奮戦記
【02.12.06】自民党が50年近くも議席を独占なんて!
明後日は、茨城の県議選の投票日です。
今晩は、茨城県の下館市の演説会でお話をしました。この選挙区(2人区)では、なんと50年近くも自民党が独占してきたというのです。驚きました。
演説会は熱気にあふれました。参加者は「過去最高」だそうです。
お話をしたのは、県議候補の加茂さちえさん、無党派の中小企業の会長さんなどです。
この中小企業の会長さんは「私は共産党も自民党も好きでも、嫌いでもない」ときりだし、次のように訴えました。
「カネもうけばかり考えている自民党県議では下館はどうしょうもない。皆さんは選挙公報をみたことがありますか。加茂さん以外はみんな抽象論ばかりです。こういう人たちに政治をまかせていたら茨城県の西部には政治はありません。われわれの生活を良くしてくれる政党でなくては好きになれない。具体的な政策を掲げている加茂さちえさんならやってくれます」。
加茂さちえさんは、農家の5人姉弟の長女として苦労してきました。
中学校を卒業してずっと働いてきた加茂さんは、48歳(!)になって長年の思いをかなえ、水戸南高校(通信制)に入学しました。
高校1年生のときに県代表として出場した定時制・通信制高校の生活体験発表全国大会で「読売新聞社賞」を受賞しました。
そのとき発表した「私の新しい旅」の一部を読んで、私はたいへん感動しました。それは、次のような内容です。
――<15の春に>――
私は、中学卒業と同時に、神奈川県のストッキングの会社に就職しました。小さな農家の5人姉弟の長女として、家の経済状態が手にとるようにわかっていたからです。
入学願書締めきりの朝のことです。弟は泣きながら私にいいました。「姉ちゃんオレは大工になる。だから姉ちゃんは高校へいけよ」と。
その日の放課後、先生に職員室へよばれました。先生は、「今からでも遅くはない」と熱心に進学をすすめて下さいました。私は、経済的にとても進学は無理なこと。弟たちに私のような思いをさせたくないこと。働いて少しでも父や母を助けたいことを一気に話しました。
ほんとうは、心の底から叫びたいほどに高校に進みたかったのです。先生は何も言わずに、目にいっぱいの涙をためて、黙って上をむいていました。
以来、真っ黒になって一生懸命働く両親のことを思いながら、中卒でも卑屈にならずに生きていこうと、幼かった私の最初の旅が始まったのです。――(中略)――
――<自分の生き方として>――
あれから、数え切れないほどの月日がたち、そして40代の最後の年齢を歩んでいる私。そんな私が、春になると毎年のように取り寄せていたもの。水戸高校の入学案内書でした。
最初は、どうしても高卒の資格が欲しくって。でもいつの頃からか、学歴ではなく、自分の生き方として高校を考えるようになりました。……
苦労の分かる加茂さんだから、あったかい心でひたむきに皆んなといっしょに頑張ることができるのです。
私は、ムネオハウスを追及した体験を中心に政官業ゆ着にメスを入れるため、日本共産党の躍進をと訴えました。
■4党の政策責任者会議に同席しました
朝、8時15分から野党4党の政策責任者会議がありました。日本共産党から筆坂政策委員長が出席し、私も同席しました。
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