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奮戦記

【13.05.04】政党助成金制度を考える(facebookより)

「政治改革」の名で持ち出された政党助成金

 政党助成制度は、どのような経過で導入されたのでしょうか。
 1988年に発覚したリクルート事件を契機に、「政治改革」が大きな議論となり、89年に竹下総理の辞任を受け就任した宇野総理の諮問機関として、第8次選挙制度審議会が設置されました。
 この審議会が、90年に出した答申で、「政党中心」「カネのかからない選挙」等と称して、小選挙区制の導入、政治資金の公開と規制強化が打ち出され、同時に政党助成制度が提案されます。これをもとに、海部内閣が関連法案を国会に提出し、続く宮沢内閣時には、自民党案などが提出されますが、成立には及びませんでした。
 その後も、佐川急便事件、金丸巨額脱税事件など、政治腐敗事件が相次ぎます。そして宮沢内閣不信決議案が可決されて行われた93年7月の総選挙で自民党が敗北、下野し、「政治改革」を掲げた細川連立政権が誕生しました。この細川政権時に、「政治改革」関連法案が成立することとなります。
 93年9月、細川政権は法案を国会に提出。衆議院における審議のなか、連立与党と自民党は修正協議を行い、11月18日修正法案を、衆院本会議で可決し、参議院に送付しました。
 審議の場が参議院に移り、本格的な審議は、年末も押し迫った12月24日から始まりました。激しい攻防が続くなか、年が明け94年1月21日の参院本会議で、衆院から送られてきた修正政府案は、否決されたのです。1月26日から衆参の両院協議会が行われましたが、「成案を得るに至らなかった」という結論になりました。
 ところが、土井たか子衆院議長のあっせんによって、1月28日に細川護煕総理と自民党河野洋平総裁がトップ会談を行い、翌29日未明に「総・総合意」を共同記者会見で発表しました。それを受け、29日のうちに「政治改革」関連法案が、衆参本会議で可決・成立したのです。その後、「総・総合意」に基づく法改正の協議が2月から行われ、3月4日に成立、実質的に制度が「完成」したのです。一貫して、反対したのは日本共産党だけでした。
 そもそも参院で否決され両院協議会でも成案が得られなかったものを、細川総理と河野総裁の「総・総合意」でひっくり返して成立させたのですから、経緯自体がいかに理不尽なものだったか明らかでしょう。

 ほんらい1990年代はじめの金権腐敗政治をただす「政治改革」の中心課題は、企業・団体献金の全面的禁止だったのです。
 日本共産党は、当時、「企業・団体献金全面禁止」法案を提出し、金権腐敗政治の根絶を求めました。また、選挙制度は民意を正確に反映させることが根幹であり、小選挙区制は「民意をゆがめ」、「虚構の多数」をつくりあげるものと批判しました。そして、政党助成制度は、支持する政党を持たない国民にも、一律に献金を強制するものであり、思想信条の自由を侵すものだとして反対しました。
 当時、細川総理は、就任直後(93年8月)の所信表明演説で、「政治腐敗事件が起きるたびに問題となる企業・団体献金については、腐敗の恐れのない中立的な公費による助成を導入することなどにより廃止の方向に踏み切る」と述べました。
 この「政治改革」で行われたのは、国民がもとめた「クリーンな政治」の実現ではなく、「政治家への企業・団体献金禁止」を口実に、政党助成制度を導入したことでした。腐敗政治の根絶という中心課題が、政党助成制度の導入にすり替えられたのです。

「過度に依存しない」「総額を見直し」は、反故にされた

 政党助成制度によって税金を政党に配分することは、当初から、厳しい国民の批判がありました。そのため、推進する側も公然と受け取ることに“後ろめたさ”を感じていたようです。
 細川総理と河野総裁が、「総・総合意」の中で過度な依存を避けるため依存率を「40%以上にならない」ように歯止めをかけると書き込んだのは、それを示すものでした。
 しかし、「総・総合意」を法制化する際になって、この「歯止め」も「3分の2を上限とする」と後退させたのです。それでも、この「3分の2条項」は「政党の政治活動資金は、その相当部分を政党の自助努力によって得た国民の浄財で賄うのが基本であり、政党が過度に国家に依存することのないようにするとの趣旨から設けられた」と、説明されていました。
 ところが、制度が施行された95年の12月には、この「歯止め」さえも完全に削除する法改定を行ったのです。
 提案理由では「政党がその運営においてどの程度政党交付金に依存するかの選択については政党の自主性を認めるのが適当であること等の理由から……交付限度額を廃止しよう」と説明しました(95年12月7日衆院特別委)。こうして、政党がいくら税金に依存しようと問わない内容に変えてしまったのです。
 また、当初は、政党助成金の総額について「5年後に見直し」をするという規定があったのですが、何らの見直しもしないまま、この規定も削除してしまいました。そのため、制度導入以降、一度も総額が減らされたことはありません。

「企業・団体献金」も「政党助成金」も受け取る“二重取り”

 政党助成金の導入とともに、やめるはずの企業・団体献金はどうなったでしょうか。その後も、政党が公然と受け取り続ける仕組みが残され、企業・団体献金も政党助成金も受け取るという「二重取り」がおこなわれるようになったのです。
 なぜ、そうなったのでしょうか。政治家個人に対する企業・団体献金は禁止しましたが、政党と党のサイフである政治資金団体が受け取るのは禁止しなかったからです。当時から日本共産党は、「政党には政党支部が含まれており、支部が抜け穴になる」と指摘してきました。実際に、政治家が党支部をたくさんつくって企業・団体献金を受け取るようになり、党支部が政治家個人のサイフのように使われているのです。
 総務省に届けられているだけでも、民主党には595の支部があり、自民党には7252も支部があります(2012年1月1日現在)。党本部だけでなく、これだけの支部が企業・団体献金を受け取れば、莫大な金額となることは明らかです。
 民主党は「マニフェスト」に「企業・団体による献金、パーティー券購入を禁止する」と書いていたはずですが、実際には実行されませんでした。
 主権者は国民であり、支持する政党に対し政治献金をする自由があります。個人献金は、主権者国民の政治参加の一つの手段であり権利でもあります。
 しかし企業は、利益を求める存在です。主権者ではなく選挙権ももっていません。その企業が、政党や政治家にカネをだして政治に影響をあたえ、自己の利益をはかれば、結果として、主権者国民の基本的権利を侵害することになります。
 企業が、政治に金をだせば、当然“投資”にみあう“見返り”を求めることになります。したがって、企業献金は、必然的にワイロ性をもつものです。国民主権を貫くためにも、企業・団体献金の禁止がどうしても必要なのです。

政党助成金は、ただちに廃止すべき

 政党助成制度は、日本独自の制度というわけではありませんが、主要国を見ると、これほど巨額の税金をつぎ込んでいる国はありません。
 南米のボリビアは、2008年に政党助成制度を廃止しました。ボリビアでは、制度を廃止することによって生じた資金(年6億2000万円)を、障害者支援の基金に充てられました。ベネズエラでも、99年の憲法改正時に、政党助成制度を廃止しています。
 自らは税金に依存しながら、国民に大増税を押し付けるやり方は、根本的に改めるべきです。
 税金に「過度に依存」している「国営政党」では、庶民から浄財を集める努力をせず、税金で党財政を賄っているため、次第に感覚がマヒして庶民の痛みがわからなくなってくるのではないでしょうか。
 「政治の劣化」「政党の堕落」が指摘されていますが、“虚構の多数”を得られる小選挙区制の害悪とともに、政党助成金がその要因になっていると言えるでしょう。政党助成金は党本部に交付されてから、各支部に配分されますから、その配分と小選挙区の公認権をにぎる政権トップをめぐる党内抗争も問題視されています。いまや、90年代の「政治改革」の制度設計そのものに重大な問題があったことは明白です。

 政党は、思想・信条にもとづく自発的な結社です。その財政は、党費と支持者の個人献金などでまかなわれるべきものです。
 国民には政党を支持する自由も、支持しない自由もあります。それにもかかわらず、政党助成金は、国民の税金の分け取りですから、支持していない政党に「献金を事実上強制」することにならざるを得ません。つまり、思想及び信条の自由を、事実上、踏みにじることになります。私たちは、この政党助成金の制度そのものを廃止すべきであるという主張を、これからも貫いていきます。
 日本共産党について言えば、政党助成金も企業・団体献金も受け取らず、党の財政は、党費、個人献金、機関紙などの事業収入でまかなっております。――政党助成金は廃止し、企業・団体献金は禁止すべきです。こうしてこそ、自律した結社としての政党ほんらいのあり方を取り戻すことができるのではないでしょうか。

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