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憲昭からの発信

憲昭からの発信 − 寄稿文論文・対談

『東倶知安行』に学んで

「小林多喜二生誕100年没後70周年記念シンポジウム記録集」
2004年2月20日


 今年の6月に、小樽商科大学の卒業生の会である緑丘会で「最近の政局について」と題してお話をする機会を与えられましたが、その緑丘会の東京支部長が白樺文学館多喜二ライブラリー館長の佐野力さんでした。その時に、秋にはシンポジウムをやるのでぜひ来てくれということでした。それで、私は聞くだけでいいのだろうと思っていたところ、突然あいさつしてくれという話になり、今日ここでお話することになったわけです。
 私は1968年に小樽商科大学を卒業いたしましたので、小林多喜二の40数年ほどの後輩に当たります。学生の頃には、まだ多喜二が学んだ木造の校舎が残っていました。小樽の地獄坂という急な坂を登ると小樽商科大学があります。その大学の智明寮で、私は4年間を過ごしました。古い木造の校舎は若草色に塗られていましたが、校舎内を歩くとギシギシと音がしていたことを思い出します。
 私は、毎年の必ず小樽を訪問しています。今年8月も、小樽商大と多喜二文学碑を訪ねました。多喜二碑は、私が学生の頃には小樽全体が見渡せるところにつくられていました。しかし今では、うっそうとした林の中に埋もれていて、歴史を刻んできたと感じをさせるものがあります。
 しかし、多喜二の文学はといえば、青年のころに読んだ感動を今でも鮮明に思い出します。とりわけいま、衆議院議員をやっている関係もあって、私が一番好きなのは「東倶知安行」という作品です。これは、第一回普通選挙で吹雪をついて選挙活動する遊説隊の物語です。馬橇が雪の中でひっくりかえったりするなど、様々な困難に負けずに社会変革をしようとする人々の熱意がひしひしと伝わってくる作品です。これを読むたびに、頑張らなければという気持ちになるのです。
 いま私たちの前には、イラク派兵をめぐって緊迫した状況が生まれています。多喜二が作品を通じて何を訴えたかったのか、多喜二が求めていたものは何だったのか、人間が人間らしく生きることのできる社会とはどういうことなのか、そういう多喜二の問いかけをあらためてしっかりと受けとめ、新しい歩みをはじめなければならないと思っています。


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