東海での活動
【04.12.17】過労死したトヨタ労働者遺族と厚生労働省交渉
2004年12月17日、佐々木憲昭議員は、過労死したトヨタ労働者の遺族と一緒に厚生労働省に交渉しました。
内野健一さんは、2002年2月9日にトヨタ自動車堤工場で、仕事中に突然倒れそのまま亡くなりました。不整脈による心停止、過労死です。
この日、内野さんの妻、6歳と4歳の子どもたち、そして支援の方々といっしょに厚生労働省と交渉しました。八田ひろ子前参議院議員とも同席しました。
過労死した内野健一さんは、月に144時間も残業をしていました。工場の人事担当は1114時間までは、残業を認めています。
ところが、かんじんの豊田労働基準監督署長は、そのうちの一定部分を「業務外だ」として認めず、96時間の残業時間しか認めないといいます。
上司から任命されなおかつ査定にも響く実態があったにもかかわらず、QCサークルリーダーとしての仕事、組合の職場委員、職制会の広報係、交通安全リーダー、新人教育係などの仕事については、「労働時間外」だというのです。
これはあまりにも実態とかけ離れています。
遺族は、具体的な資料も示して、過労死として認定するように訴えました。
厚生労働省への要請文
トヨタ自動車勤務の内野健一さんの過労死認定を求める要請書
2002年2月9日(土)明け方の4時20分、トヨタ自動車の堤工場で働いていた内野健一さん(当時30歳)が、作業中に突然倒れ、勤務中に亡くなりました。一週間ごとに朝夕が逆転する連続2交代制の不規則な勤務のうえに、亡くなる前の一ヵ月間の残業時間は、月144時間にも及んでいました。
品質管理に厳しいトヨタ自動車の品質検査係のサブリーダーとして、不具合車の対応で大きなストレスや緊張を抱えながら、厚生労働省のいわゆる「過労死ライン」(「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」)さえ大幅に上回る異常な長時間労働を強いられていたことが原因の過労死であることは明らかであり、内野さんの労働時間を適正に管理できなかったトヨタ自動車の責任は重大です。
ところが、2003月12月、豊田労働基準監督署長は「業務外」を理由に過労死認定を却下しました。しかし、その調査は大変ずさんなもので、とても納得のいくものではありません。現在、愛知労働者災害補償保険審査官に審査請求中です。
内野さんが亡くなってすでに2年と10ヵ月も経過しています。
残された遺族の悲しみは筆舌に尽くしがたいものです。早急に内野健一さんの過労死を認定し、二度とこのような痛ましい事故が起きないために国が抜本的な対策を取ることを求めて、以下の内容を申し入れます。
- 内野健一さんの亡くなる前の1ヵ月間の残業時間の計算では、月144時間にも及んでいたことが明らかになっている(工場の人事担当は114時間は認めている)。過労死ラインも大幅に上回るこうした異常な長時間労働の実態を認め、過労死であることを認定すること。
- 内野さんが、上司から任命され、なおかつ査定にも響く実態があったQCサークルリーダーや創意工夫の作成・チェック、組合の職場委員、職制会の広報係、交通安全リーダー、新人教育係などを実態に基づいて“業務”と認めること。
- 内野健一さんの事件について、豊田労働基準監督署長は、内野さんの反対番で働く労働者が、内野さんに比して時間外労働が少ないことを理由に、内野さんの過労死を「業務外」と決定した。しかし、一般論からいってもこうした判断方法は明らかに誤っている。過労死の認定に際しては、亡くなられた労働者の労働実態を、個別に実態に基づいて正確に調査すること。
- トヨタ自動車の過労死するような異常な長時間労働は、一人内野さんだけの問題ではない。トヨタ労連の調べでは、所定外労働時間年間「360時間超」の労働者は、2000年度の2343人から2003年度には10375人(うち540時間超は994人)と急増している。こうした大幅な残業を見込んだトヨタ自動車の生産計画を見直させること。また、正規社員を増員し、若者に雇用の場を提供し大企業として社会的責任を果たさせること。
- 異常な長時間労働を規制するためにサービス残業をなくす抜本的な対策をとり、時間外労働時間の上限を法制化し、違反した企業にたいしては罰則を課すこと。