奮戦記
【04.09.08】財金委派遣・視察の最終日――高山、神岡、富山…
今日は、財務金融委員会の派遣・視察3日目(最終日)です。
はじめに、岐阜県高山市内を視察、古い町並みをどのように保存しているかについて、高山市からの説明を受けました。
特に、町並み保存会の組織の特徴、歴史的建造物の保存への公的な規制と支援の制度などについて認識を深めました。
さらに、高山陣屋跡の保存と復興について、高山市から説明を受けました。
この陣屋跡には、大原騒動(農民一揆)に関する資料が展示されており、その説明がなかなか力のこもったもので、感銘を受けました。
明和8年(1771)から天明8年(1788)の18年間にかけて飛騨で起きた農民一揆を大原騒動といいます。郡上一揆からも、戦略・戦術を学んだと言われています。
3度にわたる一揆なので、正式には年号をとって明和騒動、安永騒動、天明騒動と言われていますが、代官の大原氏に対して起こった一揆なので、これらをまとめて「大原騒動」と言います。
この一揆にたいする幕府の弾圧は、苛烈をきわめ、獄門打首24人、入獄死12人、流島17人、鎮庄時の死者49人、追放罰金数千人となりました。
この一気に参加したわずか18歳の本郷村善九郎は、牢前で斬首され、首級を桐生河原へ送られ獄門となりました。
本郷村善九郎が、死刑となる4日前に獄中より妻かよあてに書いた手紙が展示されています。
岐阜県神岡町のスーパーカミオカンデ
財金委の視察は、つづいて飛騨市神岡町に移動し小柴教授がノーベル賞を受賞したカミオカンデに移りました。
バスを乗り換え、ヘルメットをかぶって坑道をすすみます。
宇宙線の研究を地下1000メートルのところでおこなうというのは、たいへん興味深いものがありました。
ニュートリノの実証が、素粒子研究にとって画期的な意味を持っており、原子物理学の理論体系を書き換えるほどのものだということについても、あらためて認識を深めました。
その後、バスは富山に入り、地場産業のひとつである配置家庭薬製造販売企業の視察をおこないました。――富山空港から羽田空港に移動。羽田に着いたのは、7時半近くでした。