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財政(予算・公共事業) (予算案)

2006年02月24日 第164回 通常国会 予算委員会≪公聴会≫ 【337】 - 質問

予算委員会公聴会 有識者らが公述<午後>

 2006年2月24日午前と午後に、衆議院予算委員会の公聴会が開かれ、2006年度予算案について有識者・学者が公述しました。
 午後の公述人は、吉野直行氏(慶應義塾大学経済学部教授)、郷原信郎氏(桐蔭横浜大学法科大学院教授)、馬居政幸氏(静岡大学教育学部教授)、牧野富夫氏(日本大学経済学部教授)。
 日本共産党から佐々木憲昭議員が質問しました。

 日本共産党が推薦した日大経済学部教授の牧野富夫氏は、格差社会の現状について「『勝ち組』と『負け組』というが、ごく一部の勝ち組と圧倒的多数の負け組というのが実態だ」と指摘しました。
 そのうえで、来年度予算案については、「少子化加速予算」「夢つぶし予算」だと述べました。
 また「国際競争力強化のため小さな政府をつくる」という小泉首相の施政方針演説の理屈に、事実を示して反論しました。
 そのうえで「格差は悪くない」という小泉首相の発言を「『構造改革』の当然の帰結であり、正直な発言だ」とのべました。
 佐々木議員は「非正規雇用は、財界と政府の政策によって増加してきたのではないか」と問いました。
 牧野氏は「財界が労働力の流動化・多様化を求め、政府がそれを実行に移してきた。企業レベルの仕掛けと、規制緩和という国レベルの仕掛けがかみあった結果だ」と述べました。

議事録

【公述人の意見開陳部分と佐々木憲昭議員の質問部分】

○大島委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 平成18年度総予算についての公聴会を続行いたします。
 この際、公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成18年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にさせていただきたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
 御意見を賜る順序といたしましては、まず吉野公述人、次に郷原公述人、次に馬居公述人、次に牧野公述人の順序で、お一人20分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、吉野公述人にお願いいたします。
○吉野直行 公述人(慶應義塾大学経済学部教授) 最初に御意見を申し上げさせていただきます慶應大学の吉野でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 お手元に資料を配付させていただきまして、全部で7枚ございますが、5ページ目までページが振ってございまして、最後に2つ表がございます。これを使いながらきょうはお話をさせていただきたいと思います。
 まず第1番目が、1ページの最初にございますが、財政の現状を、国民の皆様にわかる指標というのをひとつつくっていただけないかということでございます。それは非常に簡単なんでございますが、歳入割る歳出、どれくらい歳入で現在の歳出を賄っているか、あるいは歳出が歳入をどれくらいオーバーしているかということでございます。
 例えば、1の1でございますが、中央政府ですと1.86というふうになっております。つまり、約2倍弱は、半分ぐらいしか税金で賄えていないという現状でございます。ですから、身の丈以上にどの程度の歳出がなされているか。そういたしますと、財政をバランスさせるためには、この1以上の0.86の部分をやはりどこかで削らなくちゃいけない、あるいは税をふやさなくちゃいけない、こういう2つになると思います。
 それから、1の2は地方政府の場合でございますが、これはある九州の県の場合でございますけれども、県の税が全体の約25%でございます。ですから、県の歳出が4倍になっております。6割近くが中央からの配分、こういうふうになっております。
 ですから、やはり中央政府も地方政府も、それぞれのところでどれくらい自分の負担でやっているかということがまず必要じゃないかと思います。
 1ページ目の真ん中に図がございますが、これは、ずっと最近まで歳出を税収で割ったものの比率をあらわしたものでございますが、バブルの時期には税収がふえておりましたからこの比率は下がりましたが、その後、趨勢的な傾向として上がっているということでございます。
 2番目でございますけれども、これまで大量の国債発行でも大丈夫だったじゃないか、日本経済はこれでうまく動いていたんだから全然心配ないであろう、こういうことでございます。
 それでは、なぜこれまでは大丈夫だったかというのを、次の2ページ目をちょっとごらんいただきたいと思います。
 2つ図がございますが、上の方は、御承知の、各国の債務残高を見たものでございます。一番上でずっと上がっているのが日本でございまして、GDPの160%以上になってきております。二番目の線がイタリアでございますが、一時90年代に上がりまして、その後少し下がってきております。それから、三番目の線がカナダでございます。これを見ていただきますと、やはり日本の場合には、ほかの国と比べると相当上がっていっておるということがございます。
 今でも覚えているんですが、91年の数字を見ていただきますと、日本はカナダとかイタリアより低くなっていたわけです。このとき私が学生に対して、イタリア人は怠け者だからこんな財政赤字だろう、日本はこんなにいくことがないだろうと言ったんですが、先日、イタリア人に会いましたら、ほら見てみろ、日本人も怠け者になったのかというふうに言われまして、やはりこれだけ財政が大きくなっているということでございます。
 では、なぜこれが大丈夫だったかといいますと、次の円グラフを見ていただきたいと思います。
 これは、これまで日本人が蓄えてきたお金がありまして、それが大半の、ほとんどの国債を買っているということでございます。左側の白いところが、市中金融機関とございますが、これは銀行などでございますが、これが国債の約3分の1、31.9%を買っております。それから右側が、郵便貯金が16.4%、簡易保険が8.2%、年金の基金が8.7%となっておりまして、やはりこれまで国民がためてきたお金でこういう国債を持てたということでございます。
 1ページ目に戻っていただきますと、今のを御説明いたしますと、大半の国債を金融機関が持っていた、高い貯蓄率がこれを保てていたということでございますし、2の2のように、最近は、企業が景気低迷で需要が少なかったものですから、銀行の貸出先が余りない、そのために、預金は集まってきますけれども、それを国債で運用できたということで国債が保たれていたということでございます。それから、一番下でございますが、もう一つ、ゼロ金利政策がやはり国債の大量発行をうまく処理していたといいますか、うまく動かしていた。それは、金利支払いがほとんどふえなかったということでございます。ですから、この10年以上、国債の残高は2ページ目の図のようにふえておりますが、国債の利払い費は、全体の歳出に占めますとほぼ20%ちょっとで推移しておりまして、ほとんど動かなかったということでございます。
 2ページ目をごらんいただきたいと思います。
 これが今後本当にこれでいいのかということですが、これから景気が回復してきますと、銀行は貸し出しを伸ばすことになりますので、これまでのように国債を購入し続けるということはできなくなります。
 それから、2の5でございますけれども、これはよくアメリカで議論されるんですが、国債が大量に発行されているということは、将来だれかがその国債を返さなくちゃいけないわけであります。永遠に借り続けることはできないわけでありますから、それは我々の世代が、将来の子供の世代あるいは孫の世代に負担を先延ばししている、こういうことになると思います。
 それから、2の6でございますけれども、今後、景気が回復する中で税収がふえてくるわけでございますけれども、90年代の後半にさまざまな減税が試みられまして、ですから、税のいわゆる弾力性というのが落ちてきております。そういたしますと、景気が回復する中で、前ほどは税収がふえないという可能性があるというふうに思います。
 次に、下の3のところを見ていただきたいんですが、イタリアは、先ほど申し上げましたが、真ん中の図のように少しずつ減ってきておりまして、先週、イタリア人の学者が来たときに、彼らに聞いてみますと、3の1がイタリア人の考え方であると。つまり、国民の負担というのは、自分の税に見合ったところで歳出を望む。日本の場合には、国民はみんな、税は低く、それから歳出は高くと。これですから先ほどの1.86という数字になってきたわけですけれども、どこまで自分で負担できるのか、そこからやはり歳出の額を決めていくという姿勢にならないといけないように思います。
 次は、3ページをごらんいただきたいと思います。
 こういう財政の中で、公共投資とか社会資本をある程度整備しなくてはいけないということでありますが、3の2のところでございますけれども、これまでいろいろな公共事業というのは、全部税金のお金あるいは国債発行で行われてきました。ところが、最近、民間の資金をそこに活用しようという、いわゆるPPPあるいはレベニュー債券というようなことが使われております。
 これは、例えばレベニュー債券と申しますのは、それぞれの事業の収益から得られたものでその債券を購入した方に金利と元本が返済される、こういう仕組みでございます。これをちょっと説明させていただきたいと思いますが、後ろから2枚目に図がございまして、風力発電、地域ファンドという例がございます。3の3というふうに書いてございますが、これを使わせていただいてお話しさせていただきたいと思います。
 これは、北海道のところでやられている、民間のお金を集めて、いわゆる風力発電、風車ですね、風力発電をつくるというところでございます。この風力発電の機械が大体1つ2億円いたします。しかしそれを、個人から1口50万円で集めております。その50万円を集めて、2億円で、もう3つ風力発電の機械ができているんですけれども、そのやり方は、風力発電から出てくる電力、この電力料金を風力発電の会社が受け取ります、そして、そこに50万円を預けられた方に配当として毎年入ってくる、それから元本を少しずつ返していく、こういうやり方でございます。
 これまで3年間これが続いておりまして、50万円を投資された方が大体18万円、今のところ収益を得られている。ですから、これが順調にいけば、必ず50万円の元本も返りますし、うまくいけばさらに収益が入ってくる、こういうことでございます。
 つまり、これまでは、いろいろなこういう社会資本というのは国がやらなくてはいけないのではないかというふうに言われていたわけですが、それが民間の資金でもできるという一つの例だと思います。
 その次のページ、一番最後のページでございますが、インフラの整備のためのレベニュー債券ということをお話しさせていただきたいと思います。
 これも、高速道路の例をとったのでございますけれども、高速道路を建設する場合に、資金をやはり民間から集めます。そのときに、100%集めてもいいんですが、例えばの話で、70%を投資家から集めます。それから、30%の資金は税金のお金で見るわけであります。そうしますと、投資家の資金は七分の十だけ、てこ効果がありまして、有料道路の収入が入ってきますと、七割の投資家にその配分がなされるというわけであります。ですから、3割の部分は国のお金、しかし7割は民間の資金。こういたしますと、インフラの整備のための資金が入りますし、そのインフラがうまく動いて有料道路の収益があれば、投資家の方々もそこで収益が入る、こういうことでございます。
 こういうことをすることによって、それぞれの公共投資なり社会資本でこれまでは見えなかったところが、金利あるいは配当という形で、その事業がうまくいっているのか、それとも余りうまくいっていないのかということがわかるようになっております。
 実は、3月の初めにインドネシアに行くんですが、インドネシア政府も、日本のODAが減ってくる中で、何とかインフラの整備をし続けたいと。私がこのアイデアを言いましたら、では、ぜひインドネシアのジャカルタでもやりたいので来てくれということで、うまくいけばインドネシアでもやらせていただくということになっております。
 次は、前の方の3ページにお戻りいただければと思います。
 こういう中で、地方経済の活性化ということが今後大きな、日本の重要な課題になってきていると思います。現在、景気回復しておりますが、やはり東京とか名古屋とか関西、こういうところを中心に景気が回復しておりまして、地方の中ではばらつきがあるわけであります。
 4の1でありますが、公共投資の依存型というのがこれまでだったと思いますが、重要なことは、整備された社会資本をいかに今後有効に活用していくかということではないかと思います。多くの地域では、もうこれまで社会資本がある程度整備できてきておると思います。ですから、それをいかにうまく活用するかということがもう一つ重要だと思います。
 さらには、そういうところで働いている方々、技術を、アジア諸国のインフラの整備にもっと活用してはどうかというふうに思います。
 例えば中国ですと、海岸のところから西部地区に対するインフラの整備というのは今後相当必要になります。その場合には、日本のインフラの整備の技術力というのは相当使えると思います。ですから、ぜひ、先生方も含めて、政治、民間を含めた形で、いい意味でのそれぞれの国への援助、それを日本の技術が使える、こういう形で、日本で活躍された方々がそういうところでも働けるということを考えていただければと思います。
 それから、4の2でありますが、これまでの日本の戦後の経済をずっと見ておりますと、やはり守られた産業は衰退するということが最終的には起こっているように思います。ですから、いろいろな政策、農業でもそうですけれども、補助金漬けとならないように、やはり自立できる、そういう地域の活性化ということが必要だと思います。同時に、4の3ですが、中央に頼る政策ではなく、地方で考える政策、それがないと地域の自立がないような感じがいたします。
 その中で、4の4ですが、地域の金融とか中小企業の中で、最近いわゆるリレーションシップバンキングということがよく言われておりまして、長期の契約を考えながら中小企業と銀行の間で貸し出しをしていく、こういうやり方であります。
 それぞれが考えながらやるということはいいことだと思いますが、ここですと、やはり銀行の預金を貸すということでありますから、少しリスクの大きいところにはなかなか資金が流れないわけであります。そういたしますと、さっき公共事業でレベニューボンドと申しましたけれども、ああいうような投資のファンドというようなものもつくりまして、そこが少しリスクをとりながらいろいろな中小企業に貸していくというところが、もう一つ、銀行と加えてチャンネルとして必要ではないかというふうに思います。
 次に、5番目でございますけれども、今後、いろいろ日本の政府の支出を考える場合には、歳出を考える場合には、やはりナショナルミニマムとは何かというのをぜひ先生方に定義していただきたいと思います。これがありませんと、何でもナショナルミニマムというふうになってしまいますと、それをやはり税金で見なくちゃいけない、そうしますと、国債の大量発行ということになってしまうわけであります。
 例えば、4ページをごらんいただきたいと思いますが、ここに図がございまして、上の方が国が提供する公共財、それから、下が地方政府が提供する公共財でございます。私、ナショナルミニマムの定義はどこかにないかなと思っておりましたら、スウェーデンの本の中にこういう定義をしている本がございまして、これはそれからとったものでございます。
 そういたしますと、例えば、国が最低限提供するものというと、外交とか警察、それから住宅政策と医療政策、こういうものが1から9までございますが、これが、国が最低限、どこに国民が住もうがやることであります。それから、地方政府がやるところは、もう少し住民に近いところ、幼児教育とか地域経済対策とか、そういう形で、住民に近いところは地方政府。ですから、中央政府と地方政府がそれぞれやるべきナショナルミニマムというのをやはりぜひ定義していただきたいと思います。
 3ページに戻っていただきますと、そういう中では、私は、義務教育というのは一つ重要なことであると思いますので、これはやはり前向きの支出でありまして、将来の日本を担う子供さんたちの投資であります。ですから、もう少しいろいろ小学校の教育が自由度が認められて、ある小学校では英語の教育も始める、あるところでは地域別の授業をするというような形で、自由度を持ちながら、最低限のところは皆さんがやっていくというようなことが必要ではないかと思います。
 それから、いろいろ政策をやった場合にはその評価をすることが必要でありますが、教育の場合には、よく言われますのは、非常に長期で時間がかかってわからない、こういうことが、日本の最近見られる教育の質の低下に結びついているのではないかと思います。そういう意味では、共通テストとか、その評価ができる、比較ではなく、日本の教育がうまくいっているのかどうかということを評価するための政策として考えていただければというふうに思います。
 次は、4ページ目をごらんいただきたいと思います。下の方から、あと残りの時間で少しお話しさせていただきたいと思います。
 よく、国有財産がすごくあるじゃないかと。4ページの下から6行目でございますが、695兆円、国有財産がございます。アメリカ人の知らない学者の方は、これを全部売れば日本の財政赤字はちょうどなくなるじゃないかと。約七百兆円なわけです。ところが、見ていただきますと、80兆円が外為特会で、そこで為替の買いに入ったり、貿易黒字で入ってきた部分であります。それから、2番目が財政投融資の貸付金で、これも中小企業貸し付けとかいろいろなものがございます。それから国有財産41.9兆円、これは空港とか裁判所とかこういうところがございます。131兆円が道路とか河川でございまして、そういたしますと、大体全部見ていただきますと、ほとんど売れるものはない。ですから、国有財産というのは695兆円あるわけですけれども、その中で処分できるというところはまだまだ少ないような気がいたします。やはり財政の中で歳出と歳入を考えながらやるということが必要だと思います。
 最後に5ページで、日本経済とそれからアジアの関係も含めて意見を述べさせていただきたいと思います。
 7番目は、アメリカとか諸外国を見ていますと、政治、官僚、民間、学者、この連携がすごくとれているように思います。
 これも余談ですけれども、韓国などでは新幹線をフランスの新幹線にしたわけですけれども、冗談に韓国の方が、もともと鉄道というのは日本がつくったものである、ところが、フランスがすごく誘致をしたそうでありまして、美人の方々も一緒に来られて、それでフランスの鉄道がいいんだというようなことをされて、それでフランスの方に決まったわけですけれども、日本も、やはりいい意味で、日本の鉄道の技術があるわけですから、それを政治家の先生方も、国、民間、学者も含めて、そういうところで日本の技術がそちらに使えるようにするということは、アジアの発展にとっても必要だと思いますし、日本にとっても必要だと思います。
 それから、中国との関係というのもよく先生方に理解していただいて、中国は、その8番に書いてございますけれども、中産階級が随分増大しております。アジアの中では、この中産階級、中流階級の増大というのは、恐らく、日本からいろいろなものを買う、あるいは日本の技術を誘導するというところでは、これから相当きいてくると思います。インドもこれから中産階級がどんどん出てくると思います。そういう意味では、アジアと日本の関係を大切にし、その中から、日本が政治力、官僚、民間、学者、こういうところが一緒になって、いい意味で海外とネットワークを結びながら、日本の技術なりを発展させていくということが必要ではないかと思います。
 それから最後に、アジアのことに関しましては、金融市場でも、アジアは日本とこれから結びつきが強くなってくると思います。
 8の2のところでございますけれども、アジアの特色というのは、やはり高い貯蓄率。日本もこれまでは高い貯蓄率でしたけれども、この高い貯蓄率がほとんど銀行の預金に向いている。非常に日本と似た形態でございます。この預貯金に向いている資金を、やはり債券市場あるいは資本市場の方に一部流していくことによって収益性を上げていくということが重要ではないかと思います。
 その中で重要なことは、8の2の4と5というところでございますが、各国とも、いわゆる資産運用が自国に偏っている、ホームカントリーバイアスが非常にございます。ですから、本来収益性が外にあるのに自国の中にとどまっている、こういうことでございます。その大きな理由は、やはり情報がないということだと思います。例えば我々も、マレーシアの企業がどうなっているのか、あるいはマレーシア経済はどうなっているのかという情報は余りないわけです。どうしても欧米の情報に偏ります。
 ですから、今後アジアとの関係を密接にするためには、やはり各国の情報をみんながお互い見えるようにする、それから企業の情報を見えるようにする。そうすることによって、日本人もアジアの国々を知り、では、どういうところに投資したらいいんだろうか、あるいはどういう資産運用をしたらいいんだろうか、また、アジア人の方々が日本のどういう企業に投資をしたらいいんだろうかという、点の情報から面の情報、こういうことが必要ではないかと思います。
 最後に、アジアの通貨制度でございますけれども、今のところは、それぞれの国が別々の通貨でございます。ヨーロッパのユーロのように、将来は、相当先になるかもしれませんけれども、一つの方向としては共通通貨の方に動いていくということも一つかと思います。
 それは、ヨーロッパの場合は、ユーロができることによってヨーロッパの結束がすごく出てきたわけです。ですから、アジアの中でもやはり為替制度をある程度共通化することによって、それでアジアの中でのいろいろな意見の交換、そして、アジア自身がアメリカ、ヨーロッパに対してしっかり意見を言えるということが必要ではないかと思います。
 以上でございます。(拍手)
○大島委員長 ありがとうございました。
 次に、郷原公述人にお願いいたします。
○郷原信郎 公述人(桐蔭横浜大学法科大学院教授) 桐蔭横浜大学の郷原でございます。よろしくお願いいたします。
 私は、桐蔭横浜大学の法科大学院で学生の指導をやっておりますとともに、コンプライアンス研究センター長ということで、コンプライアンスに関する研究、教育を行っております。
 本日は、このような貴重な発言の機会をいただきましたので、最近多発しております経済社会でのさまざまなトラブル、不祥事の背景となっておりますコンプライアンスの問題と、それに関する制度上の問題について指摘し、これに対しての政府の施策についての意見を申し述べたいと思います。
 官から民へ、そして競争を徹底していくという経済構造改革は、複雑化、多様化する経済社会において、ニーズに応じていく方法として基本的に正しいものだと思います。
 しかし、そこには不可欠な前提があります。第一に、どのような手段によって競争を機能させていくのかという競争の基盤の問題、価格だけではなくて、品質、価値も含めた多様な競争手段を確保していくこと。そして、事業活動がルールに違反した場合に適正かつ効果的な制裁を加えるための制度の確立。この二つは、要するに、企業のコンプライアンスが機能するための制度を構築していくということだと思います。
 最近の耐震強度偽装問題とかライブドア問題とか官製談合問題など、いずれもこのようなトラブルは、すべて広い意味でのコンプライアンスの失敗によるものではないか。こういうコンプライアンスをどのようにしてまともな方向に向けていくのかというのが、これからの経済社会に対する政府の施策として求められるんじゃないかと考えております。
 まず、そこで、コンプライアンスとは何かというところから考える必要があります。
 コンプライアンスは、しばしば法令遵守という言葉にそのまま置きかえられますが、その単純な法令遵守という考え方が実は大きな弊害をもたらしているというのが私の考え方です。これには二つの面があります。
 まず、1枚目の資料ですが、消極的法令遵守ということです。法令遵守という意味でのコンプライアンスが徹底されるということになると、何事も組織が法令、規則に縛られることになり、仕事のやり方には積極的なやり方、消極的なやり方がありますけれども、新しいものにチャレンジするというやり方は常に法令上のリスクを伴いますから、そういったことをやるよりも、今までどおりのことを今までどおりにやっていた方が得だという事なかれ主義に陥ってしまいます。それが組織に閉塞感をもたらすことになります。
 一方、積極的法令遵守というのがあります。これは、法令に違反しない限り何をやってもいいという考え方です。言いかえると、ホリエモン流法令遵守と言ってもいいかもしれません。このような、法の不備をつく、すれすれをやっていくやり方というのは、ある意味では最大限の利潤追求が可能になります。しかし、一つ間違うと、違法だということで摘発を受けて、強い社会的非難を受けることになります。しかし一方で、もしうまくすり抜けることができれば、非常に急速な成長を遂げて、社会的な地位を確立することもできるということになります。
 こういう、法令に違反しない限り何をやってもよいという考え方の背景には、自由競争と法令遵守の組み合わせですべてが解決するという考え方があります。これは3枚目です。
 確かに、自由競争と法令遵守という考え方、ルールに違反しない限りあとは徹底的に競争して利潤を追求していけばいいんだという考え方は、基本的には正しいと思います。しかし、忘れてはならないのは、この考え方が正しいことには二つの前提が必要だということです。一つは、社会の要請がすべて法令に反映して、法令が経済社会の実態に適合しているということ。そしてもう一つは、法令違反に対して制裁を科す司法制度が十分に機能しているということです。
 問題は、我が国でこの二つの前提が満たされているかどうかです。4枚目の資料です。
 法令には、もともと絶対的な限界があります。それに加えて、日本の場合は、法令の限界、法令と実態との乖離というのが顕著です。それは、日本の多くの法令が外国から輸入されたもので、市民社会にとって法令が遠い存在にあるということです。どうしても、法令以外の手段による解決が主体だった日本においては、法令が経済実態と乖離するということになりかねません。耐震偽装問題で建築確認制度が甚だ実態と乖離していたというようなことが次第に明らかになってきていますが、これも法令と実態の乖離の典型的な例じゃないかと思います。
 そして、5枚目ですが、司法の機能という面で考えた場合、日本とアメリカとの間には非常に大きな差があります。司法社会と言われるアメリカでは、ここに書いておりますように、法令が社会の実態に適合するようなシステムが十分に整っています。膨大な数の弁護士が、社会の隅々からいろいろなトラブルを司法の場に持ち込み、その具体的な解決を通じて判例法が形成され、そして、場合によっては裁判所が違憲立法審査も積極的に行う。そのようにして法令と実態の乖離が生じないようにした上で、違法行為に対しては徹底的に厳しいペナルティーを科すというのがアメリカのやり方です。罰金にしても損害賠償制度にしても、巨額のペナルティーが科されるのがアメリカの特徴です。
 それに対して日本の場合は、先ほど申し上げたような経緯もあって法令と実態はしばしば乖離しますが、法令が見直されるということは、アメリカと比べると、その程度が高くないと言えます。そして、その反面、違法行為に対するペナルティーは著しく低いということが言えます。このような形で、法令と実態との間の乖離というのが生じやすいのが日本の現状です。
 6枚目に入ります。このように法令と実態の乖離が生じた場合、本来、法令、規則の背景には社会的要請というのがあって、法令、規則を遵守していくことが社会的要請に応じていくことになるはずなんですが、このずれというのがあるのに、法令、規則の方ばかり向いていると、法令、規則は守っているけれども、いつの間にか社会的要請に反した結果になってしまうということもあります。
 それは、一面で、日本の場合、特徴的な違法行為というのをもたらします。七枚目です。私はよく虫とカビという例えを使って説明しておりますが、違法行為の実態として、アメリカの場合は虫に例えられる。それに対して、日本の違法行為はカビに例えられるんじゃないかと思います。
 アメリカの場合は、何といっても、個人の利益のために行われる、個人の意思による違法行為が中心です。それは虫に例えられると思います。このような違法行為に対する対処方法というのは単純です。厳しいペナルティーを科せばよい。殺虫剤をまけばいいわけです。ところが、日本の場合は、多くの場合、組織の利益が目的となって、恒常的、継続的に違法行為が行われている場合が多い。その背景には何らかの構造的な要因があります。こういうようなカビ型の違法行為に対しては、単にペナルティーを厳しくする、殺虫剤をまいただけではよくなりません。カビは、まず、どこまで広がっているかを明らかにして、そして、その原因が汚れなのか湿気なのかということをはっきりさせてその原因を取り除かないと、よくすることができません。
 そういう面で、最近問題になっております官製談合の問題も、まさにこれはカビ型の違法行為の典型だと思います。まず、制裁の強化もさることながら、このようなカビ型の違法行為に対しては、原因を明らかにして構造的な問題を取り除くことが最善の策じゃないかと考えています。
 次に、ライブドア問題に関して、コンプライアンスの観点から考えてみたいと思います。
 今回の事件では、株式市場というのは一体何のためにあるのかということが問われているんじゃないかと思います。スライドでは八枚目からですね。
 株式市場というのは、端的に言えば、企業の資金調達のための手段だと思います。資金調達の手段には、国民が預金を金融機関に行って、金融機関が融資を通じて事業者に資金を供給するという間接金融と、国民が証券市場を通して企業に投資するという直接金融がございます。
 そして、この直接金融については、九枚目に行きます、その健全性を確保するために、この図に書いておりますような仕組みがとられています。投資家が証券市場に投資を行い、企業が資金調達するに当たって、企業内容が適切に開示され、それと同時に不正行為の監視が行われないといけない。そういう面で重要な機能を果たしているのが証券取引所であり、証券取引等監視委員会です。このような仕組みが十分に機能していれば、今回のような問題は起きないんじゃないかと思います。
 結局のところ、このような直接金融と間接金融が、それぞれのメリット、デメリットがきちんと認識されてバランスよく使われるということが経済社会にとって重要なんじゃないかと思います。
 そういう面で考えますと、直接金融には、メリットとして、多数の投資家の意思に基づく民主的な資金調達が行われるということ、あるいは新規事業への投資が促進されるというメリットがある反面で、デメリットとして、不公正な行為が行われると投資家が不測の損害をこうむる、資金使途に対するチェックが働きにくいということが言えるわけです。
 間接金融であれば、人の判断を通して、資金を流していいかどうかということが融資の担当者の判断を通して行うことができますが、直接金融の場合には、そういった形で不正行為の監視と企業内容の開示についてのチェックが行われることが不可欠だということになります。
 それでは、このような機能を充実させていくためにどのような施策が考えられるかということです。
 まず、今回のライブドア事件では検察による摘発というのが行われたわけですけれども、こういう証券市場の問題に関して刑事罰を適用するというやり方は、いろいろな面でマイナスもあります。生きている証券市場に対する影響が大きいというマイナス面もあります。そういうふうに考えますと、やはり、証券取引等監視委員会による行政的な措置などを通じての、日常的な監視活動を充実させていくということが当然考えられます。
 ただ、そこで問題になるのは、それでは、そのための武器が十分なのか、その武器を扱う人間が十分なのかということです。
 まず、武器の問題として、証券取引法による課徴金という制度が一昨年の証取法改正で導入されておりますが、課徴金のレベルというのは、経済的利得の徴収ということにその性格が説明されているために、非常に低いレベルにとどまっています。まず、そのレベルを、制裁という性格を明確に認めた上で、十分なレベルに引き上げる必要があると思います。
 そして、もう一つの問題は人材の問題です。証券関係の専門の法曹というのが、専門家というのが極めて少ないという現状があります。こういう現状のもとで、例えば証券取引等監視委員会の組織を充実させていくといっても、一体どこから人を持ってくるのかという問題を解決しないと、不公正行為に対する十分な監視はできません。
 そこで考えられるのが、証券取引に関する専門のキャリアの創設という考え方です。国税に関して国税専門官という制度がありますが、証券に関しても証券監視専門官というようなキャリアをつくって、そして、それに対応して証券法務士というような準法曹資格を認めるという方法があり得るんじゃないか。そのようにすることによって、さまざまな分野から人材を確保することが可能なんじゃないかと思います。
 このような制裁制度の不備、そして専門法曹の人材難という問題は、何も証券取引の分野だけではありません。違反行為に対する制裁制度が適切に構築されていないという問題は、むしろ経済社会全般に言えることじゃないかと思います。最近のいろいろなトラブルの多発を経済治安の悪化というふうに呼ぶとすると、その背景には、経済司法の未整備という問題があると言えるんじゃないかと思います。
 企業に自由な事業活動を保障するのであれば、経済法令違反に対して有効かつ適切な制裁制度が不可欠です。しかし、日本の経済社会においては、今まで全体的に司法の機能が未整備であった。特に、経済法令違反に対する制裁制度が、刑事罰は個人中心で、法人処罰というのが余り機能していない。行政という面では、行政上の制裁は官庁に裁量が認められない、制裁を科す権限が認められないということで、いまだに不十分である。そして、民事に関しては、実額の損害賠償しか認められず、懲罰的損害賠償が認められないということで、全体として非常に不十分です。
 では、この問題をどういうふうに解決していったらいいかということ、それではどこが中心になってこの問題を検討していくのかということになっても、経済法令は経済官庁の所管、そして司法制度は法務省の所管ということで、そういう組織、所管のすき間に入り込んでしまって、なかなか抜本的な検討ができません。こういった組織の垣根を越えた経済司法の全体的な確立ということが、まず重要な課題になってくるんじゃないかと思います。
 そして、もう一つ大きな問題は、先ほども証券法務士ということを申しましたが、この証券の問題に限らず、さまざまな経済の分野に関する専門法曹を育てていく必要があるということです。
 その点に関して考えますと、今、司法制度改革のもとで、私の勤務しておりますのも法科大学院ですけれども、法科大学院教育というのが昨年から始められています。まさに、司法制度改革の重要な目的として経済社会における法の機能というのがあるわけですから、法科大学院の教育を、もっともっと経済社会における法の機能の強化、専門法曹の教育という方向に向けていく必要があるんじゃないかと思いますが、これまで、どうも法科大学院の教育は司法試験対策という方向に偏りがちで、こういう経済法曹の養成という面で十分な教育が行われているかというと、甚だ心もとないところであります。むしろ、法科大学院の修了者に多様なキャリアでの活躍を保証していくことによって、司法の世界に優秀な人材を呼び込むことができ、それがひいては経済司法の確立につながっていくんじゃないかと思います。
 我が国の司法は、一般の刑事、民事に関しては極めて精緻なシステムを構築してまいりました。しかし、残念ながら、経済活動を規律する司法、すなわち経済司法という面では極めて脆弱です。真の経済構造改革を行うためには、経済法令違反に対する制裁制度の確立、そして経済法曹の養成という司法制度の確立が喫緊の課題でありまして、それによって、今後、企業に関する法を本当の意味で経済社会に機能させていくことができるんじゃないか。そのことが、先ほどの六番目の図でも申しましたように、社会の要請に企業活動がどう応じていくのかということ、これを法令の趣旨、目的をきちんと明らかにして、総合的に法の趣旨を理解して、企業活動を正しい方向に向けていくということにもつながるんじゃないかと思います。
 ということで、経済司法の確立ということをぜひ重要なテーマにしていただきたいということを申し述べて、私の意見の陳述を終わらせていただきます。(拍手)
○大島委員長 ありがとうございました。
 次に、馬居公述人にお願いいたします。
○馬居政幸 公述人(静岡大学教育学部教授) 静岡大学の馬居政幸と申します。よろしくお願いいたします。
 私は、今までの方とは違って、教育学部で社会科の教員になる人を教えていることを職業とする者で、その一方で、地域の中でさまざまな生涯学習等の活動に参加する人たちの支援に当たってきました。
 きょうはレジュメと資料を用意させていただきましたけれども、そのレジュメの冒頭に書かせていただきましたように、そのような地方と地域の現場での調査研究で学んだことをもとに、少子化と高齢化の同時進行、そして、国のレベルでは2年早く、地方では既に進行している人口減少に伴う女性や子供たちの生きる場の変化に対応する政策課題について私見を述べさせていただきたいと思います。
 資料の方には、これから述べさせていただく部分と少し異なる内容も入っておりますけれども、とりあえず、レジュメに従って時間の許す限りお話しさせていただいて、もし時間が余るようでしたら、資料の中に入れた別の観点の部分について説明させていただきます。
 まず、このような私の立場から平成18年度の予算案を読ませていただきました。その結果、少なくとも、財源と制度の制限の中で、少子化対策を最重要課題の一つに位置づけ、実現可能な処方せんを考案し、施策として実現しようとする努力に対して、率直に評価したいと思います。特に児童手当の拡充が図られたことは歓迎したいと思います。その理由はまた後に述べたいと思います。
 しかし、他方で、予算案に示された施策が子育て支援の範囲にとどまる限り、残念ながら、出生率回復への道は険しいと言わざるを得ません。その結果、高齢化率の上昇と人口減少の速度もまた今以上に速まる可能性があることを指摘せざるを得ません。
 既に、昨年暮れに発表された平成17年度国勢調査の速報値で明らかなように、少子高齢、人口減少社会への進行速度は推計値を超えております。今後、この国勢調査の結果をもとに、新たな人口予測が推計されると思います。その際に、地方と地域に生じつつある問題と、その延長線上に予測される危機的状況を把握し、問題解決への道を探るための新たな調査と研究が実施されると思いますが、その過程に、政治の責任を担う方々が強い関心を持って参加されることを願わざるを得ません。
 結果としてあらわれたデータだけではなくて、そのデータがどういう過程で生まれてきたのかという、データの背後にある現実を知ることからぜひ判断していただきたいと思います。コンマ以下の数値がどうなったかということで現実に動くわけではなくて、現実はもっともっと厳しい状況の中で動いております。
 少子化の進行がもたらす新たな状況は、社会制度の再設計を求め、その制度変革の方向の選択の決断は、法をつくり、実施する権限を持つ方の責任と考えるからです。
 その判断の一助となることを願って、レジュメに沿って私見を提示させていただきます。なお、レジュメでは2、3、4、5と4つに区分しておりますが、主に2、3、5を中心にして、3点に要約して述べさせていただきます。
 まず最初に、2に、「直近の社会状況へのラベリングを安易に出産率低下に結びつけるべきではない」という言葉を書かせていただきましたけれども、出生率が一体何で落ちていくのか、そのことについて、安易に現在の社会状況と直接結びつけることがかえって出生率低下を促進させる要因にもなるという、言いかえれば、出生率低下の原因というのは、もっともっと広く、また深いんだという部分を。
 最近、「下流社会」や「希望格差社会」など、ベストセラーの書名を用いて、小泉改革による規制緩和が格差を生み、現在と未来に対する不安を高めたことが出生率低下の原因との批判を目にします。しかし、それほど単純ではありません。合計特殊出生率が1.29になった2003年、平成15年、その年に、経済的に必ずしも豊かとは言えない沖縄の合計特殊出生率は、全国で最も高く、1.72でした。今もこの水準は維持しております。さらに、少子化は、何よりも日本だけの現象ではなくて、東アジア全域に広がっています。小泉内閣による構造改革の功罪という視点で、沖縄の出生率の高さや、一昨年、日本よりも低くなった韓国の合計特殊出生率の低下を説明できません。問題の根は、もっと広く、深い次元に求めなきゃならないと考えます。
 さらに、レジュメ2の2に示しましたけれども、今後は、再々度、つまり戦後3度目の出生数低下が顕著になってくるはずです。この問題も射程に置かなきゃならない。出生値ではなく、出生数です。問題はそっちの方なんです。
 資料、図の1を参照ください。よく知られている図ですけれども、私なりに手を加えて、3つの山と谷にそれぞれ名前をつけておきました。
 現在の出生率低下の原因は、今の社会状況ではなくて、1950年代の少産化、すなわち、さきの大戦後のベビーブーマーである団塊の世代の誕生の後、急激に出生数を減らしたことです。レジュメに示しますように、家族の55年体制とも言われる、都市のサラリーマン、専業主婦、子供2人、学校中心の子育てという戦後家族のモデルの功罪を問い、清算する迂回を避けては、出生率低下の根を見失うことになると思います。いつまでも、専業主婦とサラリーマンの夫と2人の子供を一生懸命育てる家族モデルを持っている限り、出生率の低下はとまらないという意味であります。
 ただし、このことは、過去の多世代同居の大家族に戻ることではありません。逆です。課題は、血縁を相対化し、個人化を前提とした家族のきずなの創造です。伝統的な家意識、家父長制あるいは嫁という世界から解放されることで、日本は世界に冠たる経済大国を築きました。この繁栄を維持しようとする限り、過去の家族に戻ることはできません。ただし、その繁栄をつくった戦後家族もまた過去のものになりつつあります。その戦後家族の射程は工業化の段階まででした。
 実は、出生率低下が高齢化率上昇に結びつくまでに40年以上の時間がかかります。この間は、子供の数は減っても高齢者はふえず、双方への扶養負担が少なく済み、経済発展に有利になります。この時期を、国連が人口ボーナスと名づけました。日本の高度経済成長は、まさにこの時期に重なるわけです。
 この人口ボーナス時に工業後の家族観を誘引する意識、価値と制度を構築することを怠ったツケが現在の少子化です。転換のチャンスは80年代でした。そのとき、日本は、中福祉・中負担という名分により、専業主婦を支援し、その再生産を前提とする制度設計の道を選択しました。その代表が、年金における3号被保険者でしょう。しかし、実際に生じた現象は、出産を選択する前に結婚をためらう女性の増加と、資料4ページの上に載せておきましたが、東京のデータですけれども、女性が結婚をためらえば、その必然として、30代後半になっても、全国平均で25%、都市部では3割を超す男性が独身という時代を呼ぶことになりました。
 これは前回の国勢調査の結果ですので、ぜひ今回の国勢調査、この方たちが40代前半に入ってきていますので、多分、生涯未婚率という形に置きかえられると思いますけれども、どこまで伸びているか、伸びているかという言い方も変なんですけれども、根本的な日本の社会構造を変える要因になると私は考えております。
 このような選択の背景には、高福祉・高負担への危惧という経済財政の論理だけではなく、血縁と地縁、あるいは、あえて言えば、社縁とか新しい知縁といったような縁も含めて、日本的あるはアジア的な、個と集団の関係の再構築を阻むアジア的基層文化に根差した家族観があったと考えられます。血縁を清算することなく、自己実現を求める教育と経済の論理に裏打ちされた個人化の進行は、新たな家族創造への意欲と覚悟の形成を阻害するものとして機能しました。親の愛のあかしとして与える子供時代の豊かさは、みずからが親になるための結婚、出産、育児の意味と価値を見失わせることになりました。
 少しかたい表現ですが、具体的に申し上げます。
 団塊の世代までは、家族をつくることは人間として当然の行為でした。生活の安定と保障は、自分の家庭をつくることで得ることができました。しかし、今私が教える学生にとって、結婚、出産、育児は、人生の選択肢の一つであります。しかも、その選択肢は、それまでの人生で得たものを失うことを意味します。しかも、喪失感と負担感は女性だけではありません。男性の側にも、相手の人生を引き受ける負担感への戸惑いが生じています。男女ともに、家族をつくることで失うものの多さを解消できない限り、今後も、キャッチアップ現象、すなわち、晩婚化もしくは高齢出産ということによって人口が復活するというのがシナリオでしたけれども、それは期待できないと考えます。
 その結果、先ほど申し上げましたさまざまなラベリングというのは、現在の社会状況に応じて説明することが、出生率を上げたいという思いが、かえって逆にそこから離れていく人を正当化する、だから子供を産まないんだ、だから結婚しないんだという理由づけにされると思います。その結果、出生率が低下しても出生数の低下を押しとどめていた現在30代前半にいる団塊ジュニアが30代後半に入る数年後に、戦後3度目の子供の減少時代を迎えることになります。
 言いかえれば、今出生率の低下がいろいろ話題になっていますけれども、本当の問題は出生数なわけです。その出生数は、母集団である団塊ジュニアがいたために、率が下がっても数は比較的減らなかったんです。ところが、それがいよいよ30代後半に入っていきますと、分母の割に子供の数が出てこなくなって、出生数そのものが減り始める。
 さらに、この現象は日本だけではありません。韓国、台湾、香港、シンガポールと、かつてアジアNIESと呼ばれた国々は、すべて、日本よりも急激に進む出生率の低下をとめるために苦闘しています。さきに、少子化の原因はアジアの文化の基層に及ぶ問題と考えた理由です。日本も含めてアジア各国は、何千年もかけて築いてきた子供を生み育てることの意味や価値あるいは知識や技術を、工業化の成功とともに見失ってしまったのではとのレベルでの検討が求められます。もしそうであるならば、出産、育児の理念や方法を新たに創造することから始めなければなりません。
 しかし、ここで確認しておかなければならないのは、あくまで子供を産むかどうかの選択は個人の判断によるということです。公的な行政の役割は、出産奨励ではなく、子育て支援のための条件の整備にとどめるものでなければならないことが前提になります。
 そのため、少子化対策の名のもとに実施された施策の多くは、出産時以降の負担を軽くすることにかかわるものでした。言いかえれば、出産やその前提にある結婚を直接奨励する施策は控えてきたと思います。
 しかし、その結果生じたのは、推定より2年早い人口減少社会への転換でした。非常に悩ましいことですが、現状の対策レベルの施策を続ける限り出生率の大幅な上昇を期待できないとの現実認識に基づき、人口減少社会へのソフトランディングの方法をも視野に置いた検討が必要であると言わざるを得ません。これが、困難な改革の決断が求められると考える2つ目の理由です。
 出生率の回復いかんにかかわらず、既に高齢化率30%を超える自治体は、全国に少なからずあります。現在は交付税等で財政を維持していますが、今後の改革の方向によっては、破綻する自治体が出ることを避け得ないでしょう。何よりも、その交付税の源である大都市における高齢者の急増への対応が課題になります。
 資料2ページの上の図を見てください。実数レベルにおいて高齢世帯の増加が、埼玉県の133.7%、すなわち現在の2.3倍になることを筆頭に、大都市を中心に急激に生じることが国立社会保障・人口問題研究所によって推計されています。言いかえれば、これからは大都市が高齢化に入っていくわけです。それも急激に、量の問題として。単独もしくは夫婦のみの世帯が全世帯の3割前後になることも推計されています。すなわち、大都市は特に、ふえる高齢者は単独もしくは夫婦のみ、縁故のないということになります。今の埼玉のマンション群が、高齢化したときのことを想像してみてください。
 ただし、日本経済の潜在力は大きく、高付加価値の産業によって、人口減少をより豊かな社会に転換する契機と見ることもできます。小泉改革はその道筋を示すものと評価しますが、このことは新たな困難を呼び込むことになりかねません。労働力を外国の人たちに依存することになるからです。
 資料1ページを見てください。現在の出生率が、あるいは出生数も含めて、国立社会保障・人口問題研究所の推計では低位推計に近いことは周知のことだと思います。そのため、このままで推移すると、団塊の世代が80代になる2030年に生まれる子供の数は64万人です。昨年生まれた107万人と比較すると4割減。1年間に250万から270万人生まれた団塊の世代と比較すると、3割にも届かないわけです。同時に、先ほど申し上げましたように、17年度国勢調査から、予測よりも減っていることが明らかですので、再集計、再推計することによって、この数はもっと減ってくるはずです。
 小泉改革による財政再建は、子供たちに負担を残さないことが目的です。先ほどもそういう話がありました。しかし、もし出生率の回復に失敗しますと、経済が復活しても、伝えるべき子供を失うことになります。それは、この国の未来を、私たちの子供ではなく、他国の人たちにゆだねることを覚悟しなければならないことであります。レジュメの3の末尾に「新日本人」と記した理由です。
 したがって、日本の未来を私たちの子供に託すことを望むならば、どんなに困難でも、出生率の回復を実現しなければなりません。しかし、さきに述べましたように、出産を強制することはできません。出産と育児を支援する制度を整えることしかできません。これが第3の、そして最も困難な、かつ重要な選択の決断の課題です。
 私は、道は2つあると考えております。
 1つは、出産、育児、教育にかかわる負担感を排除する制度です。
 出産費の無料化が政策課題に挙げられましたが、医療費や教育費の負担をなくすことも課題となるでしょう。さらに、望む方はすべて受け入れることが可能な質と量を保障する保育施設を完備し、ベビーシッターのように家庭内での保育を支援する制度も充実させなければならないでしょう。ふなれな子育てに悩む親を支える専門家も育成しなければならないでしょう。
 ただし、負担感をとるだけでは不十分です。もう1つの、そしてより重要な道は、子供を生み育てることで、より豊かな生活が保障される制度です。負担感と同様の表現で言えば、お得感です。
 多分、このように表現すると、違和感を感じる方が多いと思います。しかし、思い返してみてください。皆さん方が、結婚をし、子供を育てることで得たものがたくさんあったと思います。逆に、もし結婚や子育てで失うものが多いとわかれば、迷わなかったでしょうか。子供の誕生を、天から授かるに任せるのではなく、制限した背景に、生活の豊かさの維持という基準がなかったでしょうか。
 現在の若い人たちも同じです。違うのは、結婚、出産、育児によって、失うものと負担になるものが飛躍的にふえたことです。それも、女性だけではなく、男性にも。
 加えて、その背景には、誤解を恐れずに言えば、男女平等や男女共同参画という理念ではなく、性差ではなく、一人一人の個性と能力による成果を評価する教育と経済の論理があることです。
 少なくとも、現在の職場からすべての女性が専業主婦の道を選べば、日本の経済は破綻するはずです。まして、グローバル化する大競争時代を勝ち抜くために、また、経済の復活と少子化による若年層の減少が同時進行する時代を迎えて、経済が復活したという話はよく聞くんですが、大丈夫なのかと、正直思います。80年代のあの、就職難ではなく、逆に求人難が再び生じるのではないか。子供たちはこれからどんどん減っていきます。それは大学で教えている私が今実感していることでございますが、グローバル化する大競争時代を勝ち抜くために、また、経済の復活と少子化による若年層の減少が同時進行する時代を迎えて、人の財、宝の選択と配置を性差を基準に行う企業は生き残れないでしょう。しかし、同時に、後継者を再生産できなければ消えていかなければならないのは、企業も国家も同じです。
 このような厳しい条件のもとで子供を生み育ててくれる人たちに、育児時間の給与を保障し、税制で優遇し、児童手当や奨学金などによって、子供を生み育てること自体で家族の生活が保障される制度を用意することは、理にかなったことと考えます。
 もちろん、この2つを実現するには、かなりの額の財源が必要になります。現状のままでは不可能です。国民の皆さんに新たな負担をお願いすることにならざるを得ないでしょう。その際に重要なのは、その理由です。この国の未来を私たちの子供にゆだねるのかどうかを問わなければならないでしょう。
 少なくとも、国民の皆さんは介護保険を受け入れてくれました。家族介護ではなく、社会全体で負担することを理解してくれたわけです。子供を生み育てることに伴う負担を社会全体で分担していただくことをお願いする勇気を、日本の未来の、選択し決定する責任をゆだねられた皆様方が、すなわち国会議員の皆さん方が持たなければならないときが来ていると私は考えます。
 しかし、このような負担は、当然のことながら、政治と行政への信頼の回復がなければ不可能です。今後進める行政改革を含めて、国会の場でみずからを削る覚悟が何よりも必要と考えます。
 最後に、この私のアイデアをゼミ生に話しました。多くは女性なんですけれども。すなわち、介護保険もしくは年金の、介護保険ならば20まで拡充することを前提にですが、自分たちに返ってくる、すなわち子供を育てるということによって返ってくることがわかれば、年金も介護保険も払いますよと。確実に取り返す方法が見えれば、払うものだと思います。同時に、払ってしまえば、取り返すために産むという選択肢も多分あり得ると思います。少なくとも、子供を産むことによって自分の生活が保障される条件が整えば産みたいという方は、周りにたくさんいます。
 御清聴ありがとうございました。以上でございます。(拍手)
○大島委員長 ありがとうございました。
 次に、牧野公述人にお願いいたします。
○牧野富夫 公述人(日本大学経済学部教授) 日本大学の牧野と申します。
 お四国大学という言葉を私は最近知りました。特定の大学を指す言葉ではもちろんございません。四国巡礼のお遍路さん、あの中に、休学したりあるいは退学したりした大学生が年々ふえているのだそうです。こういう現象を指してお四国大学と呼ぶということを最近知りました。大変深刻な問題だと思います。もちろん、そういうところに、自分の大学からお四国大学に転学した諸君の中には、自分探しとか、さまざまなねらいはあるんでしょうけれども、私は、ある背景があってそういうことになっていると思わざるを得ません。
 求人数、これは正社員として人を雇う求人数でありますが、ここ10年ほどの間に、高卒ですと7分の1、短大卒だと4分の1、四大卒で2割ぐらい減っている、こういう実態があります。ということは、高卒、短大卒、四大卒の学生諸君が、卒業していく諸君が、学力、人間性その他の面で仮に100%すぐれた若者たちであったと仮定しても、いわゆるフリーター、ニート、こういった若者たちが相当数出るのは、これは必然なんですね。何か、最近の若者は我慢が足りないとか、いろいろなことを言われますけれども、100%理想主義的な若者であってもニート、フリーターは出る、相当数出る、このことはきちんと踏まえておくべきことだと思います。
 どうしてこういうことになったかといいますと、企業の厳選採用ということで、正規の採用を極力絞り込んで、パートとか派遣とか、いわゆる不安定雇用に中心をシフトしていっている、こういうことがあります。こういう企業の雇用に向けての対応は、今日のいわゆる新自由主義という政策のあらわれであると考えざるを得ません。新自由主義というのは、最高の価値を市場原理に置いて、市場原理が活動するのを妨げるものはすべて取っ払う、要するに規制緩和、これが労働の分野でも90年代の後半から相次いで行われていて、そういうもとで、申し上げたような厳選雇用を促していっている、こういう関係があるのだろうと思います。
 私の周りにいる学生諸君に、君らが今の親の世代になったときに親の世代のレベルの生活ができると思うかと聞きますと、ほとんどがノーであります。私の学生のころだったら逆でした。夢を持てずにいるわけであります。
 こういうときでありますから、夢の持てる予算案、予算をつくっていただきたいと思いますが、正直、拝見した予算案は、私に遠慮なく特徴づけをさせていただくならば、少子化加速型予算あるいは夢つぶし予算……(発言する者あり)そうですね、そんなことになるのではないかと思います。
 それで、小泉首相の施政方針演説でも非常に強調されたわけでありますけれども、小さな政府、言い方は、簡素で効率的な政府と言っても同じでありますけれども、簡単に、小さな政府を目指すということが非常に大きく柱として打ち出されています。
 小さな政府にしなくちゃいけない理由、いろいろ言われていますけれども、国際競争力の強化、ここにエッセンスは、私の読む限り、言っています。では、その小さい政府をつくり出す手段、方法は何かということで、これが構造改革、こんなふうな関係になっています。
 ところが、その一つずつを見ますと、まず、中心にある小さな政府でありますけれども、これを目指すということですが、既にそうなっているではありませんか。公務員の数だって、人口当たりの国際比較で見て、日本はヨーロッパの半分から3分の1ではないですか。社会保障費だってそうではありませんか。既にこの国は小さな政府なんです。にもかかわらず、小さな政府を目指すというおっしゃり方は、これは一つのイデオロギー論ですね。事実とは違うんです。その理由として、さっき申し上げたように国際競争力強化のために、こういうことになっていますけれども、一体何なんですか、国際競争力というのは。さまざまな試算がありますけれども、あれはラッキョウの皮むきみたいなものじゃないですか。
 IMDインターナショナルという、皆さん御存じの、権威のある、そういう比較をやっているところによると、91、2、3年までは日本の国際競争力は第1位でした。以後、どんどん下がっていって、一番低いときには30位、まあ10位台に今ずっと推移している、こういうことであります。
 リストラをしなくちゃいけない、賃下げをしなくちゃいけない、そうしないと国際競争力が保てないという議論が当たり前のようになされていますけれども、先ほどの、93年までは日本の国際競争力は世界一で、その後下がっていった過程というのは、まさに賃下げ、リストラの時代に日本の国際競争力は下がっていっているんですよ。ですから、人件費を抑えれば国際競争力がふえるなんというのは、これは幻想だと言わざるを得ません。
 いいですか、私が申し上げているのは、小さな政府を目指す、そのためには国際競争力、目指す理由は国際競争力を強めるためだ、この二つとも根拠がないんですよ。あるのは構造改革。
 この構造改革も、何をどう変えるかということでいろいろな問題がありますけれども、これも、要するに、市場に任せておけば常に資源は最適に配分される、最適配分がもたらされる、こういう哲学によっているようでありますけれども、この構造改革という言葉が初めて公式に使われたのは93年、その後、橋本六大改革、そして何よりも、小泉内閣のもとで連日のように聞かされてきているわけでありますけれども、今世間でも問題になっているのは、格差拡大社会の到来ということであります。小泉首相は、格差があっても悪くないじゃないかと。非常にまじめな発言だと思いますね、正直な。だって、構造改革をやればそういうことになるのは当たり前ですから、そうなるのは当然ですからね。
 私は、勝ち組、負け組の二極化が進んでいるという言い方に必ずしも賛成じゃないんです。勝ち組、負け組の二極化と言う以上は、勝ち組の方にせめて3分の1ぐらい行っていて、3分の2ぐらいが負け組になっているというんだったら二極化と言っていいと思うんですけれども、勝ち組というのは、ごくごく限られた微少な部分じゃないですか。
 確実に進行していることは、ほとんどの勤労国民が、庶民が、その生活が悪化しているということ、これは間違いない現実ですよ。
 幾つか申しますと、賃金は7年間下がっています。可処分所得もそうであります。この賃金減少には、成果主義、これが導入されて、成果主義が賃金を下げる。確かにそうですよね、中高年のカーブを抑えますから、成果主義というのは。そういうことを内閣府の最近の論文も指摘していますね、結果として成果主義の導入が賃金を下げていると。結果としてというのは一体どういうことですか。もっとしっかりしてほしいと思いますね。成果主義というのは、何よりも人件費を下げることが第一の目的じゃないですか。
 それと、賃金が7年間下がっているということに関連して一言補足しますと、サービス残業がふえていますので、人を切り詰めて正社員の残業がふえていますので、そのことを入れて時間賃率で見ると、もっと下がっているということになります。とにかく賃金が下がっているということは、公式の統計でもごらんのとおりであります。
 2つ目に雇用。これが、正規雇用から非正規雇用、安定雇用から不安定雇用。私、最近、この不安定雇用という言葉を使うのをちょっとちゅうちょするようになりました。ある時期まで、不安定雇用というと、パートとかアルバイトとかそういう形態の雇用のことだということでよかったんですけれども、最近は正規雇用も不安定ですからね。
 この不安定雇用という言い方は、そろそろ私は書くものではやめようと思っていますが、今申し上げているのは、正規から不安定になるということは、これは所得減につながることは申し上げるまでもないことであります。正規から非正規に変えて、雇用破壊を通じて賃金を下げるというやり方、つまり、賃金だけを例えば半分に正規のままでしようとしたら、これは熟睡している労働組合だって飛び起きますよ。そんなことは賢い企業者がやるはずはなくて、雇用破壊を通じてということで人件費を下げていっていることは、指摘するまでもないことであります。
 3つ目に、まあ順番はどうでもいいんですけれども、賃金、雇用と来ましたので3つ目にということでありますが、貯蓄率が結果大きく下がっています。これはいろいろな理由があると思いますけれども、今2%台でしょう。可処分所得の中の貯蓄に回る比率が2%台です。70年代はどうでした、20%台でしたよ。10分の1になっちゃっている。このことも、以前に比べて勤労国民の状態が悪くなってきていることのしるしとして指摘できると思いますが、そのために、就学補助が、何とこの4年間に4割もふえています。
 順番でいうと5つ目になりますかね。少子化については先ほども話がありましたけれども、人口が、昨年10月時点で、その前の1年に比べて、戦後初めて2万減った。これは、いろいろなことを総合した結果であるに違いないと言わざるを得ません。
 今5点だけ言いましたけれども、意識調査を見ましても、つい最近、日経新聞がやったもので、これは80年代の終わりと比べてですけれども、暮らし向きが悪くなったという比率が37%ということであります。とにかく、そういう意識調査、さまざまたくさん出ていますけれども、よくなったという調査があったら、私は寡聞にして存じませんので、教えていただきたいと思います。
 とにかく、幾つかぱらぱらと申しましたけれども、二極化というよりも、確かに二極化は二極化でありますけれども、だって、大企業、大銀行の収益増は、アメリカや中国の外部条件プラスリストラ効果だというのは常識ですね。そういうところと比べて二極化でありますけれども、やはり、先ほど申し上げたように、勤労国民全体が、生活状態が、のみならず将来の展望、そういうことも含めて悪くなっているということは、これは否めないことであると思います。
 時間を皆さんお守りになりましたので、私も守ることにいたしますけれども、私は教育の場で仕事をしております。教育というのは、せんじ詰めれば、学生たちとともに夢を語り合うことじゃないんですか。若者に夢を持たせる、どうかそういう予算にしていただきたいということを申し上げまして、私の発言とします。
 どうも失礼しました。(拍手)
○大島委員長 ありがとうございました。



○佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。
 公述人の4人の皆さん、大変御苦労さまでございます。
 雇用問題について、まず牧野先生にお考えを伺いたいと思います。
 先ほどのお話、なかなかずばり本質をつくお話でございまして、大変参考になりました。特に雇用問題で、正規雇用、非正規雇用というふうに分けて、非正規雇用が不安定だという言い方はおかしい、正規も含めて不安定であるから、全体をどうするかということを考えなければならない、こういうふうにおっしゃいました。なるほどというふうに思いました。
 ただし、私は、今の雇用状態、特に非正規雇用がどんどんふえていくという状況は、自然にそうなったのではないのではないか。やはりその裏に、ある政策的な意図がそこには作用しているに違いないというふうに思っております。
 特に財界の雇用政策、これがやはり大きく変わってきたのではないか。特に、日本が多国籍企業化し、世界に大きく展開をしていく過程で、国内の雇用政策そのものも大きな転換を遂げてきた。同時に、その財界の意向が政府の政策に直接反映する形になっている。そして、その仕掛けは、経済財政諮問会議というのもありますけれども、同時に、雇用分野での規制緩和を推進していく、政策をつくり推進していくその部署に直接財界の代表が入っているんじゃないか、労働組合の代表はどうも入っていないようだ、こういうことも聞いておりますので、その辺の、現在の雇用全体を不安定にしていく背景にあるこういう構造といいますか、その点を牧野先生はどのように把握されておられるか、お話を伺いたいと思います。
○牧野富夫 公述人(日本大学経済学部教授) 90年代に入って、一つは、長期不況の時代に入ると同時に、経済のグローバル化が進んでいく。そういう中で繰り返し強調されたのが国際競争力論であります。
 それで、日本の国際競争力を妨げているものとして、世界のトップクラスの賃金という言われ方が、当時、日経連でしたけれども、盛んにやられる。終身雇用であるとか年功賃金あたりが、これは古い制度であるということで攻撃の焦点になっていったという経過があると思います。
 そのことをまとめた形で提起した重要なリポートが、これは95年、日経連当時の、新時代の日本的経営というものでありました。それで言っていることは、一つは、労働力の流動化、それと多様化、いろいろな雇用形態があり得るわけだから、とにかくそれを追求していきましょう、こういうことでありました。
 企業は、とりわけ民間大企業は、以後、労働力の流動化、雇用形態の多様化ということを追求していくわけであります。ただ、法律で規制されている部分がありますので、そこが労働分野の規制緩和ということで、日経連が非常にはっきりした形で政府に要求していく。例えば派遣労働者だって、今のままじゃ使いにくいであるとか、裁量労働だってあるけれども、あんなのじゃ使いにくいとか、さまざまな規制緩和を要求していく。
 それに、事実を見ると、財界が要求したようにほぼなっていっている、こういう関係がありますね。だから、そこのところは事実としてそういうふうな関係にあるということだけは申し上げてよろしいと思います。
 差し当たり、そういうところでよろしいでしょうか。
○佐々木(憲)委員 はい、いいです。
 もう一点、続けてですけれども、そういう財界の意向が反映される政策になってきているという、事実関係としてそういうことをおっしゃいましたが、それを推進していく仕掛けというのはどのように先生は見ておられるかということをお聞きしたいと思います。
○牧野富夫 公述人(日本大学経済学部教授) 仕掛けはつくった人に聞いてもらった方がいいと思いますけれども、ワークシェアリングというのが私は一つの仕掛けになっているように思います。
 日本の失業率というのは非常によろしくて、雇用優等生と言われてずっと来たわけでありまして、失業率3%になったのがちょうど95年です。98年に4%、その後、4%台の後半、5%をうかがう、こういうことになっていっているわけでありますけれども、雇用問題、失業率が高くなっていく過程で、ワークシェアリング、つまり仕事をシェアしましょう、分け合いましょうというふうなことが言われていくわけです。
 そういう中で正規以外のさまざまな雇用形態がつくられていったということでありまして、そういう仕掛け、それは企業レベルの仕掛け、それに規制緩和ということで国レベルの仕掛けがかみ合っていった、そんなふうな関係ではないかと見ています。

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