国会での活動
【02.01.15〜16】予算委員会 沖縄への国政調査
2002年1月15日〜16日、予算委員会の沖縄調査がおこなわれ、佐々木憲昭議員もメンバーの一員として参加しました。
1日目
●沖縄戦の傷跡
1970年に復元された旧海軍司令部壕を見学に行きました。旧日本軍の兵士が4000人も収容されていたという大きな壕。とくに太田司令官の部屋は、コンクリートで固められたもので「当時とまったくかわりません」という説明でした。かなり立派なものでした。
佐々木議員は、次のような感想をのべました。
…私が、以前訪れたことのある沖縄の一般の人々が隠れていたガマ(壕)では、自然につくられた洞窟を利用したもので、暗く、衛生上も悪く、悲惨な沖縄戦の傷跡が刻まれたものでした。それと比べた「落差」を思わざるをえませんでした。
「住民の苦しみ」というコーナーがあり、「夜はみんな、杖を持って歩いた。死体を踏まないためだった」という手記が掲げられていました。他党の議員が「無謀な戦争をやったものだな」とぽつりと言ったのが印象的でした。
<前列右端が佐々木議員(旧海軍司令部壕の前で)>
●県関係者と懇談
沖縄県、内閣府沖縄総合事務局、外務省、防衛施設庁、沖縄観光コンベンシションビューローから説明を受け、質疑がおこなわれました。
沖縄の失業率は、全国平均よりも大幅に高く7〜9%台となっています。
沖縄には全国の基地の75%が集中し、沖縄本島では総面積の実に18%を占め、民間地域に隣接しています。「沖縄の経済発展を阻害していることは、いなめない」という説明でした。
観光客はテロ事件以降激減しています。昨年11月で前年比でマイナス24.4%となっています。12月〜1月にかけて、多少盛り返したということですが深刻です。特に、団体客や修学旅行のキャンセルが相次いでいます。
●平和祈念資料館
沖縄戦の犠牲になったすべての戦没者が「平和の礎」に刻印されています。国籍を問わず20万人の名前が刻まれているのに、ほんとうに驚きますが、一人一人に家族があり人生があったと思うと、あの戦争の冷酷さ惨さを思い知らされました。
2日目
沖縄調査2日目は、読谷村の地場産業の視察です。
那覇から浦添市の牧港、宜野湾市の大謝名、真志喜、大山を通り、米軍基地に囲まれた街、北谷、嘉手納を通る。左右に米軍基地があり、有刺鉄線と金網が張ってある道を通る。「こちらが金網に囲まれているような感じがして圧迫感がある」とガイドさん。
そのそばをすり抜けるようにして、読谷村へ移動。
●米軍の犯罪について
米軍兵士などによる犯罪検挙件数は、年々増えています。98年に38件46人だったのが、99年には48件59人、2000年は53件67人、2001年(1〜11月)には69件71人となってます。年末年始には、またまた急増しているそうです。基地がある限り、このような屈辱はなくなりません。基地撤去、安保破棄こそ抜本的な解決策です。
<金網の向こうには広々とした米軍基地が続く>
●読谷村の「やちむん(焼き物)の里」
この窯は、地元の有志によって20数年前につくられたものです。沖縄の伝統的な焼き方を受け継いでいます。
<26メートルにおよぶ登り窯。13の窯が上まで連なっている>
●読谷村の織物工房
座るところが狭く堅そうな木製の椅子なので、「長時間座っているとたいへんじゃないですか」とききますと、「座っていられるのは2時間ぐらいですね」という答えでした。
<昔ながらの伝統的な織物を織っている>
●復元された首里城
帰り道。大雨になりましたが、復元された首里城を見学しました。