アドレス(URL)を変更していますのでブックマークされている方は変更してください。
<< ホームへ戻る

憲昭からの発信

憲昭からの発信 − 寄稿文

【08.05.08】陸上自衛隊久居駐屯地で旧帝国陸軍起源?100周年 戦前戦後の区別がない!名タイ

「名古屋タイムス」『政論紙上バトル 愛知の国会議員が斬る』
愛知選出の若手・中堅国会議員による連載コラム
2008年5月8日


 驚くべきことに、日本の陸上自衛隊駐屯地のなかで、4月26日、唯一「創設100周年」の記念行事がおこなわれたところがあります。陸上自衛隊久居駐屯地です。陸上自衛隊が創設されたのは1954年ですから、100周年というのは旧帝国陸軍が久居に部隊を駐屯させてからの計算です。旧軍時代には、歩兵33連隊が駐屯していました。
 防衛省にも確かめましたが、陸上自衛隊の記念行事で「100周年」と銘打ったものは他にはないということです。これでは、戦前・戦後の区別がまったくつかないではありませんか。
 実際、陸上自衛隊久居駐屯地司令・第33普通科連隊長は、地元紙に「談話」を発表して、帝国陸軍時代の「軍人勅諭」を礼賛し、いまでもその一部を学ぶべきものとして紹介しています。連隊長は、「通算100年の輝かしい歴史」として「戦果」を紹介し「軍人勅諭は心のよりどころ」だと述べています。
 私は、昨日、防衛省にたいして以下の3点をただしました。
(1)防衛省・自衛隊は、久居駐屯地について、旧軍から通算して100周年という数え方をしているのか。
(2)「通算100年の輝かしい歴史」「戦果」「軍人勅諭は心のよりどころ」という 陸佐の「談話」については、防衛省も同じ考えと理解してよいか。
(3)そのような立場に立たないとすれば、このたびの行事には問題があるのではないか。見直すべきではないか−−。
 これにたいして防衛省の担当者(官房の広報)は、以下の見解を示しました。
(1)「100周年」とは、あくまでもその土地に100年前、駐屯地ができたことに発するもので、旧軍と自衛隊に連続性があるというものではない。
(2)陸佐の発言はあくまで個人のもので、防衛省の認識は同じではない。関知していない。
(3)記念事業については、いま変えることはできない。
 これは、開き直りともとれる回答です。
 当日、久居市内では15時から16時までのあいだ、約300人の自衛隊員が、迷彩服姿で銃身1mほどの自動小銃を肩から斜めにかけて行進しました。音楽隊と指揮通信車が先導し、軽装甲機動車や全長約7mの大型大砲が続きました。──通常の往来でこのような行進がおこなわれること自体、たいへん異常なことです。

Share (facebook)

このページの先頭にもどる