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憲昭からの発信

憲昭からの発信 − 論文・対談

座談会 福田内閣下の国会に見る政党状況と日本共産党の役割 ---論戦と運動で政権を追い詰める大筋に立つ党国会議員団の奮闘

『前衛』2008年8月号
穀田恵二(衆議院議員・党国会対策委員長)
佐々木憲昭(衆議院議員・党衆議院国会対策副委員長)
井上哲士(参議院議員・党参議院国会対策委員長)


行き詰まり打開の旗印示せない福田内閣

 穀田 小泉内閣後、安倍内閣が登場し、昨年の参議院選挙の惨敗をうけて福田内閣が登場しました。二代続けて国民の審判を受けていない政権がつづいています。福田内閣とはどういう性格をもった内閣か。志位委員長が今年1月18日、通常国会開会にあたっての国会議員団総会で福田内閣について、「旗印が何一つ見えてきません。これだけ自民党政治が深刻な行き詰まりに陥っているのに、その打開の旗印を何一つ示せない」とのべました。自民党政治の行き詰まりにたいし、小泉内閣は「構造改革」「郵政民営化」を打開の旗印に掲げ、安倍内閣は「美しい国」づくりを反動的打開の旗印として掲げました。福田内閣は、参院選で国民に痛みを押しつける政治への国民的な反撃をうけて、従来の路線に一定の手直しを加えるけれども、アメリカと財界中心の政治という基本路線を変えないというところに根本がある、ここに旗印が示せない要因があると思います。

 佐々木 昨年7月の参院選挙で示された自公政治の歴史的大敗は、安倍内閣が掲げた「構造改革の推進」「戦後レジームからの脱却」という路線に、国民が「ノー」の審判を下したからだと思います。
 まず、「私の内閣で憲法を変える」と公言した安倍内閣が崩壊したことで、憲法を変える勢いに一定のブレーキがかかったことは大きな意味がありました。参議院選挙から1年経過しましたが、今国会でも憲法審査会を始動させることができず、当面、改憲の動きにブレーキがかかりました。もちろん、改憲派の執拗な動きが続いておりますから、たたかいの手はゆるめるわけにはいきませんが。
 もう一つ、消費税でも新たな展開を見せました。自民党は、昨年の参院選のマニフェストで「本年(昨年のことです)秋以降、早期に、本格的かつ具体的な議論を行い、平成19年度を目途に、……消費税を含む税体系の抜本的改革を実現する」と明記していました。つまり、08年3月までに消費税増税をおこなうことをマニフェストにかかげて選挙にのぞんだのですが、当初は争点にならなかった。しかし選掌中に安倍総理が「私は消費税を上げないとは一言もいっていない」と言ったことで、ねらいが一気に明確になり、参院選の最大争点の一つになって国民の総反撃にあいました。そのため、昨秋以降の消費税増税という路線が暗礁に乗り上げ、作戦に破綻が生じた。いま、福田内閣のもとで消費税増税を「決断」するか「先送り」か、再び熱い焦点になりつつあります。
 このように、改憲と消費税増税という二大争点で国民的反撃を経験した後に、安倍内閣に代わって福田内閣が登場している。このことは、内閣の性格をとらえるうえで大事な点だと思います。

 井上 福田内閣も、最初は、選挙結果をある種うけとめて「生活者の視線」「希望と安心」というスローガンを掲げました−−最近は聞かなくなりましたが……。一定の手直しがなければ国民から見放されるという自覚があったと思います。しかし、後期高齢者医療制度も、選挙後に、対象となる高齢者の一部の人の負担増をほんの少し延期するだけでの見直し策しか示せず、この制度のもつ問題を何も解決しようとしなかった。毎年2200億円の社会保障の予算削減についても、「限界」という声が自民党のなかからも出されても「堅持する」と言って固執しています。

根底には自公政権そのものへの国民の批判が

 穀田 政権が生まれてわずか九ヵ月で支持率が20%前後に低落し、政界用語でいう「危険水域」に入っているわけですね。
 もともと小泉「改革」がやった路線−−後期高齢者医療制度も成立は06年で小泉内閣のときですが、そのいわば「負の遺産」を、古い既定路線のうえで何とかしようとし、行き詰まりを打開できないでいるんですね。
 福田首相が所信表明演説(07年10月)や施政方針演説(08年1月)で「国民の目線」を強調しましたが、結局、小泉内閣以来の弱肉強食の「構造改革」路線を踏襲し、「貧困と格差」の拡大を放置する姿勢をとってきました。この国民に痛みを押しつけるやり方に国民的なたたかいの反撃が大きく発展し、追いこんでいるわけです。

 佐々木 私は2月の財政金融委員会の質疑のさいに「小泉内閣以降の国民負担増の一覧」という表をつくって配付しました。私のホームページにデータを載せてありますが、「構造改革」路線のもとでおこなわれた国民負担増は、サービスカットもふくめて、46項目、総額12兆7000億円にのぼります。赤ちゃんからお年寄りまで、1人当たり約10万円の負担増になるのです。
 そのやり方をみると、決めた1年後、2年後に実施するという手法がとられています。決めたときには大きな注目をあびないが、後でじわじわと負担が増えてくる。これが国民にとって耐え難いものになっています。こうして、小泉「構造改革」のすべての負担が一気に国民に押し寄せたときに福田内閣が誕生したわけです。福田内閣の支持率低下の要因は、これまでの自民・公明政権の悪政のツケが一気にまわってきたことにある。そういうなかでの支持率の低下だと思います。
 福田内閣は、手直しのポーズをとらなければもたないところに来ています。そのため、見直しをさかんに言うのだけれど、見直しそのものは空回りしていて、結果的にはほとんど基本を変えることができない。その意味で、自公政治の行き詰まりを、福田内閣が集約的に示すものになっているわけです。

 井上 負担増があり、労働の規制緩和による派遣労働などの問題も積み重なって、福田内閣のもとで格差と貧困が社会問題としてもいっそう広がりました。小泉政権のときは、外需頼みで経済が好調のように見えたわけですが、サブプライムローン問題などで外国経済が失速すると、内需を冷え込ませてきた日本経済の脆弱性が一気に噴き出すという形で、経済も悪化しています。現在では、私たちの主張するような経済の軸足を大企業から国民・家計に移すという議論がマスコミからも広く出てくるようになっています。

 佐々木 小泉内閣のときは、アメリカと財界の主導のもとに「構造改革」をスローガンに掲げ、やれる限りの悪政を次々と推進しました。安倍内閣ではさらにそれをエスカレートさせようとしたと思います。衆院での圧倒的な多数を背景に、昨年の国会で強行採決がくり返されたことは記憶に新しいところです。
 しかし、国民の反撃がいっせいにおこった。それが昨年7月の参院選の結果でした。福田内閣に問われたものの一つが、この「構造改革」路線をどうするのかだったわけです。ところが財界主導下の自公政治のもとでは、なかなか修正がきかない。福田首相は「調整型」だと言われていますが、部分的な修正をしても本質的には何も変わらないから、にっちもさっちもいかなくなっている。新しいことも打ち出せない。古い「構造改革」にしがみつくわけにもいかない。まさに、混迷した事態になっているのです。

 穀田 福田内閣が最初にした仕事は、アメリカの要請にしたがって、いったん戻った自衛隊を再び海外に派兵したことでした。安倍首相は「職を賭して」とアメリカに約束し、インド洋への自衛隊派兵の継続を狙いましたが、途中で内閣自体を投げ出しました。国民世論と運動で海外に派兵された軍隊が帰ってこざるを得ない画期的な事態が生まれました。ところが福田首相は、何か何でもアメリカに忠誠をと、臨時国会の会期を二度も延長し、衆院での3分の2の再議決で再派兵を強行しました。この内閣の発足の意味と性格を端的に表したスタートだった。

 井上 アメリカの要求は何か何でも実現するという姿勢です。イラク戦争についても、国際的にもアメリカ国内でも間違った戦争だったと批判が広がり、多国語軍からの撤退が相次いでいるのに、福田政権は姿勢を変えません。参院ではイラク派兵法廃止法案を可決して衆院に送りましたが廃案にしています。さらに名古屋高裁で、イラクヘの航空自衛隊派遣は違憲だとする画期的な判決が出ても、「傍論だから政府は拘束されない」と「暴論」を吐いて、無視する始末です。沖縄での女子中学生暴行事件でも、「遺憾」というだけでアメリカに抗議もせず、「綱紀粛正」「再発防止」という従来の要求をくり返すばかりで、地位協定の見直しの要求にもまったく背を向けています。
 私は今度の国会で、在日米軍の自動車はレジャー用のレンタカーも含めて高速道路料金は無料で、日本政府が肩代わりしていることや、日本国内で犯罪を行い横須賀刑務所で服役中の米兵は食事からシャワーまで特別扱いになっている問題など追及し、マスコミでも注目されましたが、改めてアメリカいいなり政治の深刻さを痛感させられました。ここに手をふれない福田政権では参院選に示された国民の願いにこたえきれないし、新しい日本をめざしていくことには決してならないということですね。

参院選後の国会の大きな変化

 穀田 同時に、参院選の結果は、「新しい政治のプロセス」ということができるような変化を国会の内外につくりだしました。国民の声で政治が動く時代ということを国会自身も示したと思います。たとえば、新しい国会のもとで11月19日、一番最初に通った法律が、被災者生活再建支援法改正だったことがそのことを象徴していると思います。阪神淡路大貫災直後から私たちは「住宅再建のための公的支援」を要求してきましたが、政府は「日本は資本主義社会だから私有財産の形成に資する税金は出せない」としてきた。それが長いたたかい、市民運動、国会での法案提出をふまえてようやく実現したわけです。
 最終的には、自民、公明、民主三党の提案として被災者生活再建支援法改正が成立したわけですが、この過程で共産党が共同提案を積極的に提起し、各党に協議を呼びかけたという点で大事な役割を果たしたと思います。

 佐々木 自民党は自民党の案に、民主党は民主党の案にこだわってまとまらないなかで、なんとかしようと共産党が提起したんでしたね。

 穀田 志位委員長が記者会見し、共産党としても高橋議員を中心にいちばん最初に具体的な案文をつくりました。また、患者・原告のみなさんの命がけのたたかいなどによって、薬害C型肝炎で国の責任と一律救済を認めさせたのも、劇的な変化の内容でしたね。

 井上 阪神淡路大震災当時から考えると隔世の感がありますね。長い問の市民運動や地方自治体でのとりくみがあり、しかも、参院選の最中に中越沖地震がおき、その前には能登半島地震もおきた。国民的な課題として切実なものになっていたなかで、実現したことは出発点として象徴的です。
 今度の国会の最終盤には、ハンセン病問題の全面解決と恒久対策を実現することを目的とし、全国13ヵ所の国立ハンセン病療養所を地域へ開放可能とすることなどを盛り込んだハンセン病基本法や、在外被爆者が来日しなくても被爆者健康手帳が取れるようにする被爆者援護法改正が成立しました。これらは、自公与党がこれまで事実上店晒しにしてきたものです。しかし、そういう切実な声に背を向けるような態度では、政権がもたない状況になり、全会一致で成立しました。

 穀田 井上さんも国会でとりあげましたが、石井議員を先頭にとりくんできた、学校耐震化の促進も日本共産党をふくむ五党の共同提案で法律として成立し、国も補助率の改定に踏み出しましたね。

 井上 国会にくるみなさんの話を聞いても、参院選以降、自民党議員の部屋に要請にいくと明らかに対応が連うし、民主党の対応も変化しているということです。選挙での自公政治にたいする審判が下ったもとで、国民の声を無視できない状況が生まれています。国会の雰囲気、各党の対応がまったく変わってきています。
 後期高齢者医療制度廃止法案を四党で提出し参議院で可決しましたが、共同で法案を出したこと自体が大きな変化でした。参議院の審議のなかでも、与党からは、共産党以外の党は新しい高齢者の医療制度には賛成していたではないかと追及されましたけれど、そういう過去の経過があっても共同して廃止法案を出せだのは、国民の怒り、運動が何より大きかった。全国保険医団体連合会の方が、1月ごろの国会陳情のことを考えると、およそ想像ができない変化がある、あのころは冷たかったがここまで変わってきたと語っておられました。
 在日米軍への「思いやり」予算の特別協定が、条約としてはじめて参議院で否決されました。これも画期的なことです。06年の特別協定の延長の際には賛成した民主党まで、現在のアメリカいいなり批判、無駄遣い批判の声の高まりのなかで、これに賛成はできないという態度をとらざるを得なかった結果です。つまり、今の国会の変化は、単純に参院選の結果から自動的に生まれているのではなく、その後の国民の世論と運動が、政党の態度を変えるなかで生まれていることが重要だと思います。

 佐々木 国会では、従来とまったくちがう状況が生まれていますが、その一つに国会同意人事があります。日銀の総裁・副総裁人事が安易には決まらない。参議院で野党がノーと言えば国会として「不同意」になるからです。かつてのように政府・与党が提案したらすべてが通るという国会ではなくなっているのです。
 法律も、衆議院から送っても参議院で否決されたり、60日たっても採決されない場合、衆議院で3分の2で再議決しなければ通すことができません。予算や条約の場合は、参議院に送って30日で自然成立になります。
 従来、与党が衆議院で強行すれば参議院も問題なく通過し成立していたものが、いまはそうではない。従来まったく使わなかった手続きを活用しなければ通せないという新しい事態になっているのです。これは、今回はじめて経験した国会の特徴です。

労働者派遣法−志位質問の衝撃と影響

[規制緩和の本質にせまった論戦]
 穀田 志位委員長は、通常国会の開会にあたって、「どの分野でも抜本的な政策転換を求める『攻め』の論戦をおこなう」ことを提起しました。この提起をうけ、「攻め」の論戦を展開した典型的な三つの事例をあげたいと思います。一つに、労働者派遣法の問題−−委員長先頭に人間使い捨ての労働法制の規制緩和を告発し、労働者派遣法の抜本的改正を提起したとりくみです。二つめに、国会の中盤、予算審議とあわせてとりくんだ道路特定財源問題−−佐々木さんが税制と関道づけ、塩川さんが地方財政との関係で道路特定財源の矛盾を追及しましたし、際限ない高速道路の建設の暴露は、私と笠井さん、さらに参院では仁比、大門、山下議員が連続して追いつめました。共産党の論戦の妙味を発揮したものです。そして三つ目に、後期高齢者医療制度です。
 もちろん、これらの根底にあるのは「経済政策の軸足を大企業から国民・家計に移す」という党の路線、そして綱領が国民と響き合って一つの大きなハーモニーになっています。

 佐々木 労働者派遣法についていうと、志位委員長の予算委員会の質問は大きな衝撃と影響をあたえました。衆院予算委員会での50分の質問時間全部をつかっての質問はとくに若い人たちから、自分たちが実際に体験している差別と労働の現場の深刻な実態を告発してくれたと大きな共感がよせられました。私も昨年10月12日の予算委員会で若干とりあげたのですが、やはり労働問題は、格差と貧困の基本にある重大な問題です。
 この問、労働法制の規制緩和が次々とおこなわれ、現在、非正規雇用は1月〜3月の統計で34%と過去最大となっています。政府側からも“正規雇用がのぞましい”などと歯止め的な発言もいろいろなされていますが、それにもかかわらず、実際の企業行動では、正規雇用を減らし非正規雇用をふやすという基本路線はまったく変わっていないわけです。法律で規制しないとその実態は変わらないというのがこの間の状況です。このもとで、わが党の論戦と「労働者派遣法を派遣労働者保護法へと抜本改正します−−日本共産党の立法提案」などが大きな役割を果たしています。
 もともと、改悪される前の職業安定法第44条は、強制労働や中間搾取から労働者の人権を守るため、職業の紹介・斡旋などの事業は原則として国だけが公的に行えることとされてきました。戦前、小林多喜二が『蟹工船』などで描いたタコ部屋的な前近代的搾取、人を派遣してピンはね=中間搾取をするというやり方を、戦後は全面的に禁止してきたのです。
 ところが労働者派遣法が、1985年に制定され、職安法によって禁止されてきた労働者供給という形態から労働者派遣という概念を別建てにして、一定の規制のもとに認めることとした。まず13業種で風穴があけられた。その後26業種にまで拡大され、九元年の法改悪で原則自由化される。さらに03年の改悪で04年から製造業にまで拡大されました。禁止されてきた“口入れ稼業”が合法化され、無権利な労働を法律上容認するという体制がつくられてしまい、それがいまの事態をまねいているのです。日本共産党は、その本質を明確に指摘し是正をせまりました。
 とくに登録型派遣を例外として厳しく限定し、99年改悪以前にもどせという主張を明確にかかげだのは日本共産党です。そもそも99年の改悪のときには、日本共産党以外の政党は全部この改悪に賛成した経緯があります。各党の姿勢が根本的に問いなおされているわけです。この間、日本共産党が労働法制の規制緩和に反対してがんばったことがいかに重要な役割をはたしてきたか、明らかだと思います。

[推進勢力の論拠自体をくずす]
 井上 この問題では、「正規の仕事につけないのは本人に原因がある」という根強い「自己責任」論攻撃があります。労働者自身が多様な働き方を求めているという「ニーズ論」も持ち出されます。そのうえに、大企業が栄えれば、やがてみんなにその恩恵が回ってくるという説明のされかたもします。こうしたまやかしのイデオロギーを、現実とそれに根差した職場でのたたかいに依拠して打ち破ったのが大きいと恩います。志位委員長の予算委員会質問のときも、福田首相は「ニーズがある」という言い方をしましたが、「生きるすべがほかになく、やむなくこの仕事についている人々を、『ニーズがある』というふうにはよべない」「人間を文字通りの消耗品として使い捨てる、究極の非人間的な労働だ」と、生々しい実態を突き付けると、福田首相は反論ができず、追い込まれていきました。現実がそこまできているという問題とともに、それを告発してのたたかいと論戦がむすびついて追い込んだわけです。そして、大企業が栄えれば労働者も豊かになるという彼らの論理も打ち破り、いまではこの点でも反論できなくなってきていると思いますね。

 佐々木 労働法制の規制緩和のもとで、非正規雇用が急速に増え、年間所得200万円以下の人々が1000万人を超えるという深刻な格差と貧困を生み出しているわけですからね。

 穀田 草の根の運動とあわせての労働分野における日本共産党の一貫したとりくみ−−市田書記局長を中心に、サービス残業の告発、偽装請負の徹底した追及−−の経験が発揮されたと思います。私たちはこの労働法制の規制緩和が貧困と格差の土台となっているという位置づけで告発をおこない、志位委員長先頭に全議員が機会あるごとに質問したと言っていいぐらいのとりくみをおこないました。そのたたかいの頂点にあった質問だと思います。しかも、井上さんが言ったように、単に事実を列挙するだけではなく、規制緩和の根拠となっている論理そのものを打ち破ったわけです。
 このとりくみは、今小林多喜二の『蟹工船』が、今年30万部増刷され新しいブームをつくっているという国民の関心とも響き合っていると思います。とくに若年層のなかで、志位質問がGJ(グッドジョブ)という表現で共感が広がったのが新しい特徴です。論戦の場一回限りではなく、インターネットなどを通して何度も視聴され、それが、草の根でのたたかいのよびかけや労働現場におけるたたかいで成果にむすびついていった。国会での論戦自身が、本当の意味で労働者を保障する法改正の必要性を高めていきました。こうしたたたかい全体が一つの絵のように織りなして、この問題での「潮目の変化」をつくりあげていったという大きなとりくみになっていきました。

 井上 若者自身が自己責任論に押し込まれていた状況があったと思います。それを、自分たちのたたかいと国会の論戦で、自己責任論は誤りだ、働く権利があるんだ、それを押さえているこういう問題があるんだということを知って、たたかいを広げていった。そういう点では、あたらしい労働運動の発展にもむすびついたし、たたかいとむすびついた論戦という点でも、画期的だったと思います。

 佐々木 実は、私は多喜二の母校、小樽商科大学の出身で、私が学生だったころは、小林多喜二が学んだ木造の校舎が残っていて授業にも使っていました。『蟹工船』の読書感恋文を小樽商大が編集した本も『蟹工船』とともに売れているそうです。『蟹工船』を漫画にしたものも売れているようですね。学生時代、小樽商大には演劇部があって、小林多喜二の『蟹工船』や武田巻淳の『ひかりごけ』などを上演しました。私も演じたことがあるんです。『蟹工船』では、「糞壷」に押し込められ働かされる労働者の一人として出演しました。
 派遣労働など非正規雇用のもとで働いている若い人々は、あの戦前の過酷な搾取が、現代の無権利な状態に共通するものがあると感じているようです。

 穀田 私も最近、新潮文庫版の『蟹工船』を買ったのですが、すでに100刷なのですよ。

 井上 私も、学生時代読んだきりだったのですが、あらためて手にしてみて、労働の実態がいまもそうだということとともに、いろいろなところから労働者を寄せ集めてきて、団結をさせない支配のやり方は何も変わっていないと感じました。

道路特定財源−−政官財癒着の無駄遺いの典型

[“総額先にありき”の仕組み]
 穀田 道路特定財源をめぐる論戦は、私たちは本質を鋭くついて、税制論としても、道路政策のあり方にしても、他党派を圧倒する徹底した追及をおこなったという実感をもっています。

 佐々木 道路財源問題は、戦後の自民党政治のいちばんの根幹をなす政官財癒着の典型的な分野だったと言えます。その問題をどう見直すかについて、これだけ国民から注目をうけることはかつてなかったのではないでしょうか。この点で、いま穀田さんが言ったように日本共産党の国会での論戦は、大きな役割を果たしたと思います。
 道路特定財源というのは、戦後どのようにしてつくられたのか。ガソリン税は1949年に創設されますが、一般財源として出発しています。それが1953年に特定財源法ができて、道路にしか使えないという仕掛けをつくった。これに、田中角栄元首相がかかわっていたのです。それ以後、税目も増やされ税率もあがり、暫定税率などもつくられた。クルマが国民の中に広く普及するとともに、この税金は大衆課税としての性格をもつようになった。こうして上がってきた莫大な税収が、すべて道路に投入されていく。これが、最近まで膨らみ続けてきた公共事業の一つの重要な柱をなし、自民党政治を支えてきました。
 この国会では、“このままでいいのか、見直すべきだ”という国民的な世論が高まり、私たちは以前から提起していた一般財源化とともに、暫定税率の廃止をあらためて明確に掲げました。
 民主党も、一般財源化を打ち出し、暫定税率廃止を掲げた結果、この二点で、野党は大枠としては共同の立場で共同歩調をとれたと思います。国民新党は政策的立場を異にしていましたが。同時に日本共産党が、道路特定財源によって無駄に税金が役人されてきた構造を暴露し追及したことは、ほかの党とくらべて本質をついたものになったと思います。

 井上 ちょうど、論戦のさなかに京都市長選挙があり、市内に高速道路をつくることがこの選挙でも大きな争点となりました。日本共産党が応援した中村候補は無駄と環境破壊だとして中止を掲げ大きな共感をよびました。市長与党である民主党は賛成の立場で、違いがはっきり出ました。一つひとつの無駄な高速道路に対して、地方政治も含めてきちんとただしてきたからこそ、「道路中期計画」という、総額をまず確保し、それを使いきる“総額先にありき”の仕組みそのものに対して、撤回にまで踏み込んで主張することができたわけですね。
 1月の参議院本会議での代表質問で、市田書記局長が「巨額の金を投じて道路をつくっても、行った先には病院がなくなっているというのがあなたの政治ではありませんか。病院の閉鎖を余儀なくさせておいて、道路で病院を結ぼうというほど本末転倒の政策はない」と言ったことに、党派を超えた拍手があり、その後、民主党の議員なども、あれを使わせてもらっていますと言っていました。あの質問で、道路特定財源のもつ理不尽さ、向こうの論の道理のなさを短い時間でバシッと批判した。法案が参議院にきてからは、冬柴国交相が、奈良県十津川村から救急病院に行くために道路が必要だと紹介した病院が、実は医師不足のためにお産の取り扱いをやめていることを暴露しました。いまの国民の医療や福祉との関係のなかで、いかに道路財源の優遇が問題かということをわかりやすく浮き彫りにしたという点でも、党の論戦は大きな役割を果たしたと思います。

 穀田 市田書記局長の質問は、まず政府がすすめた医師の養成数を減らすという失政こそが、「医療崩壊」を生んでいると告発したものでしたね。政府が、ここにきて医師不足を認め、医師をふやす方向に転換しましたが、この点も日本共産党の論戦が国民の運動とむすんで政治を動かした実例だと思います。
 いずれにしても、道路特定財源をどんな形でも残そうとする自民党の抵抗は、この財源が特権的な権益の構造につながっており、自民党政治の基幹的な桂になっていることをまざまざと示しました。自民党支配の構造打破という意味でも、日本共産党が一般財源化をいち早く主張していた先見性が確信になりました。

 佐々木 1977年の『日本経済の提言』では、「ガソリン税の道路特定財源方式をやめる」と提案し、81年の『国民のための財政百科 財政再建への提言』でも、「一般財源化し、社会保障・福祉、生活密着型公共投資などにも使えるようにすることが緊急に必要」だと主張してきました。

[六大海峡横断道路が示した際限のない道路建設]
 穀田 私は国土交通委員会を担当していますから、この問題は何度も質問してきました。小泉内閣時代には国民的な批判のなかで一般財源化に踏み出さざるを得なくなったわけですが、当初は5兆円を超える道路特定財源のうち約2200億円にすぎなかった。80年代につくられた1万4000キロの高規格幹線道路の建設を、小泉内閣時代には、一度、やめると言ったものが、再び復活して出されてくる。道路特定財源が“総額先にありき”つまり財源があるからこそ新たな高速道路を際限なくつくり続ける「自動装置」となっていることを指摘し、政府の道路計画が、1万4000キロにとどまらず、7000キロの地域高規格道路、そして、その先に日本列島に6つもの海峡横断道路計画まであることを明らかにして追及してきました。さらに驚いたことがありました。朝日新聞も書き、私もとりあげたのですが、和歌山と兵庫県・淡路島、愛媛と大分をむすぶ橋をつくるのが六大海峡横断橋ですが、ところが鉄道は鉄道で、四国新幹線をつくるにあたって、和歌山と淡路島、愛媛と大分をつなぐ海底トンネルをつくる、すなわち海の上を橋でつなぐと同時に、海の底をトンネルでつなぐという滅茶苦茶な無駄遣いの計画までもがすすめられていました。
 民主党も道路特定財源では、さまざまな論戦をおこないましたが、彼らの最大の特徴はコスト論です。コストという点で、無駄の告発はおこなうのですが、これが際限なく道路をつくり続ける財源であり、財源があるからこそ道路を際限なくつくり続けるという構造に模を打ち込むことはない。この財源が、自動装置だという問題提起は、日本共産党の真骨頂ではなかったかと考えています。

 佐々木 笠井衆院議員が、2月の予算委員会で、「全国一の大赤字路線」と言われる東京湾横断道路=アクアライン(総額1兆4000億円)の実態を告発した後、東京湾口道路だけでなく、全国に6ヵ所も海峡横断道路の新建設を計画し、「国土形成計画」として3月に閣議決定しようとしていると暴露しましたが、あのときの予算委員会の雰囲気は、自民党まで、「うん、そうだ」という雰囲気だったですね。天下りでつくられた財団法人「海洋架橋・橋梁調査会」という一つの団体が企画し、調査もし、そこに大手ゼネコンが参加して受注するという、政官財癒着の典型的な仕掛け全体が暴露されたわけです。

 井上 海峡横断道路の問題は、最初に穀田さんが「中期計画」の候補になるのかを問い、いま紹介されたように笠井さんがそれがいかにひどいものであるかを暴露し、さらに穀田さんが調査中止を求めました。これらの追及に冬柴国交相は、その無謀さを認め、調査の中止を表明したわけです。ところが、調査をおこなっていた「海洋架橋・橋梁調査会」の報告書には、たとえば「関門海峡道路」では、ルート検討を終え、工法や工事費、用地買収費まで詳細に明記されている。国民の知らないところで、いつでも事業化できるまで調査を終えていたのです。このことを参議院に場所を移して仁比議員が暴露して、道路特定財源がもつ構造的な問題を最初から最後まで明らかにした。日本共産党ならではの見事な論戦の連携だったですね。結局、海峡横断道路などをおりこんだ国土形成計画は3月には決定されず、見送りになりました。

 佐々木 福田首相が、ガソリン税の暫定税率維持を盛り込んだ租税特別措置法改定案やこれらの税収を道路整備に充てることを定めた道路整備財源特例法の期限である3月末のぎりぎりになって、一般財源化を打ち出さざるを得なくなったのは、こうした論戦のなかで窮地に陥った結果だったと思います。
 3月末でこの2つの法律は失効し、4月は暫定税率はなくなり、特定財源の法律もなくなって一般財源化された。この4月の状況は歴史的にも重要な一カ月だったと言えます。それを福田内閣・与党は、衆議院から参議院に送って60日たったという理由で、「参議院が否決したものとみなす」という議決を衆議院でおこない、そのうえで衆議院3分の2で法案を再議決することによって、全部元に戻してしまった。死に物狂いの自民党・公明党の巻き返しでした。
 許せないのは、福田総理が道路特定財源を来年4月から一般財源とすると言っていたにもかかわらず、強行した法律は10年間は特定財源とする法律だということです。整合性がとれないという批判には一切答えない。あわよくば10年間道路特定財源を“食い逃げ”できるという余地を残したまやかしのやり方だけに、今後とも徹底追及をおこなっていく必要があると思います。

後期高齢者医療制度−−差別的制度の本質をつく

[質量とも圧倒した論戦]
 井上 朝日新聞が6月17日付コラムで、「良質な国会論戦」「三賞」の一つとして、「敢闘賞」を「後期高齢者医療制度の問題点を粘り強く訴えてきた共産党を代表して小池晃政策委員長に贈りたい」と書きました。「この制度を導入するための関連法案が提出された06年の国会で『姥捨て山になるという批判が出るのは当然だ』と指摘。共産党は、その後も『差別医療につながる』とキャンペーンを展開した。……小池氏らの地道な取り組みは評価に値する」と。後期高齢者医療制度は、75歳以上を一律に“後期高齢者”と決めつけ“現役世代”から切り離し、まったく独立した医療保険に加入させるもので、国民情保険制度の国では他に例がない差別的な制度です。もともと2000年に医療制度の改悪が強行された時に、共産党をのぞく各党が「早急に新たな高齢者医療制度を創設せよ」という附帯決議を採択していたわけですが、このときから日本共産党は、お年寄りの特別の保険にしたら問題が起きることを一貫して主張してきました。その先駆性も光っています。
 今国会でのこの問題での論戦は、量的にも質的にも大きいものがありました。補正予算と本予算の最初の予算委員会総括質疑はそれぞれ衆参ともテレビ中継されます。この四回のテレビ中継のある審議のうち、補正でまず高橋衆院議員がこの問題をとりあげ、参議院の本予算で小池さんがおこなった。やはりテレビ中継される本会議の代表質問でも、志位委員長、市田書記局長がこの問題を位置づけて質問しました。そして小池さんが75歳で区切るということの本質的な批判をしたことが大きなターニングポイントになりました。小池さんが、今まで扶養家族になっていたお年寄りも例外なく、強制的に家族みんなが入っていた保険から引き離される実態を告発し、「まるで家族一緒に暮らしていた“母屋”から無理やり“離れ”に連れていって、閉じ込めるようなものだ」「財源を理由にして、高齢者の医療費からまず削る。こんな政治に未来はない」との追及は、運動にも火をつけ、国会のなかの雰囲気も変え、四党共闘となっていくうえで大きかったと思います。
 日本共産党の論戦が、医療の現場と直結しておこなえることの強みも発揮されました。たとえば参議院で後期高齢者医療制度廃止法案の質疑をおこなっていたときに、政府がモデル世帯での試算にすぎない、全体の実態をとうてい把握したとは言えない調査結果を出してきて「対象の7割が保険料が下がる」と主張しました。ちょうど同じ日に全日本民医連が政府の調査結果とはまったく異なる独自の調査をまとめて発表しました。質問の直前に議員団事務局からその資料が届き、早速、私の質問に対する小池議員の答弁で紹介しました。政府のまやかしの調査は実態とはまったく違うと批判できたのも医療関係者との連携のおかげです。私が、入院中に75歳の誕生日を迎えた人は高額医療費制度の自己負担限度額について、それぞれの保険で別計算となり、医療費が二倍の請求になることを示し、「誕生日プレゼントどころか、……これでは長寿への懲罰だ」と追及したのも、京都の医療の現場で起きていた実際の話をメールでいただいていたものです。国民の生の声と直結をした追及で追いつめたという点で敢闘賞をいただくにふさわしい活動だったと思います。

[広がった新しい保守層との交流・共同]
 穀田 私は、もっと大きな殊勲賞に値すると自負しています。この問題に2000年から一貫して反対の態度をとり、法案の問題点を当初から追及してきたからです。また廃止法案を野党四党でつくるうえで大きな役割を果たしたからです。廃止法案は、後期高齢者医療制度の導入そのものを撤回させるとともに、4月から実施された70〜74歳の病院窓口負担の1割から2割への引き上げや、65〜74歳の国保科(税)を年金から天引きする改悪も中止するというものです。しかし、当初から野党で共同してやろうという機運があったわけではないし、野党四党が政策の話し合いをはじめたときも、当初は、“天引きはいいじゃないか”という議論まであったのです。その根底にはやはり2000年の時点から高齢者の医療制度を別枠にするという考え方の弱点が根強くあったのです。
 なにより高齢者を差別し人間の尊厳を否定するこの制度の本質には、社会保障を切り捨てる思想が根本にあるわけです。政府が、後期高齢者の「特性」を「治療に時間も手間もかかる」「認知症も多い」「いずれ死を迎える」などと規定していることにも、お年寄りを邪魔者扱いするという考え方で、医療費を抑制する政策の本質があります。ここをついた日本共産党の論戦と一貫したたたかいが、世論とむすびついて大きく広がった。日本共産党は、昨年10月に、「『後期高齢者医療制度』の来年4月実施を中止させよう」と国民に呼びかけるアピールを発表しましたが、ここから大運動が起こり始めるわけです。医療関係者の方たちとも力を合わせ、新しい保守層との交流や共同も始まって大きなたたかいにもなりました。その意味で私たちのたたかいは、あらゆる面で特筆すべきものだったと思います。

 佐々木 後期高齢者医療制度に反対する運動では、たとえば岐阜県大垣市では自民党が反対ののろしを上げる、各県の医師会の3分の2が反対や否定的な見解を示すなど、保守的な階層のなかにまでかなり反対論が広がり、いかにこの制度がひどいものであるか国民のあいだで共有されるようになりました。そういう状況をつくりだすうえで、わが党の果たした役割というのは大きかったと思います。
 高齢者の怒りは、新聞の投書などもふくめ、いろいろな形で表明されました。たとえば、「朝日新聞」(4月5日付)に載った87歳の男性の投書では「後期高齢者医療制度は私たちにとって闇討ちに遭ったような感じです」と書いています。そして「よくも介護保険料、健康保険料と、高齢者の公的年金からの天引きの暴挙に出ましたね。高齢者をいじめて気持ちがいいですか」と批判し、「今日の日本の繁栄は、誰のお陰だと考えているのですか。後期高齢者の貢献が大きかったのではないですか。現在の高齢者が第二次大戦で、どれだけ辛酸をなめたか。……かく言う私も召集令状一枚でビルマから中国・雲南に激戦から激戦の熾烈な戦闘を体験しました。それなのに国家は何をしてくれましたか。感謝状一枚もくれることなく、思い出すと、はらわたが煮えたぎるばかりです。ねじれ国会なら、私ども高齢者も、ねじれ根性で立ち上がり、次の選挙で政治の流れを変えようと思います」と。
 後期高齢者といわれる方々は、戦争中に軍国主義のなかで青春時代を過ごした方々です。戦後は、焼け跡から苦労をされ、高度成長の時代に働きづめで日本経済を支えてこられた。これまでの日本の歴史のなかで、これほど苦労された世代は、そうないわけです。そういう方々にたいして、“75歳を過ぎたら別枠です”などと言われることに、強い怒りが表明されているのです。「なぜ差別するのか。なぜ、みんないっしょに支えあおうとしないのか」と。
 はじめは、それほど負担増にならない階層があったとしても、2年後、さらにその2年後には負担が増えていく。けっして減るわけではない。高齢者だけではなく、若い世代も一緒に怒っている。その怒りを組織していく必要があると思います。

 井上 先日、長野県千曲市の姨捨山に行ってきました。お年寄りを山に捨てる棄老伝説は日本全国にあるそうですが、姨捨という地名があるのはここだけです。その姨捨山の中腹にある長楽寺のご住職とお話をしてきました。「うばすて伝説」は、60歳以上のお年寄りを山に捨てるお触れを出していた殿様が、お年寄りの知恵の素晴らしさを知り、最後はお年寄りを大事にしなければいけないと反省したという話なのです。ご住職も「うばすて伝説は本来お年寄りを大切にする教え」と強調され、いまのはまったく逆だと怒っておられましたが、後期高齢者医療制度はまさに「うばすて山」以下なのです。長寿を大事にする日本の国のあり方が問われた、党派を超えた対話が広がり、政治を揺るがしたし、それはいまも続いていると思います。

 穀田 これは廃止以外にないという点で、引き続きがんばっていくことが求められていますね。日本はそれこそ米寿や喜寿というように長生きを喜ぶということを大切にしてきたわけです。その反対の考え方をおしつけるなど絶対に許されない。そのことが政治に問われているのです。
 それだけに国会の最終盤に、後期高齢者廃止法案を提出して参議院で可決しながら、民主党などの審議ボイコットのために衆議院で審議に入れなかったことは、自分たちが提案した廃止法案の審議を妨害するのですから、無責任もはなはだしいと言わざるをえません。
 私は、佐々木さんといっしょに自民党の大島理森国対委員長と会談し、「趣旨説明・質疑は、ぜひやるべきだ」と訴え、自公両党議員の質問要旨に対して、徹夜で答弁の準備もして、「答弁の機会を与えるべきだ」と求めたのですが、大島氏が他の野党の同意を条件とし、民主、社民、国民新の各党が了承しなかったため、実現しませんでした。
 民主党は、人道的な問題、北朝鮮問題や災害対策の議論であれば、審議拒否はしないと言っているそうですが、これに対し、笠井衆院議員は、「北朝鮮をめぐる問題は人道問題だから審議をやるというのなら、1300万人の高齢者の人道はどうなるんだ」と言って批判したそうですがまったくそのとおりです。こうした対応も含め、国会活動や国会闘争のありようという点でも歴史的なとりくみだったと思います。

あらわになった各党の役割

[民意を無視し再議決の強行くり返した自公]
 井上 最終盤、参議院で首相の問責決議が可決した翌日に衆議院で信任決議なるものが提出され、可決しました。そのことが今の自・公政権の本質を象徴していると思います。つまり、いまの衆議院での与党の3分の2を超える議席は、前々内閣時の、しかも「郵政民営化」問題の一点でつくられた虚構の3分の2にほかなりません。参院選での国民の審判も無視し、しかも現在どの世論調査を見ても内閣支持率が2割を切る状況になっているにもかかわらず、その3分の2を振りかざして「信任」を強行する。このねじれは参議院と衆議院のねじれではなくて、国民の世論と与党とのねじれであるということが、一連の問題ではっきりしました。
 最初に3分の2の再議決を使った新テロ特措法のとき、与党は審議をすればやがて自衛隊のインド洋への派兵に対する支持が広がると考えていたようですが、審議をすればするほど反対の声が広がっていきました。にもかかわらず3分の2の再議決を強行した。その後のガソリン税暫定税率や道路特定財源でも審議のなかで国民の反対の声はいっそう多数となったのに再議決を強行しました。一方で、ある部分では国民の声に耳を傾けることはしながらも、肝心な問題では虚構の3分の2を使って何でもやるということを最初から最後まで貫いた。国会のルールも国民の声も無視して何でもかんでも強行採決というのが安倍内閣だったわけですが、今度は3分の2で再議決。形は違うが国民の声を無視するという本質は変わっていないことを実感しました。

 穀田 いま、アメリカいいなり、大企業中心の自公政治の枠組みこそが問われているのです。だからこそ道路特定財源問題でも、新テロ特措法の問題でも、私たちは審議をすれば私たちの主張に国民の理解を得られると確信を持っています。今回の場合は、審議をすればするほど特措法はダメ、道路特定財源は一般財源化するべきだと、国民世論は目に見えて変化しました。それを3分の2による再議決を行うというのは、国民の民意も国会の審議も無視するということを意味します。その意味では今ほどひどい内閣はないと結論づけることができます。

 佐々木 自公政権には来るべき総選挙で、審判を下さなければなりません。

[審議に背を向ける一方で自民となれ合った民主]
 穀田 民主党は、後期高齢者医療制度廃止法案の衆院での審議拒否という最後の肝心な局面で国民世論に背を向けました。結局、この党は政治の枠組みが問われているときに、その基本路線で自民党と「同質・同類」という重大な問題を抱えていて、政治路線で自公政治を追いつめる立場にない。だからなれ合いも、いろいろな点で顕著にあらわれました。たとえば、吉井議員が鋭い告発を行いましたが、宇宙にまで軍事と「防衛」を広げる宇宙基本法という悪法を水面下で合意し、わずか2時間の審議で通してしまう。国家公務員基本法は、国民の願っている天下り禁止や政官の癒着を断つこととは逆行する、逆に癒着を強めるような内容であることを塩川議員が厳しく批判しましたが、これも自公民で水面下の談合で合意したら、一気に強行されました。

 佐々木 昨年の大連立騒動は記憶に新しいところです。自民・公明の側は、ねじれ国会を自分たちの思いどおりにすすめたいという意向から、国会とは別枠の協議を民主党に呼びかけ、同じ土俵で議論したいと考えた。その密室協議の典型が昨年11月の福田・小沢党首会談だったと思います。この流れは、依然としてベースにある。大連立騒動以後、国民的な批判と監視が強くなって、あまり露骨なことができにくくなっていると思いますが、大連立には、常に警戒が必要です。
 ただし民主党は、自民党に対抗するという形でしか国民の支持が集まらないことがはっきりしてきただけに矛盾した位置にある。そこには、私たちが国民に訴え、世論と運動を高めていけば、新しい政治の方向、政治の流れをつくりうる条件もまた示しているわけで、今後の私たちの総選挙を視野に入れた活動がいっそう重要になっていると思います。

 井上 今度の通常国会では、党首討論は一回しかありませんでした。もともと小沢さんは党首討論を提唱した人だったわけですが、制度が始まって以来、最低の開催数となりました。最終盤の“党首討論の後では問責決議を出しにくくなる”という鳩山幹事長の言葉に象徴されているわけですが、党首同士が議論すれば、両党の違いが出てこなくなる。現に昨年行われた党首討論はすべてそういう内容でした。大連立は国民の批判の前に頓挫はしたけれど、大もとで違いがないことには何ら変化がないから、なるべく国民の前には「同質の党」であることを見えなくし、政局がらみの「対決」を演出することしかできないのです。
 その一方で、大連立協議で一致点になった派兵恒久法、そしてその先の憲法九条改悪という点は、表舞台ではすすめないが、政治的合意があればいつでもできる準備、いろいろな仕掛けが着々とすすめられている。民主党が出したテロ特措法の対案には派兵恒久法の制定がもりこまれていますが、自民党がそれを前国会では異例の継続審議にし、今度も継続にしている。民主が火種を提供し、それを消さないように自民党があたためているわけです。その一方で与党内にプロジェクトチームをつくって、派兵恒久法の議論をすすめている。民主党の鳩山幹事長も「必要だけれども支持率がない福田内閣でできるのか」とのべ自分たちが政権をとればつくるという立場です。さらに、自公民による「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」が3年ぶりに活動を再開しましたが、この総会に民主党の前原副代表は恒久法の独自案を出しました。さらに憲法問題では、新憲法制定議員同盟に鳩山幹事長白身が伊吹幹事長と並んで顧問に就任しています。国民の声と二大政党も「ねじれ」ていると言えます。

 穀田 冒頭に佐々木さんが、海外派兵恒久法と消費税問題が大事ということを話されましたが、先日も福田首相が消費税増税について「決断の時期」と発言しています。後期高齢者医療制度をふくめ社会保障の将来を議論するとき、必ず出てくるのは財源問題であり、消費税増税です。これが大連立のスタートからあるわけです。福田・小沢会談をコーディネートした渡辺恒雄氏がくしくも言っているのは、目的は憲法、恒久派兵法とあわせて消費税だということですから。
 道路特定財源にかかわる話し合いの協議の場をはじめ国会のさまざまな議論を通じて、くり返し「秋の税制改正、抜本改正とあわせて」という枕詞が使われます。それについて私たちが「消費税なのか」と追及すると、福田首相は否定しないわけです。しかし、今後そこに焦点がしぼられてくると思います。日本共産党には、大連立の本質、自民党と民主党が同質・同類であるという本質をつかみながら、要所要所で批判して打ち破っていくという重大な役割があります。

 佐々木 民主党はもともと消費税増税が必要だという立場です。ただ、今これだけ負担が増えているため、増税は打ち出さないと言っています。いずれは消費税増税が必要だという点では、自民も民主も共通の認識なのです。日本共産党は消費税そのものが連進性をもっていて、税として将来は廃止すべきだという立場ですから、発想がまったく違うわけです。

[審議重視の姿勢をマスコミも評価した共産党]
 井上 国会を通して、国民世論に背を向けた自民と民主の本質があらわになるなかで、日本共産党が、何よりも審議を重視した姿勢を責いたことが、マスコミから評価されたことも、今度の国会の特徴だったと思います。今国会冒頭で、与党がガソリン税暫定税率や道路特定財源の延長をはかる法律の再議決による成立まで、その失効をくいとめる「つなぎ」法案提出を画策したことがありました。それを阻止し、衆参の議長あっせんがおこなわれたとき、産経新聞が電子版で、「共産党存在感示す。議長あっせん案に口火」と書いたことに端的に表れています。秋田魁新報と静岡新聞が、「共産、独自路線で存在感」と題して「最近、共産党の存在が『見える』場面がある。一つは国会対応だ。『審議を通じて問題点を明らかにする』方針だから原則として審議拒否はしない。……つなぎ法案撤回の議長あっせん、参院予算委員会の正常化にも共産党の働き掛けがあった」と書きました。問責決議の際にも、読売新聞が社説で、「(小沢代表は)対決路線を強調し、国会閉会後も、党内を引き締めていく道具として、問責決議を利用したにすぎないのではないか」と指摘し、「共産党が……共同提出に加わらなかったのも無理はない」としたうえ、「(民主党は)国会論戦を放棄するというのは、論外である」と書いています。
 野党が参議院で多数をしめ、参議院の議会運営においては野党がイニシアチブをとることができて、徹底した審議ができる条件が広がりました。防衛利権問題では、赤嶺さん、大門さんが日米の政官財の癒着をあぶり出す日本共産党ならではの質問を行いましたが、この問題では、参議院では、衆議院ではできなかった山田洋行元専務の宮崎元伸氏の証人喚問や日米平和・文化交流協会の秋山直紀常勤理事の参考人質疑も参議院では実現できたわけです。しかし一方で、参議院予算委員会の質疑は、きわめて短かったのです。徹底審議で政府を追いつめる条件があるにもかかわらず、民主党がそれを駆使せずに、審議拒否を続けるなかで、二週間も空転してしまった。これにたいし、日本共産党が与党に対しても民主党に対しても一貫して審議をやるべきだと主張したことが、最初から最後まで注目もされたし、重要だったと思います。

 穀田 国会の転換の節々で、日本共産党の存在・役割を示したと言うことに尽きます。つまり、いま言われた「つなぎ法案」を阻止し、議長あっせんを出させるという方向性を示し、つねに「国会は審議をするところだ」ということを主張し、国会運営をリードしました。後期高齢者医療制度廃止法案、また福田首相の問責決議の局面でも、国民的な理解を得るような方向は何なのかをさし示しました。
 そして、先に紹介した以外の国会の各委員会における審議でも、党国会議員団は全員よくがんばりました。通常国会の本会議では、私は五回も討論、質問の演壇に立ちました。佐々木さんは四回立っている。審議重視のとりくみのなかで、国会運営でも新しい局面が広がっています。政府に資料提出させるという点でも変化が見られますし、国会の同意人事案件で本会議で意見表明したりすることなどもこれまではなかった。参議院では、人事案件をめぐる議院運営委員会における議論をすべて公開するまでになっています。

 佐々木 衆議院はまだ非公開です。議事録は出るようになりましたが、リアルタイムで現場をテレビ中継できない点を打破しなければいけません。参議院ではやっているのですから。

国民の期待に応えた日本共産党の躍進を

[実感する共産党への期待の広がり]
 佐々木 街頭演説をしていると、2〜3年前と比べても、声援が多いことを実感します。先日の日曜日、名古屋の栄で街頭演説をしたのですが、若い人からも、お年寄りからも声をかけるのです。「共産党頑張れ」とか。八田ひろ子さんが演説しているとき、若い人たちから、「ひ・ろ・こ」とか声がかかる。そういう温かい雰囲気があります。

 穀田 私も応援に行きましたが、沖縄県議選の勝利はその象徴です。3議席から5議席への躍進はまさに日本共産党への期待の現れだと思います。もともと京都は共産党への支持が強いところですが、今までとは違った反応があるのです。手を握っていく度合い、手を振ってくれる人の数、「テレビ見たよ」とか、「頑張ってね」「あんたらしか頼力はないよ」などいままで声をかけてくれなかったような人からも声がかかるのです。若い人から声がかかるのも特徴です。

 井上 お愛想ではなくて、“前進してほしい”という思いのこもった手の振り方がありますよね。私は、一人区、二人区で勝利した新潟の上越市議選の応援に行きましたがそのことを実感します。同じ日に埼玉県議選再選挙で定数一で勝利し、その後沖縄での前進があった。保守も含めた幅広い支持を得る条件の広がりということとともに、民主党にいったんは期待してもやっぱり共産党が伸びなければ政治は変わらないということを分かってもらえた人が増えてきていると感じています。ここには、今度の国会を通じて日本共産党の存在感への期待を感じます。

 佐々木 農村地域での期待の広がりというのも実感しています。日本共産党は、3月に「農業再生プラン」を発表しました。先日、飛騨高山地域で農業シンポジウムを開催し、私も参加しました。JA(農協)幹部や日本農業大賞を受けた人が二人、パネリストとして参加するなど、その地域の中心的な農家の方が参加してくれました。
 多くの方が、共産党支持者というわけではありません。しかし、言っていることはほとんど私たちと変わらないのです。たとえば「いまの時代、企業の論理というものと、われわれ農家の論理は違う」という話をズバッとする。「国境措置をどんどんとりはらって、外国農産物が入ってきて日本農業が打撃を受けている」「飼料価格の高騰で畜産が打撃を受けている」と。
 この地域では、トマトやホウレンソウなど野菜中心なのですが、価格が安定しない。国の価格保障制度は生産コストを保障するのではなく、前の年に比べて下がった場合に限られている。下がったままだと、次の年からは保障がなくなってしまう制度なのです。これを生産を支える制度に変えるなど日本農業の再建への強い要求がある。「農業再生プラン」と日本共産党に対する強い期待の高まりを実感するとりくみになりました。

 穀田 紙参院議員をはじめ、農業を担当している議員は土日は引っ張りだこですね。

 井上 農業も小泉内閣の時の「構造改革」のツケが出ているわけですね。これに対して、福田首相も「食糧自給率を上げなくてはいけない」とは言うのですが、参議院で紙さんが、「そのためには価格保障制度が必要」と迫ると、「農業というのは需要と供給の関係だ」と逃げてしまう。

[綱領との響き合い、「資本主義限界」論への関心]
 穀田 なぜ、日本共産党が今国会で抜群の論戦をおこない、国民の共感を広げることができたのでしょうか。私は、いまの政治のゆきづまりの大もとにアメリカ追随、財界べったりの政治があり、日本共産党がその政治の改革方向を示す綱領をもっているからだと思います。だからこそ日本共産党への期待は、単に政策的な一致ということにとどまらず、日本改革の方向、日本共産党の綱領路線と響き合っているのだと思います。そして、それは、さらに「資本主義の限界」という関心にまで及んでいます。貧困問題や環境問題、そして投機マネーの問題などの根本的解決のためには、資本主義を乗り越えた体制が必要ではないかという議論にメディアも注目し始めています。『週刊朝日』は、特集記事「日本共産党宣言 志位和夫委員長、資本主義を叱る」を掲載しましたが、そのときに編集部の質問は、「資本主義を問う」という角度からのもので、インタビューのリードには「円高、株安、原油高が進み、経済の先行きは不透明だ。19世紀に、マルクスとエングルスは『共産党宣言』で『ヨーロッパに共産主義という妖怪が出る』と書きましたが、今や国際的な投機マネーに引きずられた『超資本主義という妖怪』が世界を脅かしている。共産主義者の目に今の社会がどう映るのか」とありました。

 井上 環境政策では、日本共産党は、3月に笠井衆院議員を団長に、欧州温暖化対策調査団を派遣しました。ヨーロッパでは、政府・財界が、地球の気候変動の重大性を緊迫感・切迫感を要する問題として位置づけ、社会のあり方を含めて考えていることを、詳細に見てきました。EUは、2050年までに世界で半減、先進国で60〜80%の削減をめざし、中期目標として2020年までに20%、他の先進国が同様の政策をとる場合は30%という削減の絶対目標を掲げて、国際交渉でリーダーシップの維持を図っているわけです。資本主義の枠内でも、すぐにとりくまなければならない緊急課題と言えます。

 佐々木 投機マネーはガソリンだけ見ても60ドルぐらいだったものが百数十ドルにまで高騰するなど国民生活に大きな影響をあたえるまでになっていて、どの国も何とかしないといけないと言っています。そのためには投機を抑える国際的協調が必要で、たとえばヘッジファンドの情報を公開するなどが必要です。投機マネーの運用者で有名なジョージ・ソロス氏も、「新しい保安官が必要だ」というぐらいですから。「トービン税」とよばれる、投機的なマネーに低率の税金をかけ、その税収を途上国へのODA(政府開発援助)に使おうという提案もあります。食物や原油など、人類が生きていく根本にかかわるものは、投機対象とすることができないような仕掛けを、国際的につくっていくことも検討しなければいけません。

 穀田 環境にしても、投機にしても、資本主義の枠内でぎりぎりいっぱい取り組んだとしても、問題を根本から解決できるのかという点に、疑問符がつきます。根本からの解決のためには、「利潤第一主義」という資本主義の枠組みを突破することが議論されていくのではないかと思いますね。
 次期国会は、新テロ特措法の延長問題が焦点になります。イラク特措法の扱いをふくめた憲法九条にかかわる論戦の場になっていきます。社会保障などの財源問題という形で消費税増税問題も焦点になります。海外派兵と消費税増税という国政の二大基本問題で各党の基本姿勢が問われることになります。私たちも、国会での論戦で、今国会以上の役割を大いにはたしたいと思います。また党への期待の高まりに応え、全国の党員のみなさんと、支持者のみなさんとともに、総選挙で何としても前進するために先頭に立って奮闘したいと思います。ご一緒に日本の政治を変えましょう。

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