憲昭からの発信
憲昭からの発信 − 寄稿文
【06.08.17】あきれた靖国開き直り参拝 首相は村山談話に立ち戻れ名タイ
「名古屋タイムス」『政論紙上バトル 愛知の国会議員が斬る』
愛知選出の若手・中堅国会議員による連載コラム
2006年8月17日
8月15日朝7時半すぎ、秘書官をともない公用車で乗りつけておこなわれた小泉純一郎首相の靖国神社参拝の「強行」には、“驚く”というより“呆れた”というのが正直な気持ちです。
アジア外交や今後の政治への影響など、どうなろうとまったくかまわないということなのでしょうか。――無責任きわまりありません。
8月15日に参拝した首相としては、中曽根元首相以来21年ぶりのことですが、小泉首相は「8月15日を避けても、いつも批判・反発は変わらない。いつ行っても同じなら、今日が適切だ」と言い切りました。この言い分は、あまりにも挑発的であり、開き直り以外の何ものでもありません。
もともと靖国神社というのは、「天皇のために戦死した軍人・軍属をまつる神社」です。戦前、侵略戦争遂行の精神的支柱の役割を積極的に果たし、戦後もこの侵略戦争を賛美し続けてきました。
同じ戦争犠牲者でも、たとえば西南戦争で没した西郷隆盛はまつられていません。また、大空襲で犠牲となった国民もまつられていないのです。戦後、一宗教法人とされてからも、「国事に殉ぜられた人々」を「英霊」としてまつるという、戦前の神社創建の趣旨はそのまま踏襲されました。
しかも、太平洋戦争を開始した東条英機元首相をはじめ14人のA級戦犯が、1978年にひそかに「昭和殉難者」として合祀されていたことが79年に明るみに出て、大問題になりました。
最近、「A級戦犯は罪人ではない」と公言するなど、日本の過去の侵略戦争を正当化する言動も自民党のなかにあります。しかし、日本が戦後、国際社会に復帰したのは、A級戦犯ら戦争犯罪人を裁いた東京裁判を受け入れて講和条約を結んだからです。
東京裁判は、当時最高の戦争責任者であった昭和天皇の責任を追及しなかったという不十分さを残しましたが、同時に1928年の不戦条約で禁止された「国際紛争解決の為」の戦争を、国際犯罪と位置づけ、侵略戦争の指導者を裁いたものとしてその後の世界平和の探求に大きな意義をもつものとなりました。
戦争犯罪人であるA級戦犯の合祀を当然視し、侵略戦争を肯定する靖国神社を、国の代表である首相が参拝することは、過去の侵略戦争を肯定する立場に日本が立つことを内外に表明することになるのです。
小泉首相の言動には、与党のなかにも懸念が広がっています。また、中国や韓国の国民感情を刺激し対日批判を激化させているだけでなく、アメリカからも「アジアにおける日本のイニシアティブを低下させている」と批判されています。
日本の首相は今後、靖国参拝をやめるとともに、少なくとも侵略戦争と植民地支配にたいする反省と謝罪を表明した1995年8月15日の「村山談話」に立ち戻るべきです。