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奮戦記

【06.01.05】靖国参拝「批判が理解できない」という姿勢こそ問題!

写真 小泉総理は、年頭の記者会見でこう言いました。

 「靖国神社参拝は外交問題にしない方がいい。日本人からの批判は理解できない。まして、外国政府が心の問題にまでけしからんというのは理解できない。一つの問題が自分たちと意見が違うから外交交渉をしないとか、首脳会談を開かないということは理解できない」――このように、何度も「理解できない」を“連発”しました。

 このような姿勢こそ、アジアの人々からも、多くの日本国民からも「理解されない」ものとなっているのではないでしょうか。

写真 靖国神社は、町や村にある普通の神社ではありません。――もともと「天皇のために戦死した軍人・軍属だけをまつる神社」なのです。

 ですから、東京大空襲で亡くなった人々は、祀られていません。

 西郷隆盛も祀られていません。それは、西南戦争で官軍とたたかって没したからです。

 同じ会津藩士でも、鳥羽伏見の戦いで戦死した白虎隊などの会津藩士は「朝敵」なので祀られておらず、禁門の変(蛤御門の変)で戦死した会津藩士は「朝敵である長州藩と戦って死んだ」から祀られているのです。

写真 1979年には、東条英機元首相をはじめ14人のA級戦犯が、ひそかに「昭和殉難者」として合祀されていたことが明るみに出て、大問題になりました。

 要するに「御国のため=天皇のため」に死んだかどうか、これが祀られるかどうかの唯一の基準となっているのが、靖国神社なのです。そこには、本人や親族の意向はまったく考慮されていません。

 靖国神社は、戦前、侵略戦争遂行の精神的支柱の役割を積極的に果たし、戦後も、この侵略戦争を美化・礼賛しつづけ、軍国主義復活の“旗ふり役”となってきました。

 その靖国神社を、国の代表である首相が参拝することは、過去の侵略戦争を肯定する立場に日本政府が立つことを、公然と内外に表明することになるのです。

 それは、これまで日本政府がとってきた「村山談話」などの見地とは、まったく相いれない姿勢です。

 再び「御国のために命を捧げる」ような若者をつくる道に、日本が踏み出すようなことは、絶対に許してはなりません。

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