奮戦記
【09.05.04】基本的人権と「公共の福祉」について考える
日本国憲法がなんの留保もつけずに基本的人権を保障しているのは、明治憲法下では法律によって、いくらでも人権が制限されたという反省から来ています。
明治憲法のもとでは、国民はすべて臣民とされ、個人としての自由は保障されていませんでした。
たとえば、政治を変えようとする考えや運動は、治安維持法という法律を作り弾圧しました。最高刑は死刑だったのです。
『蟹工船』を書いた小林多喜二(1903〜1933年)も、あの当時、人権を抑圧する体制を批判し国民が主権者だと訴えたため、治安維持法違反で特高警察に捕まり、東京の築地警察署で拷問を受け、その日のうちに命を奪われました。
29歳という若さでした。
明治憲法とそのもとで作られた法律によって、人々の心のなかにまで支配を及ぼし、国家権力に服従しないというだけで、逮捕して拷問し命まで奪ったのです。
二度とこのようなことはしない、人権を制約しないと誓ったのが、現在の日本国憲法です。
「公共の福祉に反しない限り」という条件がついているのは、唯一、人権と人権がぶつかり合う場面を想定して、その「調整」のために「公共の福祉」という言葉が使われたのです。
ところがいま、この「公共の福祉」をいう言葉をねじ曲げて、人権よりも高い価値があるかのようにいう動きがあります。
たとえば、軍事が人権より優先するなどと主張するものがありますが、これは、憲法の「公共の福祉」の意味をまったく理解しないものといわなければなりません。
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