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東海での活動

東海での活動 − 政府への要請基地撤去医療・介護・障害者・年金静岡県

【10.01.22】静岡県の皆さんと政府要請

   2010年1月22日、佐々木憲昭議員は、静岡県の皆さんとごいっしょに、政府要請を行いました。
 佐々木議員は、駿河療養所の問題で厚生労働省要請に参加しました。
 高齢化している元ハンセン病患者の皆さんの命と暮らしを支える緊急対策をもとめました。また、地元住民の方々とともに、地域ぐるみで療養所の将来構想をつくり上げていくことを確認しました。
 この要請には、御殿場市の市議会議員の厚見道代さん、参議院選挙比例代表予定候補のかわえ明美さん、参議院選挙静岡県選挙区予定候補の渡辺浩美さん、元衆議院議員の平賀高成さんも参加しました。

厚生労働省への要請文

 戦前から戦後にかけて、ハンセン病を発症したというだけで、患者は社会で生活することを許されず、官民一体となってすすめられた「無らい県運動」等により、町や村から徹底的に排除され、山間僻地や離れ小島に開設された国立療養所に強制隔離されました。国立駿河療養所もそのひとつであり、東海北陸地区唯一の国立ハンセン病療養所として1945年6月10日開所し、すでに64年が経過しました。約11万坪の敷地に22,644平方mの建物延べ面積があり、病床数は医療法282床、入院定床130床、職員数・定員125名、賃金職員42名。計167名の療養所です。
 親や兄弟姉妹と一緒に暮らすことが出来ない。実名を名乗ることが出来ない。結婚しても子どもを生むことが許されない。一生療養所から出て暮らすことが許されない。死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない。長い間こうした生活を元患者の人達は強いられてきました。
戦後、特効薬プロミンにより、ハンセン病は治癒するようになりましたが、患者の強制隔離絶滅政策を基本とした「らい予防法」は、1996年まで存続したために、病は癒えても社会復帰は容易ではありませんでした。
 2001年5月のハンセン病国賠訴訟の熊本判決は国のこの政策を憲法13条に定める人格権の侵害にあたると断罪し、その後の制度改革によりハンセン病政策は大きく前進しました。しかし、全国のハンセン病療養所では、長年の隔離により高齢化が進み、社会の根強い差別感情もあって依然、社会復帰は容易ではありません。「らい予防法」廃止時に全国で5千人といわれた入所者の数は現在3千人を切り、10年後には1千人以下になると予想されています。駿河療養所においても2010年1月現在で99名です。それにも拘らず、国はハンセン病療養所の将来についての具体策をなんら示すことなく、ただ入所者の動向を傍観しているのみで自然消滅を待つという姿勢です。こうした国の姿勢を容認すれば療養所が医療機関として立ちいかなくなることは明らかです。
 平均年齢が79歳を越え、入所者の皆さんは、この先療養所でどのような暮らしが出来るのか、どういう医療体制が確保されるのか、将来像が見えないまま、不安な思いを募らせています。今、国立駿河療養所の将来構想の構築は緊急の課題となっています。

  1. いま駿河療養所では医師、看護師や、介護員の欠員という深刻な問題があります。二重三重にも後遺症を背負った入所者の皆さんの診療、看護や介護は一般病院などと同じ物差しで計ることは出来ません。
    • 医師、看護師や、介護員の欠員は国が責任を持って確保すること。
    • 職員を国家公務員総定員法の削減対象とせず、賃金職員の定員化等処遇の改善をおこない、入所者の皆さんにサービスを提供できる条件を国の責任で保証すること。

  2. 国に先駆けて、御殿場市が取り組み始めた「駿河療養所の将来構想検討委員会」の取り組みは入所者の皆さんが地域に開放された療養所で社会復帰を果たしながら、将来にわたり安心して生活し続けられる構想を入所者自治会、療養所の医師・職員、行政、議会、市民代表等が参加して検討を進めるものです。しかし、本来療養所の将来構想は国の責任で構築すべきものです。
    • 将来構想を検討するためには、その基礎となる情報が必要です。そのためにはソーシャルワーカーなどの専門知識を有するチームをつくり入所者の皆さんや、市民、各種団体などへのアンケートを含めた調査を行ない検討委員会で検討できる基礎データをとる必要があります。国の責任で調査を行なうこと。(もしくは自治体への予算補助を行なうこと。)
    • 駿河療養所は開設以来公共の交通機関のない、「陸の孤島」状態が続いています。全国13ある国立療養所でこんな状態にあるのは駿河療養所だけです。入所者の皆さんの地域社会への交流の自由を保障し、地域住民も気楽に足を運び交流を図るためには公共の交通機関の療養所内乗り入れが欠かせません。2007年8月16日には全国退所者原告団連絡協議会東海地区(さくらの会)が5,239人分の署名を添えて御殿場市長に療養所への公共バスの乗り入れを要請されました。国の責任で公共交通機関の療養所内乗り入れを確保すること。

防衛省への要請文

 昨年12月12日、御殿場市民にとっては大変衝撃的なニュースが流れました。それは、米政府が沖縄県普天間飛行場で実施している米海兵隊のヘリコプター訓練の一部を東富士演習場(キャンプ富士)に移転する案を日本側に伝えたとの報道です。
 この報道に対して、14日には地元行政や静岡県、東富士演習場権利者団体などが、迅速に対応し、防衛省や南関東防衛局に「地元としては、断じてこれを容認できるものではない」と抗議を行なってきました。
 御殿場市議会も議会最終日の18日には地元議会としても、「この問題は断じて容認できない」と全会一致で反対の決議を行ない、21日には直接、国に届けました。
 東富士演習場は、1959年以来、国と地元の間で東富士演習場使用協定を締結し、それに基づき運用されてきました。
 この使用協定の根幹をなす、東富士演習場対策四原則の第一には、米軍東富士演習場の全面返還を求めています。普天間のヘリコプター訓練移転に関する一連の報道は、返還が終わらなければ戦後は終わらないという市民の悲願に、まさに逆行するものです。
 今後、これを国が受け入れることがあれば、これまで築いてきた地元と国の信頼関係は根底から覆ることは間違いありません。会議が始まった、第九次東富士演習場使用協定の終結協議や、今後の東富士演習場使用に重大な影響を及ぼすことになります。
 鳩山首相は12月15日、米海兵隊普天間基地の「移設」問題の「結論先送り」を決定しました。しかし、政府は辺野古への新基地建設予算は計上し、環境影響評価の手続きも継続する方針であり、2006年5月の在日米軍再編合意の「基本線は崩さない」姿勢を示しています。
 沖縄県民が望んでいるのは、沖縄の代わりに日本のどこかに普天間基地を「移設」することではありません。普天間基地の危険な演習を即刻止めて、基地を無条件に閉鎖することです。
 沖縄の米海兵隊は「日本防衛」とはまったく無縁の侵略部隊です。これまでもアメリカが他国を侵略するさいに、その先陣を切る「殴りこみ部隊」の役割を担ってきました。こうした部隊の存在は平和憲法を持つ日本にそぐわない事は明らかです。米海兵隊は沖縄からも東富士からも出て行くべきです。
以下の点を要請いたします。

  1. 東富士演習場使用協定の基本原則を堅持し、新たな基地負担を断固認めないでください。
  2. 普天間基地の「移設先」探しではなく「世界一危険な」基地は無条件で撤去させる立場で対米交渉を行なってください。

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