には、あたかもすぐさま全額返さなければいけないというような考えが浮かび、これが景気に対して、あるいはもう少し長い目で見ても、非常に有害な結果をもたらすのではないかと思います。現在必要なのは、対GDP比でまず100%のラインを切って危険水準を脱出する、そういう方向に向けて動き始めることであろうと思うわけです。
 それから、二つ目の例でありますけれども、重税というようなキャンペーンですね。特に中心になるのは、所得税が重税あるいは重税感が強い、中堅サラリーマン層に対してこれがきついというようなことがよく言われるわけでありますけれども、これは、冷静に国際的に比べてみたりすれば、事実に反するんだろうというふうに思います。負担率は、よく見られるとおり、先進国の中で低いわけでありますし、もっと具体例を言えば、年収1千万円のサラリーマンというのは、恐らく多くの場合、所得税は100万いっていないはずでありまして、税率が10%に満たないというのを中堅層の重税と言うのかといえば、これはそうは言わないのが常識だろうと思います。
 それから法人課税につきましても、これも法人税率の国際比較というのがよく出るわけでありますが、考えてみれば、法人の税負担というのは法人税だけではないわけで、地方税もあるし社会保険の使用者側負担もあるし、あるいは税率だけではなくて課税ベースがどうなっているかというのがもう一つの大きな要素であるわけですから、これをもって重い軽いという議論をするのは少し足りないというふうに思います。
 今申し上げた直接税関係では、よく所得捕捉の不完全性ということが問題になるわけですけれども、これについては、財政事情が厳しい折といえども、以前から、税務行政に携わっている方から御指摘があるとおり、税務職員の増員をやって、これによって所得捕捉の漏れについて拾い上げていくことができるんだよという話があるわけですから、これを実施すべきであるというふうに考えます。
 それから、キャンペーンのたぐいについての三つ目の例なんですけれども、これが一番重要かなと思いますが、高齢化が現役世代あるいは若い世代を圧迫して、その負担に耐えかねて日本経済の活力が落ちてしまうというようなことが、これは常識的なものとして言われているわけですが、これはちょっと言葉が悪いですけれども、非常に有害な危機あおりの部分が含まれているというふうに私は考えます。
 例えば、かつては現役7名で退職者1人を養っていたとか、もう少し最近に近づきますと、5人で1人であったのが、これからは2人で1人を養わなければならないというようなことがよくパンフレットに書かれているわけでありますが、これは極めて事態の一部分だけを取り上げた、ミスリーディングなものだろうと思います。
 なぜなら、全人口のうちで、もし扶養する側に立つのが現役の働いている世代だとしますと、これは高度成長期において全人口の60%強であったのが、今後見積もられるのは50%台前半になっていくだろうということで、一割とかそういうレベルの問題なんですね。それが、7人で1人が2人に1人というふうに何倍になるというようなイメージが広がりますと、これは悪影響を及ぼすのは明らかだろうと思います。
 扶養されるべき立場に立つのは、高齢者だけではなくて、専業主婦もそうですし、これはだんだん減っていく。まだ就職する前の子供の世代もそうで、これは困ったことですけれども減っているということを考えると、何倍にも現役の負担が重くなるかのようにミスリードするような言い方というのは厳に慎むべきだろうというふうに考えます。
 それからもう一つですけれども、これもはやりになっている世代間不公平、世代会計の話であります。
 今既に年金をもらっている高齢者は、若いときは掛金が少なくて今はたっぷりもらって得だな、我々若い世代は損だなということで、日々学生と接してみますと、もう年金制度に対する信頼が地に落ちているというのは非常に感じるわけであります。非常に誤った観念が広まっておりまして、払ったって一銭も返ってこないというふうなことが今の二十前後の国民の間に定着している率が実は非常に高いわけであります。
 このような損得というのは非常に間違った考え方を含んでいるだろうということで、これについては、アメリカの経済学者でロバート・バローという人がいて、合理的期待学派に属する人なんですけれども、この人が初めに定式化して、日本ではいち早く宮島洋先生がこれを社会保障問題に適用してまとめられておりますが、非常に重要な考え方だと思われるのは、正味の負担という考え方であります。つまり、例えば高齢者の生活を支えるというのにこれだけの負担が必要だとしましても、それは私的な、プライベートな負担の部分と、社会保障等を通じる公的負担の部分と、二つがあるわけであって、これを合わせて全体である、大体一定の額になるというものであります。
 私的な負担というのは、昔、社会保障がさほど充実していなかったころは、子供や孫あるいは親戚で、仕送りをするだの、もし同居していれば介護といったような労力も出す、生活費も出すといったような、家族内、親戚内での支え合いであります。この部分と公的負担の部分が合わさって一定額でありますから、今後の若い世代は負担が大変だといって社会保障の水準を今切り下げておくとすれば、それは若者の負担が本当の意味で下がるのではなくて、公的負担の部分が減って、私的負担をしなければいけない。もちろんこれは自分で若いときに蓄えておくというものも含めてですが、それがふえるだけなので、差し引き変化はない、つまり正味の負担は変わらないということで、構成が変わるだけなのだという議論であります。
 この考え方が非常に重要だと思いますのは、例えば今、シルバー大学とかそういう機会がふえてきているわけですが、現在の年金受給者の中に、後ろめたさとか心理的な圧迫感を感じていられる方が非常に多いわけであります。我々は得をしている世代なのか、若い者に対して申しわけないと実は思っていたという方が結構多いわけであります。
 ところが、それは実は正しくない考え方であって、現在の高齢者が若いときは、それは年金の掛金は安かったけれども、そのかわり全体の制度が整っていなかったので、自分の親に対しては私的負担をたくさんやっているわけだから、これも考えれば、世代面で損得ということはそう簡単に言えないはずである。そうであれば、我々が考えるべきなのは、私的負担と公的負担のこの割合をどのようにミックスした社会を構想するかであります。
 ここは意見が非常に分かれてくるところかもしれませんけれども、私の個人的な価値判断としては、日本の現状を考えれば、ある程度公的負担の割合が高い方が、よい社会になるだろうと判断いたします。
 例えば、一例ですけれども、一部の国会議員の方から、年老いた親の面倒を見るのは息子のお嫁さんであるのが日本古来の美風であるというような意見が漏れ聞こえてきますけれども、それは同居していたらできますけれども、離れていたらできないわけですね。このように、各家庭によって所得や資産、その他、同居とか労力がどの程度出せるかというような条件は非常にばらついているわけですから、これは公的なルートをある程度ふやすことによってならすことができるというのは、今後の日本社会の現実を見たときには、ある程度の水準がぜひとも必要であろうというふうに考えます。
 これは、先ほどの話じゃないですけれども、負担であるとか、国が金を出せとか、自治体が金を出すべきであるとかいう考え方ではなくて、国民が相互に扶養し合うことをやっているわけで、中央、地方の政府は、国民の相互の扶養し合いの仲介とか代行をよりうまくやるというふうな考え方をすべきではないかと思います。
 次に、今の話で中心になるかと思います年金等の問題なんですけれども、これについては、私の意見としては、各制度の一体化と税方式化というのが基本になるだろうというふうに考えております。
 昨今、格差の拡大だとかいうことがいろいろなデータでも言われておりますし、それに、高齢化が進めば進むほど、高齢者ほどその格差を含んでいるということから考えますと、応能原則ということは、人気がないんですけれども、実は今後ますます必要だというふうに私は考えます。負担は能力に応じてということですし、給付の方は必要に応じてというふうに、できるだけ近づけるべきだと思います。
 例えば、年金、医療、介護だとか、年金の中での各制度、これを個別に扱いますと不効率があるというふうに思います。なぜならば、各制度の中で重複が生じたり、あるいは、個別にとると非常に必要度の高い人と低い人がいるんですけれども、これはできるだけ一律に扱わなきゃいけないということで、各制度の中での高い方というんですか、給付の水準を高くしなければいけない方に各制度が合わされる結果、肥大化する傾向が出てくるだろう。それから、各制度を個別に設計した結果、全部合わせてみると負担原則がゆがむというおそれがあることからであります。したがって、各制度をできるだけ一体的に扱うのがいいというふうに考えます。
 これも考え方次第でありまして、相互に保障するというようなこと、保険の原理というのは非常に効率的なわけでありまして、例えば自分で老後の準備をしましょうといっても、各個人が私的な貯蓄を個々にやりますと、最大限かかるときの老後の生活費というのは非常に高額になりますから、これをみんなが個々に備えるというのは非常に不効率になります。これを社会保険のような原理で相互に保障しますと、平均的に一人当たりで備える必要性というのは非常に低くなるわけですから、効率的である。
 このようなことを考えますと、社会保障の各制度を全体として扱うときには、まず、個別リスクあるいは特定リスクを十分にカバーする。例えば介護の必要な場合とか特定の重い医療の必要だとか、こういうところをまずカバーして、優先順位としては後に持ってくるのは包括的な所得保障、このやり方で考える方が効率的である。まず最初にだれに対してもある程度の包括的な所得保障をやろうとしますと、その中には、特定のリスクがもし実現してしまったときのこれだけ必要だというものが入ってきますので、非常に水膨れをしてしまうという性質があるのだろうというふうに思います。
 具体的に、年金については基礎部分を税で賄うようにすべきだというのは全く個人的な意見ですし、それは別に消費税に最初から限定する必要はないだろうと思います。それから、基礎部分のところをしっかり確保することが重要で、所得比例の部分を余り重要視する必要は実はないのではないか。付加部分は個人個人で選択に任せるという部分があっていいんだろうというふうに考えますので、まずは、今、国民に安心を与える観点からは、基礎部分をとにかく一定程度を確保するという制度設計であり、メッセージだろうというふうに考えます。
 この際、間違えてならないのは、税方式に大幅に移行しますと、現在行われている社会保険の負担、これは雇用者についても、あるいは使用者側についても、基本的にその分なくなるわけでありますから、その分を所得税や法人税のアップの方でどううまく調整していくかということになります。現在の例えば社会保険の使用者側負担というのは、従業員を雇用することに対する課税ということに実際上なっております。これはバイアスを生みますので、そうではなくて、このおもしを外して、もっと一般的な課税の方に移すというのが、中立の観点からも望ましいと考えます。
 最後に一言、提案を申し述べたいんですが、先ほど来申し上げておりますように、国民の間ではいろいろな情報が飛び交って、必ずしも事実に即していない、また、やや悪い結果をもたらすような観念というのが定着しがちであります。特に税については、自分がどれだけの計算で、どれだけの税額を毎年払っているのかというのを正確に把握している源泉徴収者は少ないと思います。これは、確定申告をやるときのように、税金の計算方法とその金額を源泉徴収者に対しても個別に通知する、これによって国民に真実が伝わって、もっと予算や経済論議というのが地に足のついたものになっていくのではないかと思いますので、ぜひこの制度を御検討いただきたいと思います。
 以上でございます。(拍手)
○甘利委員長 ありがとうございました。
……中略……
○佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。
 きょうは、貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。私は、景気回復と財政のあり方という観点から、伊藤公述人、山家公述人を中心にお伺いしたいと思っております。
 現在、景気が踊り場であるということが言われておりますが、これから景気が一体どうなっていくのか、回復の過程なのか、あるいはさらに下がっていくという過程なのか、ここが非常に判断が難しいところだろうと思うんですが、今回の予算、この財政政策が景気全体にどういう影響を与えるかということも大変重要だろうと思っております。
 そこで、まず伊藤公述人にお伺いしますけれども、現局面の景気の現状をどのように認識されているか、それから、先ほど税、社会保障のお話がありましたが、それも含めた今回の予算、それが景気にどのような影響を与えるか、この点の御見解をお伺いしたいと思います。
○伊藤公述人(埼玉大学経済学部教授) 景気の判断については、いろいろ意見があって、大変難しいところだと思います。大きく分けて弱気派と強気派に分かれるのだと思いますが、弱気派の方はこれを機会にして落ち込んでいくリスクが非常に高い、それから、強気派の方は踊り場ということで一時的な横ばいがあってまた何らかの回復コースに乗るだろうと考えていると思いますけれども、私はどちらかといえば踊り場と見る方に近いわけであります。
 その理由は、基本的には、先ほど輸出が非常に景気の動向とかかわっているというお話がありましたけれども、それは事実だと思いますけれども、輸出の反面にはマイナス要因として輸入もあって、2003年度以降、外需主導とは余り言えなくて、今の景気動向の中心を担っているのは大企業製造業部門の利益とそれをバックにする設備投資の動きだというふうに私は考えております。そう見ますと、90年代の設備の廃棄というのが大変進んできましたところから、ちょっとやそっとではなかなか折れないくらいの設備増強の意欲というのが日本の産業の中にはある程度あるのではないか、爆発的ではないけれども根強いものがあると考えておりますので、今、踊り場といいますか、小さな下がり、下がる局面にありますけれども、これはやがて回復して、高い成長ではありませんけれども、2002年、3年から4年まで続いてきたような経路にはまた乗るだろうというふうに考えております。
 今回の予算については、際立って何らかの、上へあるいは下への影響を与えるということはないだろうというふうに考えております。
 以上でございます。
○佐々木(憲)委員 山家公述人にお伺いしますけれども、最近、先生がお書きになった「景気とは何だろうか」という岩波新書でありますけれども、これを読ませていただきました。先生は、景気が回復するということは暮らしが一般的にはよくなるだろうというふうに期待をされるのが普通なんだけれども、しかし景気回復と暮らしがよくなるということは必ずしも一致するとは限らないというふうに本の中でも分析をされております。
 その辺の見方、なぜそのようにお考えになるのか、それから、現経済局面をどのように判断されておられるか、お聞きをしたいと思います。
○山家公述人(暮らしと経済研究室) まず景気の現状について、お答えは逆になりますが、順序として私の考えを述べますと、現状は完全に踊り場だと思います。2003年の後半から2004年の初めにかけてかなり勢いよく景気が回復してきた、それから、2004年の半ばから完全に、中だるみといいますか横ばいあるいは若干マイナスの状況に今なって、今日に至っております。
 これからどうなるかですが、正直言って私はわかりません。これからどうなるかは、さっきお話ししましたが、ひとえに輸出にかかっている。ということは、アメリカとか中国の景気にかかっている。あちらの景気がもう一回盛り返して日本の輸出がふえるようになりますと、景気は今が踊り場でまた回復を続ける、そういう可能性はあると思います。逆に、アメリカとか中国、あるいはどっちか一方が景気が失速しますと、日本の景気もたちまち衰えてしまう。設備投資も、輸出のふえ方に応じて活発化しているものですから、輸出というものがなくなれば、消費が伸びない限り、設備をつくってもしようがないという状況になります。設備投資も衰えていくだろうというふうに思います。
 そして、アメリカとか中国、今一般の見方は、何とかいくだろう、ことしは大丈夫だろうという見方が大半でありますが、実は大きなリスクを抱えていることは御承知のとおりでありまして、アメリカは年間6千億ドルぐらいの輸入超過、経常収支の大赤字を出しています。財政収支も4千億ドルを上回る赤字でありまして、いわゆる双子の赤字が、前のブッシュ大統領あるいはレーガン大統領のころに比べて一回り大きくなってまた生まれてきたという状況にあります。
 ですから、こういう状況からしますと、いつ大幅なドル安、ドルの崩壊が起こってもおかしくない、何かをきっかけに起こってもおかしくないという状況でありますし、しかも今、多少景気が回復して物価も上がり出して金利を上げておりますから、この金利の引き上げによって、例えばアメリカの株価とかあるいは個人消費に大きな影響が出てくることも懸念される。
 というわけで、うまくいけばうまくいくけれども、まずくいけば大変なことになる、日本の景気もそれに左右されるであろうから、現状はどうも判断しがたいというふうに見ております。
 そして、今の予算との関係で申しますと、そういうときにこそ、外が多少どうなっても何とかなるような状況を国内でつくり出しておかなければいけない、そのためには消費を回復させる必要があるというのがさっき申し上げた趣旨であります。
 それから、最初の御質問、最近の本、この2月の半ばに出たばかりの本でございますが、岩波新書の中で、私は、これまでは景気がよくなると暮らしは確実によくなっていただろう、例えば給料も上がるし、いい就職口もふえてくるし、それなりにいいことがあった。ところが、今の景気回復はそうではない。
 もうちょっと言いますと、1999年から2000年にかけての景気の回復がありました。それから、2002年からことしにかけての一応の景気回復、この2回の景気の回復に共通して言えることは、景気がよくなってもなかなか給料が上がらない。さっき雇用者報酬でごらんいただいたとおりであります。景気が回復して既に2年目、3年目を迎えておりますけれども、給料はまだ下がり続けている。要するに、これまでの日本経済とは変わって、景気はよくなっても給料は上がらない、企業がそういう行動をとることによって辛うじて収益を確保して景気をよくしているという状況が生まれてきているということが一つあります。
 それから、まだありまして、就職口の問題。これは申し上げませんでしたけれども、雇用者数自体もこのところ傾向としては減っております。景気はよくなっても雇用者はふえない、企業はリストラをするという状況が続いております。
 それからもう一つ。去年になって多少雇用がふえ始めましたけれども、その雇用の中身は何かといいますと、主として非正規雇用。さっきちょっと御質問のときに申し上げましたが、パートとかアルバイトあるいは派遣労働といった非正規雇用でありまして、正規雇用、正社員の数はむしろ減っております。ですから、景気がよくなってもいい働き口は一向にふえない。安くて非常に労働の厳しい就職口ならあるという状況に辛うじてなっている。これも、景気がよくなってもよくならないということであります。
 それから、正規社員でありますが、正規社員については、景気がよくなると働き方がますます厳しくなる、残業時間が長くなるという傾向が出ております。これも、政府の幾つかの調査などによりまして、長時間労働が日本で非常にふえている。平均しますとそんなにふえていないのですが、これは、短い時間労働の人の割合がふえているので、全労働者平均しますと労働時間全体はふえていないのですが、正規社員だけに限って見ますと長時間労働が非常にふえている。
 先ごろILOの統計で、週に50時間働く人の比率というのが発表になりました。日本は28%という比率でありまして、これは世界で断トツであります。アメリカが20%ぐらい、それからニュージーランドとイギリスが10数%ですか。大陸ヨーロッパの諸国はほとんど4、5%の水準。1週間に50時間も働く人はそれぐらいしかいない。日本だけは4人に一人かそれ以上の人が働いている。景気がよくなったらこういうことが起こっているわけです。
 ですから、最近の状況はどうも、景気がよくなったら給料が上がる、ボーナスがふえる、あるいはいい就職口がふえる、仕事がよくなるということにはない、景気がよくなってもなかなか生活はよくならない状況が生まれてきているというふうに認識しています。これがどうしてこうなったかはまた別の問題になりますので、御質問についてはそういうふうにお答えしておきます。
○佐々木(憲)委員 ありがとうございました。
 景気がよくなってもなかなか暮らしの方はよくならないという構造に変わりつつあるという御認識でございました。
 そこで問題なのは、景気回復が本当に安定的に行われていく、あるいは日本経済の発展が順調に進む、こういうふうになっていくのが望ましいわけですが、そのポイントになるのは、先ほどおっしゃったように、内需の55%、GDPの55%を占めている家計にある、どのようにしてそこのところをふやしていくかというのがポイントになるというふうにおっしゃっておられたと思います。
 さて、そこで問題なのは、それをどのようにして実際に具体的に国の政策として支援していくかというところだろうと思うのです。
 私は二つあると思いまして、一つは企業の側。これは、今おっしゃいましたように、リストラが当然であるかのように進んでいく、それに対して、ヨーロッパの場合は一定の歯どめがありますけれども、日本はなかなか法的な規制がない、そういう状況の中で、それに対してやはりリストラを野放しにするような状況を何とか転換できないだろうかというのが一つであります。
 それから、もう一つは財政の問題。国の予算でありますが、その面で家計負担をできるだけ軽減していく、家計を支援するという方向への転換が求められているのではないか。
 私はその二つだと思うのですが、この点で、山家先生、政策的に何と何と何が今必要かという点、お考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。
○山家公述人(暮らしと経済研究室) さっきの話の続きになりますが、家計がなかなかよくならないというのは、要するに、輸出その他でもうかった部分が企業の中でとまっている、それが家計に向かって流れていかない構造になっているところに大きな原因があるかと思います。ですから、家計をよくするためには、おっしゃるように、企業の収益、その中で特に輸出関連の大企業にたまっている収益をそこで働いている人々に還元していく、あるいはそこに商品を納入している中小企業等に還元していく、こういうことが必要であろうと思います。
 ですから、専ら大事なのは賃上げですから、これは政府でなかなかどうこうできるものではない、組合に頑張ってもらわなきゃいけない。あるいは、企業にもそれなりの、長期的に見たらその方が企業にとってもいいことだという自覚が必要かと思いますが、政策的にはなかなかしにくいところであります。
 では、政策で何ができるかといいますと、一つは、今おっしゃった、企業のリストラ、正社員を非正規社員に置きかえる、そういうことをどんどんやっておりますが、それは政策によって歯どめがかけられる。さっき言いましたように、むしろ今、逆の改革が行われて、リストラをどんどんやりやすくするような改革が行われていますが、もとに戻すというか、そうでない方向に改革するということが必要であろうかと思います。余り無制限に非正規社員に仕事をさせるようなことはしてはいけない。
 それからもう一つは、どんな働き方をしても同一労働同一賃金、要するに、非正規社員に仕事を割り振っても払うコストは同じであるという格好にしていけば、ある程度移転は進んでいくというふうに思います。それが政策的にできることです。
 それからもう一つは、残業時間の規制といいますか、最低限、不払い労働をなくする。これは、最近、労働基準監督署の調査によりますと、基準監督署の命令で支払われた賃金が年間で200億から300億あるようでありますが、実態はもっともっとあると思います。そういう不払い労働をなくすれば、これも企業から家計に向かっての所得の移転が起こります。そういう政策ができると思います。
 それから、財政措置について言いますと、私は正直言いまして、法人企業はこれだけもうかっているのでありますから、法人税はもっと、負担をふやしてもよろしい。
 法人税率は、今、日本は世界で一番低い国々の中に仲間入りいたしました。ただ、実態を言いますと、租税特別措置法等でおよそ1兆8千億円ぐらい減税が行われているというふうに聞いております。これは税調の資料か何かにそういう数字がありました。かつて法人税率を30%に引き下げるとき、セットで、法人税率は下げる、ただし租税特別措置は見直すということがあったと思いますが、景気の状況に配慮して税率の引き下げだけに終わっております。特別措置の見直しはそのままになっている。これを見直すだけで、全部なくすれば1兆8千億円の税収がふえるわけであります。あるいは、法人税率をもう少し上げても、今の企業には耐える力ができていると思います。
 そういう格好で法人からある程度の政府の所得を得て、それでもって低所得者層を中心に減税をするということも可能になるのではないか。それも企業から、特にもうかっている大企業から家計に所得を移転させる、景気を本当によくする一つの方策ではないかというふうに思っております。
 以上です。
○佐々木(憲)委員 ありがとうございました。

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