国会での活動
【06.07.01〜05】第2回日中議会交流委員会の議員派遣・交流に参加
2006年7月1日〜5日、第2回日中議会交流委員会の議員派遣・交流がおこなわれました。佐々木憲昭議員は、日本の国会代表団の一員として参加しました。
参加したのは、衆議院の佐田玄一郎議運委員長を団長とする自民(4人)、民主(2人)、公明(1人)、共産(1人)、社民(1人)の衆議院議員9人です。
以下は、佐々木議員のレポートです。
1日目…大連市で交流
7月1日、成田空港10時10分発の大連行きの飛行機にのり、12時15分(現地時間=日本より1時間遅い)に、無事、大連空港に到着しました。
大連市は、1899年から107年の歴史のある街で、人口590万人で、大阪市と同じくらいの大きな都市で、中国東北地方の玄関と言われています。
空港から市内に向かう際の高速道路網
会談したのは、大連市人民代表大会常務委員会責任者の李永金さん、大連港集団有限公司副責任者の廬建民さんなどです。
大連市に日本からの進出している企業は、キャノン、東芝、サンヨー、松下をはじめ3200社で、投資総額は73億ドルにのぼるそうです。その従業員は、推計10万〜20万人だそうです。
歴史ある街には風情が
2日目…旅順→大連→北京へと移動
7月2日は、大連市内を視察し、3年前にオープンした現代博物館を見学。この博物館には、戦前から戦後・解放後の大連の歴史が展示されています。
その前で
美しい街角
星海広場
旅順へクルマで移動。途中の風景は広い中国の雰囲気がひろがっていました。高層住宅建設がたいへんさかんです。
旅順では日露戦争の203高地へ
日露戦争のときの203高地は、観光資源として活用されており、日本人の観光客もたくさん来ていました。
中国風の「かご」。力がなければ、人を乗せることはできない、かなりの重労働です。議員たちは、もちろん歩いて登りました。
旅順→大連、そして空路1時間で北京に到着。
3日目…人民大会堂で日中議会交流
7月3日、第2回日中議会交流委員会が、人民大会堂・北京の間で開かれました。
午前中に、第1セッションがありました。
中国全人代常務委員会副委員長はじめ中国の議会代表から、3つの提案がありました。
第1は、日中議会交流のメカニズムの連続性を保つこと。来年は、中国から日本に全人大の代表を送り日本の議員と交流をしたい。
第2は、日中両国議会の指導的・事務当局など各分野での友好協力をはかること。
第3は、若手議員の交流をすすめること。
中国側から、首相の靖国参拝について言及があり、両国間の政治的困難をもたらしていることを心配しているという趣旨の発言がありました。
これにたいして自民党の議員から、総裁選挙がある9月以降には状況が変わるだろうという発言がありました。
公明党の議員も社民党の議員も、明確に「首相の靖国参拝には一貫して反対している」と発言しました。
佐々木議員は、「首相の靖国神社への参拝には一貫して反対している」と日本共産党の立場を明らかにしました。
「靖国神社は、戦前、侵略戦争遂行の精神的支柱の役割を選挙区的に果たし、戦後もこの侵略戦争を賛美している。その靖国神社を国の代表である首相が参拝することは、過去の侵略戦争を肯定する立場に日本が立つことを内外に表明することになる」と批判しました。
そのうえで、靖国参拝をやめるとともに、少なくとも1995年8月15日の「村山談話」に立ち戻るべきだと述べました。
続いて、午後におこなわれた第2セッションで、日中間の経済交流、エネルギー問題、環境問題などについて、議論がおこなわれました。
午後、議員交流の合間と縫って、故宮博物館を視察しました。
北京オリンピックに向けて、故宮各所で大規模な修理が行われていました。
夜の天安門
4日目…唐家セン国務委員、呉邦国全人代常務委員長と会見
呉邦国全人代常務委員長との会見が行われ、今後の日中の議会交流あり方について意見交換がおこなわれました。
唐家セン国務委員との会見が行われ、唐家セン国務委員から、「歴史を鏡に、憎しみを延長するのではなく、未来に目を向ける」という日本と中国の関係について意見表明がありました。
この日は、朝8時にホテルを出発し、万里の長城で、実物の雄大さ、歴史の深さを学びました。
万里の長城は、紀元前7世紀の春秋時代から明代までかけて、約2000年以上に渡ってつくられてきたものです。
世界遺産の筆頭級にあげられ、中国を代表する最大の史的観光スポットとなっており、たくさんの観光客が訪れていました。
北京市内から約75キロはなれていますが、高速道路を使って約1時間で現地に到着しました。
約110メートルごとに、のろし台が築かれています。八達嶺駅側にロープウエーが引かれていました。議員たちは、乗りませんでした。
観光客で賑わう
北京オリンピックにむけて、街づくり・再開発がどのようにすすめられているかを展示している北京都市企画館を視察しました。
5日目…劉延東全国政治協商会議副主席と会見
帰国に先立ち、午前中、劉延東全国政治協商会議副主席と会見しました。
政治協商会議とは、中国共産党以外の9つの少数政党、13の業界、少数民族などの意見を反映させるためにつくられた制度です。
劉延東副主席は、1984年から日中友好21世紀委員会の第1期委員をつとめ、85年には全青連主席として、500人の中国人青年を率いて訪日し、47都道府県を回ったことがあるそうです。
佐々木議員の「全体としての中国の印象」
私にとっては初めての中国訪問で、短い時間でしたが貴重な体験をさせていただき、以下のような印象を受けました。
1つは、日中関係で、首相の靖国参拝問題が大きなネックとなっていることが、あらためて分かりました。
議会交流委員会の第1セッションの冒頭から、中国側が「靖国問題」を取り上げ、「非常に憂慮している。焦りも感じている」という発言がありました。
2つ目は、スケールの大きさです。
広大な土地、世界一の人口、歴史が古い……。そのうえ、建物も高層ビルが建ち並ぶというように。
たとえば道路。――大連も北京も、5車線も6車線もあるような幅の広い通りがあります。
また、都市のにある大きな広場をたいへん大切にしていることです。
いちばん巨大なのは天安門広場で、地方から出てきた人々や外国からの観光客で朝からたいへん賑わっていました。
大連でも広場があり、市民の憩いの場になっています。
市長さんが「広場をたくさんつくっている」と自慢するほどです。
狭い空き地もすべて大企業によって再開発しつくそうとしている日本の場合とくらべ、大きな違いを感じました。
3つ目は、「改革開放」政策のもとで、経済的な発展のスピードが極めて早いこと、そのためひずみも大きくなっていることです。
10%を超えるような経済成長率は、日本の高度成長時代を彷彿とさせます。
同時に、それにともなう歪みも大きくなっていると感じました。――都市への人口の集中と一部のスラム化、農村地域の停滞・疲弊、それにともなう経済的・社会的格差の拡大、環境問題の悪化など……。
ただし、物価は年に1〜2%しか上昇していないそうです。
私たちがお会いした中国全人代の幹部が、「娘は、私よりも4倍も収入がある。私も引き上げてもらいたいよ」などと冗談交じりに言っていたのが印象的でした。
街の雰囲気は全体として落ち着いており、朝のラッシュアワーの時間帯には、以前は自転車でごった返していたそうですが、いまは、自転車は少数でクルマが中心です。
数年前に行ったベトナムは、バイクが多かったのですが、バイクは大変少ない印象をもちました。
日本のある議員は、「3年から5年に一度は来ているが、毎回、大きく変わっている」と驚いていました。
北京の公衆電話 最近は減少