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奮戦記

【08.03.11】日銀総裁・副総裁候補の所信表明と質疑がおこなわれました

   衆参の議院運営委員会がそれぞれ開かれ、日銀総裁候補の武藤敏郎副総裁、および白川方明・伊藤隆敏副総裁候補の所信聴取・質疑がおこなわれました。
 私は、衆議院議院運営委員会における所信聴取と質疑に参加し、その後の記者会見で感想を述べました。

 そのなかで「武藤氏は、5年間日銀で働いたと言いますが、財務事務次官時代の意識がほとんど変わっていない。庶民・家計の痛みへの思いがない」と指摘しました。

 武藤氏は、言葉では「自主性」や「独立性」をいますが、具体的な問題になるとその言葉とはまったく違う姿勢があらわれます。

   たとえば、1985年9月の先進5カ国蔵相会議での合意=「プラザ合意」後、アメリカの圧力下で、日本銀行は5回にわたって公定歩合の引き下げをおこない、それを2年間の長期に渡って維持したため、バブルの“火に油を注ぐ”かたちとなりました。
 このことについて、「どう評価しているか」と聞きました。
 武藤氏は「低金利と公共事業拡大と正しい判断だった」と述べ、当時、日本政府と日銀が取った政策を肯定しました。

 元日銀総裁の三重野氏でさえ、「当時の経済活動の加熱全般について、金融政策面からもう少し早くブレーキをかけることができたら、経済活動の振幅はもう少し小さなものとなっていた」(94年2月22日の講演)とのべているのです。

   アメリカの政策に追随することを優先し、国内経済・国民生活を犠牲にしてもやむなしとする武藤氏の姿勢は、いかがなものでしょうか。

 次に、国債の大量増発と日銀引受けについて聞きました。

 憲法83条は、財政に対する国会中心主義を明記し、同85条と財政法15条1項は国費の支出や債務負担行為について国会の承認を必要としており、戦前しばしば見られた政府の恣意的な支出や債務負担を禁じています。

   また、財政法4条では赤字国債を、同5条で国債の日銀引受(日銀引き受けの赤字国債発行)を原則的に禁止しています。
 この二つの条項は、憲法9条の戦争の放棄と戦力の不保持を財政面で裏付け、財政インフレの未然防止をはかるものであった。
 戦前の満州事変以降の無制限な軍事費膨張が日銀引受による赤字国債の乱発で促された経験から確立された原則です。
 GHQの国債発行禁止指令もあり、この条項が生み出されました。

 私は、日銀引き受けの赤字国債発行を原則禁止していることについて、どのように認識しているかと聞きました。
 これに対して、武藤氏からは、直接引受けについては批判的な言葉がありました。

   しかし、武藤氏が財務事務次官の時代、2002年12月の政策決定会合で、財務大臣が日銀に対して、1ヵ月当たりの買い入れ額を増額すること、そのために制約となっている銀行券発行残高の歯止めを停止することを要請しています。
 日銀の立場なら、どう対応するのが正しいかと問いました。

 武藤氏は、「デフレスパイラルという状況下で、ありとあらゆることをやる」「決してまっとうとは言えないとしても、状況によっては異例なことをやることも十分ありうる」と述べました。
 この答弁には、私も驚きました。これでは、財政規律も日銀の役割も否定するようなものではありませんか。

   最後に、社会保障抑制政策についてききました。

 私は、今後の景気対策を考えると、アメリカ経済の減速下で「輸出依存型の成長」は限界に来ています。
 内需拡大の中心は家計消費にある。「政策の軸足を家計に置くことが重要だと思うがどうか」と。
 また、武藤氏が財務事務次官のとき、社会保障の自然増を3000億円も圧縮しました。それをきっかけに、毎年2200億円の圧縮政策が続けられてきたのです。

   桝添大臣は「もう限界だ」と言い、福田総理も「いつまでも続けられるものではない」という主旨の発言をしています。
 私は、「この政策を始めた責任をどう感じているのか」と聞きました。

 武藤氏は「社会保障の自然増は抑制しなければならない。3000億円削減は受け入れられた」と述べました。
 その結果、国民のなかにどれだけ苦しみが広がったか、まったく眼中にない発言といわなければなりません。

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