国会での活動
国会での活動 − 演説・挨拶・懇談、金融(銀行・保険・証券)
【04.03.19】ノンフィクション劇場「騙す」PARTー4に出席
2004年3月19日、佐々木憲昭議員は、銀行の貸し手責任を問う会主催の、ノンフィクション劇場「騙す」PART-4に参加して、ご挨拶をさせていただきました。
銀行融資と一体の「保険」で不動産担保も取る「変額保険」によって、バブル崩壊後に大きな被害が生まれています。
ほんらいなら、このような「保険」は、投資信託と同様のものであり、証券として規制の対象にしなければなりません。
それを認可し被害を放置してきた当時の大蔵省にたいして、被害者たちは国家賠償をもとめる裁判をたたかうことになりました。
佐々木議員は、次のようにお話しました。
――変額保険被害に対して大蔵省は4つの罪を負っていると考えている。
第1の罪は、変額保険に証券規制を課さず保険商品として認可したことだ。
株式を中心に運用される変額保険は、投資信託と同じ性格を持つ商品だ。売った銀行も保険会社も何のリスクも負わない。契約者に一方的に損失が負わされる。
米国では変額保険に証券規制が課されているが、大蔵省はその事実を知りながら証券規制を課さずに保険として認可した。これが被害の元凶となった。
第2の罪は、銀行の融資行為に何ら規制を課さず、過剰融資を野放しにしたことだ。
銀行の融資行為に対する規制の必要性は、1970年代後半から政府の金融制度調査会で繰り返し指摘されていた。ところが大蔵省は法規制をサボタージュしてきた。
変額保険のような、大型フリーローン、提案型融資、過剰融資による銀行被害は、大蔵省が審議会の提言通り銀行の融資行為を法律できちんと規制していれば生まれなかった。
第3の罪は、被害発生後も保険料ローンを禁止せず、被害を拡大してきたことだ。
大蔵省が一番最初に保険料ローンの弊害に気付いたのは1988年だ。この年の5月に最初の口頭指導を出している。〃保険料ローンのような財テクを勧める提携販売は自粛するように〃というものだ。ところが融資一体型変額保険の販売は拡大し、90年から91年がピークとなる。被害が起こりはじめた最初の段階で大蔵省が的確に対応し、融資一体型変額保険の販売を禁止していれば、多くの被害は生まれなかった。
第4の罪は、被害者の救済に背をむけ、事件の解決を放置してきたことだ。
みなさんの運動の結果、90年代半ばから変額保険被害が社会問題化した。にもかかわらず大蔵省は、被害を放置し続けた。いまだ被害実態の調査すらしようとせず、銀行や生保にまともな指導もしていない。
これまでに変額保険をめぐって、大蔵省が業務改善命令を下したのは、1996年の朝日生命に対するものだけだ。後にも先にもこれ1回だ。これは最高裁で朝日生命の違法勧誘を認める判決が出たことを受けたものだ。変額保険を一番売った三菱銀行も明治生命も、何の処分も受けていない。“解決は裁判で”というばかりで、行政の責任を果たそうとしない。金融庁になってもこの姿勢は変わらない。
なぜこういうことになるのか。それは、いま述べてきたように、国が、変額保険の被害を生み、拡大してきた張本人だからだ。変額保険が「金融版薬害エイズ」といわれるゆえんだ。
事件を解決し、二度と同じような被害を生まないために、大蔵省が果たした役割を全面的に解明し、反省させ、消費者本位の行政をつくっていかなければならない。みなさんの運動は、そういう意義のあるものであり、運動と世論が、実現の一番の力となる。
私も国会で、銀行の責任追及とともに、金融行政の責任を徹底して追及していきたい。