東海での活動
【10.12.24】経産大臣に亜炭鉱廃坑陥没事故に関する申し入れ
2010年12月25日、佐々木憲昭議員は、大畠章宏経済産業大臣に対し、岐阜県御嵩町で起きた大規模な亜炭鉱廃坑陥没事故に関して、「国として緊急的な対策をとる」よう申し入れを行いました。
吉井英勝衆院議員(党議員団経済産業部会長)秘書、党岐阜県委員会常任委員・鈴木正典さん、党可児市議会議員・伊藤健二さんも参加しました。
佐々木議員は、12月9日に、岐阜県御嵩町の現地を視察するとともに、渡辺公夫町長や住民から要望を聞いていました。
御嵩町では、10月20日、約75×65メートルの地面が最大3メートルに渡って陥没、住宅5世帯17人がいまも避難生活を余儀なくされています。
同町では居住地の6割にあたる地下に百数十カ所にわたり亜炭廃坑が存在し、「いつ陥没事故が起きるか分からない」と住民は不安な日々を過ごしています。
佐々木議員は、御嵩町作成のハザードマップを示しながら、公共施設の地下が空洞になるなど危険な状態が続いていること、特定鉱害に認定されても、鉱害対策のための「基金」(特定鉱害復旧事業等基金)が、「建物や道路の復旧以外には使えない制度」であるため実態に即した救済が行われないこと、年々地盤は劣化していくが空洞の埋め戻しなど陥没を予防する措置には使用できない制度であることなどを指摘、「基金」の柔軟な運用を求めました。
大畠大臣は、「指摘されたことは理解できる。住民の要望にもとづいて基金をもう少し柔軟に運用できないか、何らかの形で期待に応えられるようにしたい」と明言しました。
佐々木議員は、基金が設置されている12県で被害の実情を的確に把握し、国の責任で必要な措置をとるよう求めました。大畠大臣は、「地方の経産局とも協力して事実関係を調べる」と述べました。
経済産業省への要請文
今年10月、岐阜県御嵩町で起きた亜炭鉱廃坑陥没事故により、5世帯17人が、年の瀬を迎えた今も避難生活を余儀なくされています。同町では毎年のように亜炭鉱廃坑陥没事故が起きており、今回の大規模な事故により、住民の不安はさらに増しています。
そもそも亜炭は、石炭に準ずるものとして、明治期から採掘されてきました。第二次世界大戦中、石炭の代用燃料・補助燃料として亜炭も配給統制下におかれたほか、一部の炭坑は軍直属鉱に指定され、航空燃料や軍需工場の燃料確保を目的とした生産増が図られました。戦後の復興期においても、繊維産業、陶磁器産業などの重要なエネルギー源として活用されてきたのです。
中でも美濃炭田と尾張炭田はその規模も大きく、最盛期には日本の亜炭の40%以上を産出。「可児の亜炭」「亜炭の御嵩」との言葉も生まれたほどです。
政府自身、戦後の日本復興の重要なエネルギー産業として、石炭に力を入れるとともに、その補完産業としての亜炭の振興にも力を入れてきました。それは、昭和20(1945)年12月、石炭庁に亜炭課が設置されたことを見ても明らかです。
このように石炭・亜炭産業の振興は、もともと国策として取り組まれてきたものです。しかし、実際の採掘事業は、“公”が主導・推進したものではなく、民間の鉱業権者が、国の許可や監督を受けて行ってきました。鉱業の縮小に伴い、十分な手当てがなされていない廃坑が多数残され、各地で被害が相次いだため、国は臨時石炭鉱害復旧法(昭和27年)と石炭鉱害賠償等臨時措置法(昭和38年)の「鉱害二法」を制定。「被害者救済」を目的として必要な対策をとってきたのです。
ところが、時限立法である「鉱害二法」の失効以降、創設された「特定鉱害復旧事業等基金」は、「復旧以外のことができない堅い制度」(岐阜県知事)であるため、被害者の実態に即した救済や、陥没を予防するための対策等に使用できない制度的な限界があります。ここに大きな問題があります。
また、廃坑内の残柱の劣化や風化などにより、浅所陥没や沈下の増加も予想され、今後、当該基金が枯渇するのではないかと懸念されています。現在、全国12県で「基金」が設置されていますが、被害等の実態把握は各自治体任せです。
2003年の宮城県北部地震の際には、亜炭坑が多数存在した矢本町(現:東松島市)で32か所もの廃坑陥没が発生しました。岐阜県御嵩町では、居住地の6割にあたる地下に157箇所以上の廃坑が存在しています。いつ陥没事故が起きるかわからない、住民にとってこんな不安なことはありません。
以上の点をふまえ、国としてすみやかに次の通りの対策を講じていただきたきますよう申し入れます。
少なくとも鉱害復旧等基金による復旧事業が行われている12県における被害の実情を的確に把握し、国の責任で必要な措置をとること。
とりわけ、