アドレス(URL)を変更していますのでブックマークされている方は変更してください。
<< ホームへ戻る

憲昭からの発信

憲昭からの発信 − 論文・対談

<インタビュー>金融不安消滅後も大銀行あまやかす森内閣

『前衛』2000年6月号
佐々木憲昭(衆議院議員)


 森内閣が、4月5日に発足しました。この内閣は、小渕自自公政権を引き継ぐだけでなく、その悪政を加速させる方向を鮮明にしています。
 森内閣は、総選挙を目前にして、小渕内閣が提出した予算関連法案の早期成立に力をいれています。その一つが、衆議院大蔵委員会で4月19日に採決強行され、5月には参議院でも強行しようとしている「預金保険法」改悪法案です。この改悪案は、公的資金(つまり国民の税金)の大銀行への投入の規模を拡大し恒久化しようという、とんでもない法案です。国民から、“60兆円の公的資金でも大問題なのに、さらに10兆円以上も上乗せするなど、とんでもない”と、批判の声があがるのは当然です。大銀行支援は、ゼネコン奉仕とならぶ財政のむだ遣いの大きな柱です。国民の怒りも、それだけ強いものがあります。衆院の大蔵委員会の論戦をふまえ、その問題点を明らかにしてみます。

あらたな公的資金投入の上積み

 いまの銀行への公的資金60兆円投入の枠組みは、98年の国会で成立させられた、金融安定化法・金融再生法と、金融早期健金化法にもとづく「特例業務勘定(17兆円)」、「金融再生勘定(18兆円)」、「早期健全化勘定(25兆円)」によってつくられています(注)。この枠組みは、法律の正式名称に「緊急措置」という言葉が入っているように、いずれも2001年3月までの期限つきの制度です。
 法案の最大の特徴は、預金の全額保護を2002年3月まで1年間延長(ペイオフ実施の1年繰り延べ)することを口実に、銀行への公的資金投入の枠組みをその期間、延長することにあります。同時に、あとでものべますが新たな恒久的な仕組みをつくるという問題もあります。
 そのため、法案では、預金保険機構に交付する国債(いま7兆円の粋がある)が、長銀や日債銀などの破綻処理で底をついてしまうという理由で、6兆円増額することにしています(あわせて13兆円の枠にする)。これとは別に、今年度予算で預金保険機構の一般勘定借入に4兆円の政府保証を追加しています。このようにして、今回新たに10兆円上積みしますから、公的資金の合計はこれまでの60兆円から70兆円に膨らむことになります。
(注)

  • 特例業務勘定=預金者保護のため破綻した銀行の債務超過の穴埋め資金。
  • 金融再生勘定=特別公的管理銀行(たとえば長銀)への資金繰り支援。
  • 金融機能早期健全化勘定=銀行の資本増強のための勘定。財源は、7兆円は交付国債、残りの53兆円は政府保証による借入。政府保証とは、日銀や民間から借入した資金が返済できないと、政府が財政から御肌する仕組み。これにたいして交付国債枠は、政府が予算に計上して支出するもので、使われると返ってこない公的資金となる。

<危機的状況でなくても投入>
 「なぜ、税金投入の仕組みまで延長しなければならないのか」―大蔵委員会での私の質問に宮沢蔵相は、「そうでありませんと、金融機関自身の負担によってしなければならないということになります」と答えました。つまり、今後も金融機関に負担増は求めない、あくまでも国民に負担させるという答弁です。これは、従来の政府答弁からみても、まったくつじつまがあわない姿勢です。
 政府は、これまで「金融機関の破綻処理は金融システム内の負担によりまかなわれることが原則」(橋本首相〈当時〉、96年5月21日、衆議院本会議)といい、公的資金の活用は、金融の“危機的”な状況に対応するための、時限的・緊急的な措置と説明してきました。
 96年の信用組合の破綻に公的資金を使うときに、西村銀行局長(当時)は、次のように説明しています。
 第一に金融機関が最大限努力し、第二に日銀がつなぎ融資をしたうえで、それでもまだ足りないような場合とか、あるいは「放置しておいた場合に経済にはかり知れない影響を与えるような場合に限って、かつ時限的な措置としてこのようなことをお願いをする」(96年5月28日の答弁)。
 98年に金融機関の破綻処理の枠組みができたときも、三塚大蔵大臣(当時)は、アジア通貨危機や山一証券と拓銀の破綻などのもとで、「金融システムに対する信頼を一刻も早く回復させ、経済全体が危機に陥る事態を防ぐための時限的な緊急措置として」のみ、公的資金を活用できるようにした、とのべています(98年2月8日)。
 では、金融システムは、現在も当時と同じように危機的な状況なのか。
 宮沢蔵相は、昨年12月20日の臨時閣議後の記者会見で、「金融システムの安定化、預金者保護というテーマは大づかみにほぼ解決しつつあると思う」とのべています。当事者である銀行業界も、たとえば興銀の西村頭取はインタビューのさい、ジャパン・プレミアムの消滅や昨年の日経平均株価の上昇をあげて、「少なくとも大手行に対する不安は消えた」「信用組合の問題は部分的には大変かもしれないが、十分解決できると思う。日本の金融不安が再燃するような問題ではない」(「日経」1月9日付)とのべています。
 つまり、従来の政府の立場からみても、緊急的措置をとらなければならないほどの金融危機という事態は、すでに解消されているのです。前提が大きく変化しているにもかかわらず、なぜ、あくまでも銀行に公的資金を投入しつづけるのでしょうか。
 銀行業界の自己責任・自己負担で預金者を守る、という本来の原則に立ち戻るべきだという指摘にたいして、宮沢蔵相は「御議論としては、そういう考え方もある」 と、正面から否定はしないものの、「私どものやっていることもそう弊害もないのではないか」と、まったく無責任な答弁に終始しました(3月29日、衆議院大蔵委員会)。

<くり返される国民負担>
 公的資金役入の経過をみると、従来の政府答弁を次つぎにひっくり返し、国民負担を増やすというくり返しでした。政府は、これ以上の国民負担はかけないといいますが、今後も国民負担が増えない保証はありません。
 96年の信金にたいする公的資金投入のさい、西村銀行局長(当時)は。「信組以外には入れない」とのべていました。
 「私どもは、金融機関が破綻した場合……原則として金融システムの中におきまして、金融機関の自助努力によりまして対応する」「通常の金融機関につきましては、預金保険制度というようなものを含む金融システム内の負担によって対応すべきもの……、アメリカにおいても、SアンドL以外の金融機関の破綻処理については、金融システム内の処理ということで対処した」「信用組合につきましては、なかなかそういうことだけでは対応し切れないのではないか、ということで特別の措置をお願いしておる……」(96年5月28日、衆議院金融問題特別委員会)。
 このように、銀行業界の負担が原則であり、信用組合だけは特別例外であると明確に答弁しています。ところが、それからわずか2年後には、この答弁を投げ捨て、信組以外の銀行にも公的資金の投入を実行しました。そのとき山口銀行局長(当時)は、「7兆円が底をつくことはまずないと思います」「現実的な議論をさせていただきたいと思いますが、7兆円で十分な手当てができると思っております」とのべています(98年2月13日、参議院財政・金融委員会での答
弁)。
 ところが、今度はその7兆円が底をついてしまう。長銀や日債銀の破綻処理に5兆円以上の交付国債が使われてしまった。仕方がないから6兆円増額したいという。このように以前にどんな答弁をしていようが、みずからの責任も銀行の責任も棚上げにし、国民にはどんどんと負担をせまる、これが政府の姿勢です。
 足りなくなったら、また国民に負担を求めるのではないか、という質問に、宮沢蔵相は「西村君、山口君、私がその三度目のうそをつくかね、多分そういうことには相ならぬと思っております」(3月29日、衆議院大蔵委員会)と答弁しました。しかし、これまでの経過をみると、その保証はどこにもありません。このことから明らかなことは、一度国民に負担させる仕組みをつくってしまうと、際限なく国民負担をひろげることになる、ということです。この枠組みをなくす以外に、根本的な対策はありません。
 宮沢蔵相は、「確かに政府も責任がございました。しかし、金融機関にも責任があったことは明らか」と、国と銀行の責任は言葉のうえでは認めました。それならば、国民負担をやめて、銀行の自己負担で預金者を守る、この原則に転換すべきです。しかし、いまの森内閣には、その姿勢はいっさいありません。

財政危機の大きな要因に

 公的資金の役入は、財政危機の大きな要因にもなっています。ことしの公債依存度は38・4%で、史上二番目です。赤字国債の額は、当初予算で史上最高の23兆円です。こんど積み増ししか交付国債償還財源のための4・5兆円は、その2割にあたります。
(注)

  • 予算では、4・5兆円を一般会計の国債費に計上して国債整理基金特別会計にくり入れ、1・5兆円をNTT株売却収入として見込んでいる。あわせて6兆円となる。

 もし、この4・5兆円がなかったら、依存度は34・9%で、昨年より低い数字になっていたのです。いかに、公的資金の投入が財政赤字を拡大したか、赤字国債の発行を増額させたかをしめしています。
 昨年ので1月8日の臨時閣議のあと、宮沢蔵相は2000年度予算案についての記者会見で、「金融安定化関連の予算は、他とはケタ違いの大きな金を今度の予算でも食う」といっていました。6兆円交付国債の増額は、わが国の財政危機にいっそうの拍車をかけることになるにもかかわらず、蔵相の発言には、そのことの痛みが感じられません。
 橋本首相(当時)は、98年の2月の国会答弁で、公的資金の財源の問題について、「財源としてはその時々の状況をふまえながら歳入歳出全般にわたる努力を行い、その中で適切な確保を図るうとすることになる……必ずしも特例国債の発行に直結するとは考えておりません」「いずれにいたしましても、償還に当たりまして金融システム安定化の実を上げながら、同時に国民の負担ができる限り少なくて済むように適切な運用に努めてまいりたい」(98年2月13日、参議院財政・金融委員会)とのべていました。
 しかし、橋本首相(当時)がのべたような「適切な運用」は、その後まったくされていません。結局、公的資金の枠組みをつくってしまえば、その費用は赤字国債によってまかなわなければならないほど巨額なものとなり、国民負担も膨大なものとなる。いったん公的資金の蛇口を開ければ、はてしない国民負担につながるのです。

公的資金投入の恒久化も

 ここまでは、主として預金者保護のための「特例業務勘定」の延長にかかかる問題をみてきました。実は、こんどの法律「改正」は、それだけにとどまりません。公的資金投入を1年延期するだけでなく、あらかな公的資金投入の恒久的な仕組みをつくるという大問題があります。
 「金融早期健全化法」による資本注入(早期健全化勘定)と「金融再生法」による特別公的管理(金融再生勘定)は、2001年3月までの時限立法とされていました。信組・信金などにたいする資本注入をのぞき、2001年3月で廃止される予定でした。ところが法案の内容をみると、「金融危機への対応」として、三つの仕組みが用意されています。ペイオフ・コストを超える資金援助をおこなう「特別資金援助」、預金保険機構による株式等の引き受けによる「資本増強」、現在の特別公的管理と同様に預金保険機構が破綻金融機関の株式を取得し管理下におく「特別危機管理」の三つです。これでは、これまでの仕組みは、形のうえでは廃止されるが、すぐに復活することになる。しかも重大なのは、それを期限なしに恒久化していることです。

<口実にすぎない金融危機>
 なぜ、恒久化するのか。法案の内容にそくして検討すれば、“金融危機”は口実にすぎず、実は銀行の体力の増強、国際競争にうち勝つ銀行づくりの支援のためであることが明らかになります。
 昨年3月、大手銀行など15行に金融早期健全化法にもとづき、公的資金が合計7兆4592億円注入されました。前年の3月にも大手行八行に横ならびで資本注入がおこなわれています。現在の制度は、ジャパン・プレミアムとか、アジア通貨危機など、金融情勢が危機的状態にあると認定されれば、そのことを理由に、健全な銀行でも「申請」があれば資本注入をおこなう制度でした。これは、あまりにも評判が悪かったために廃止されることになりました。
 しかし、代わって登場させようとする仕組みも、政府の財政から資本注入をおこなうという点では、なんら変わりのないものです。政府が資本増強をしなければ、「我が国又は当該金融機関が業務を行っている地域の信用秩序の維持に極めて重大な支障が生ずるおそれがある」場合と説明しています。つまり、資本注入をしないと「システミック・リスク」(決済機能全般が機能不全におちいる危険性)につながるおそれのある特定の金融機関の“危機”を救うためのものだと
いいます。
 日銀はシステミック・リスクについて、「金融機関相互間の網の目状の与信・受信関係を通じて、「金融機関の債務不履行が次々と連鎖的に他の金融機関の債務不履行を誘発し、金融システムが混乱に陥るリスク」と説明しています。この場合、資本注入の対象になる金融機関は破綻金融機関ではありません。破綻前の金融機関で、信任が低下し資金ショートを起こした金融機関です。その場合、だれが資金補給をするのか。
 98年の金融国会で私は、日銀総裁に「債務超過でない銀行が、仮に資金ショートがあった場合、それをふせぐことができるか」と聞いたことがあります。日銀総裁は、「必ずしも政府の資金でなくても、例えば日銀特融という形で一時的な資金補給をすることができる」(98年9月4日、衆議院金融特別委員会)と答弁しています。
 しかし、こんどの法案では、日銀の役割はまったく考慮の外におかれています。財政資金でなければシステミック・リスクをおさえることができない、という発想にたって資本増強の仕組みがつくられています。
 日銀特融で十分対応できるのに、なぜ財政資金を使って資本注入しなければならないのか。政府も、「金融システム全体を混乱させる可能性がある場合に状況に応じて日銀特融が行われ、金融機関に対して担保の差し入れを条件とすることなく必要な安金を供給することが、一つの日銀の役割だと存じます」とのべています。資金ショートには、日銀で十分対応できるということです。大蔵大臣も、「日銀が特融をやればそれで済む場合はたくさんあると思います」と認めています。
 そのさい宮沢蔵相は、金融のピンチは金融的な措置、すなわち日銀特融などによって救うことはできるが、「その銀行の体質そのものが、それによって直るというわけにはいかない」という重大な答弁をしました。つまり、システミック・リスクというのはまったく口実にすぎないという告白です。日銀特融による緊急支援では「銀行の体力」をつけることはできないので、体力をつけるために税金を使う。資本増強は税金でやる以外にない。これこそ、銀行丸抱えの護送船団方式そのものです。ほんとうに許せません。

<政府の勝手な判断で投入>
 法案では、「信用秩序の維持に極めて重大な支障が生ずるおそれがあると認めるとき」は資本注入ができる、となっています。しかし、「おそれがある」とは、どういうときか、何を基準に判断するのか、客観的な基準は何か、何もはっきりしていません。私の質問にたいして蔵相も、「おそれというのは、おそらく蓋然性が高いということである」とか、「ほとんど通常では考え得るような事態ではない、しかしそのおそれが高い、完全ではございませんけれども、お考えいただけたらと思います」と、きわめてあいまいな答弁をするだけです。明確な基準はありません。
 つまり、客観的基準がない。法案の別の仕組みのなかでも、危機に対応するため公的資金を使う規定がありますが、そこでも、「おそれがあると認められるとき」と書いてあるだけです。これについても蔵相は、「怪しいなという程度では本当に怪しいなと。もう少しこう、本当にその危険があるということじやないでしょうか」と、怪しげな答弁をするだけでした。
 結局、「怪しい」か「怪しくないか」、政府が勝手に判断できる。一方に正常の状態があり、他方で破綻状況があるとすれば、その中間はすべて怪しいことになります。実に、あいまいな規定で、政府の都合でどうにでもなる。こんなことで、公的資金投入の仕組みを恒久化することは許せません。しかも、その判断をした会議の議事録の公開も、「まだ決まっていません」というだけです。
 この法案ではっきりしていることは、銀行にはいっさい負担をさせないこと、国民負担は政府の判断でどこまでも拡大することができる、これだけです。きわめて反国民的な大銀行奉仕の法案といわなければなりません。

大銀行のゆがみとモラル・ハザード

 こうした銀行甘やかし政策がつづくなかで、銀行はいまどういうことをしているのか。公的資金を受け入れた銀行は、金融機関にあるまじき行動をしています。

<貸し渋り解消の水増し報告>
 たとえば、公的資金投入の口実の一つとされた銀行の貸し渋り解消は、いったいどうなったでしょうか。昨年3月に、公的資金が投入された15の銀行は、4月4日に公表した見込みで中小企業向け貸し出しを超過達成したといっています。昨年9月23%だったものが、ことしの3月末に160%から170%の達成率となっています。しかし、ほんとうに超過達成できたのか、非常にあやしい。
 銀行の貸し渋りが改善したという話は、中小企業の側からはいっさい聞こえてきません。6割の中小企業は赤字だといわれていますが、黒字企業が増えたわけでもない。銀行の貸し出しがこんなに増えたといっても、実感がともないません。
 実態はいったいどうなっているのか。私は銀行の関係者に話を聞いてみました。すると、2月から3月にかけて中小企業向け貸し出しの水増しをやっていることがわかりました。
 いろいろな手口があります。一つは、銀行が自分の子会社や関連会社にたいして何十億円という単位で貸し出す。自分の子会社や関連会社でも中小企業扱いになりますから、自分の系列のノンバンクなどに貸すことで実績をつくる。二つ目に、優良な中小企業にたのんで、一時的に期末残高を積み増しする。本店や支店で積み増しを頼む中小企業のリストをつくって、個別に頼み込んで短期的に融資を増やす。たとえば3月31日に融資し、一週間で返却してもらう、というやり方をしている。三つ目は、大企業に貸し付ける資金を、その大企業の子会社に一時的に貸し付ける形で3月末の貸出残高を増やしている。そして、一定期間ののち親会社に振り替えるというやリ方をする。このはかにも、不動産の証券化など資産の流動化をすすめるSPC(特定目的会社)に融資をして、中小企業向けの計算に入れるなどの手口もあります。
 実際の貸し渋りは改善されていないのに、表向きは貸し出し計画は達成したという格好だけつけ、国民をあざむく。これはきわめて重大な問題で、徹底追及が必要です。
 大銀行のゆがんだ行動は、たとえば商工ローンの問題にもあらわれています。みずから中小企業にたいする貸し渋りをつづけながら、日米や商工フアンドなどの商工ローンにどんどん貸し込み、その結果、被害がひろがった。先日も、大蔵委員会で第一勧銀の頭取・金銀協の杉田会長にそのことについて聞きましたが、なんの反省もありません。とにかく、もうかればいいという姿勢で、反社会的な批判をあびている商工ローンに貸し込んでいる姿勢の見直しも、融資の中止も
いっさい念頭にないという態度です。

<すすむ国民おきざりの金融再編>
 巨大銀行中心の再編がすすめられる一方で、中小の金融機関、たとえば信念・信組はどんどんつぶされ整理・淘汰がすすんでいます。
 経営責任を問うことなしに公的資金の投入が次つぎとおこなわれてきたため、モラル・ハザードがひろがっています。新たな金融商品が開発・販売されて、金融消費者の被害がひろがる可能性も強まっています。消費者の権利を守る仕組みが不十分だからです。この点では、金融商品販売等にかんする法案がでていますが、いまの状況に対応する実効性のあるものになっていません。
 肝心かなめの国民のために必要な資金の供給や消費者の保護というところは、いぜんとして抜け落ちたままです。この点での抜本的改革をすすめ、大銀行の横暴にたいして規制を強化するルールを確立していかないと、ますます大変なことになります。

 小渕・自自公内閣を引き継いだ、自公保政権・森内閣は従来の枠組みをさらに悪い内容で、ますます拡大するだけです。悪政の暴走にはストップがかからず、国民負担だけがふえていく。これにたいする国民の批判はかならずひろがるだろうし、広げていかなければなりません。
 そのためにも総選挙で、森内閣にきびしい審判をくださなければなりません。日本共産党の躍進で、日本の改革へむけて大きな流れをつくることが求められています。

Share (facebook)

このページの先頭にもどる