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奮戦記

【13.09.23】元衆院議員・柴田睦夫さんを忍ぶ会に出席

   柴田睦夫さんをしのぶ会がおこなわれました。故人の人柄を忍んで暖かく心に響くお話が続き、豊かな気持ちになりました。(写真は内藤功元参議院議員)

 柴田睦夫さんは、1972年12月の総選挙で千葉1区から初当選。千葉県で初の日本共産党衆議院議員となりました。私が27歳で、党本部の政策委員会の仕事に就いた1973年には、すでに柴田さんは衆議院議員として大活躍されていました。

 私は、短い言葉を交わす程度でしたが、柴田さんはいつも暖かく私たちに接してくださいました。豪放磊落でいつも笑みを絶やさず、国会の秘書や職員とも打ち解け、職員も柴田さんを慕っていました。
 仲間と飲みにいくときは、あらかじめ秘書にポンと財布を預け「これで払っておいて」という太っ腹なところがありました。

 私が、国政選挙に出たのは80年代の参院比例選挙でしたが、柴田さんとご一緒に街頭から訴えることもありました。柴田さんの演説は誠実なとつとつとしたものでした。それが、聴衆の心をとらえ胸に染み入るように伝わりました。

 国会では縦横無尽に活躍し、議事録を見ると、予算委員会、内閣委員会はじめ実に13の委員会で質問しています。地元の声を国会に反映させようという姿勢が現れていると思います。

 柴田さん最後の本会議質問は、1989年の3月3日でした。その内容は、同年4月からの消費税導入を厳しく批判したものでした。今読んでも新鮮で、そのまま安倍政権に突きつけたいくらいです。

 柴田さんは、たたかいの筋道を示してくださいました。その道を進むのは残された私たちの仕事です。どうぞ、安らかにお眠りください。

 日本共産党の元衆議院議員・柴田睦夫さんをしのぶ会で写し出された第1の躍進時代の「赤旗」報道。1970年代末には衆議院で41議席となりました。  

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