奮戦記
【02.11.07】本会議で小泉総理に質問しました
今日は、午後1時から開かれた衆議院本会議で、「預金保険法改正案」など3つの法案について小泉総理に質問しました。
私は、まずこうききました。
――最終需要を拡大せずに不良債権処理をやれば、処理しても処理してもその残高が増え続けるというのが、これまでの実績ではないでしょうか。
96年度の経済成長は3%台で不良債権の新規発生額は、2兆円でありました。しかし、橋本内閣のもとで消費税増税など9兆円の負担増が強行された97年度は、新規発生額が15兆円、98年度は16兆円と増加しました。その後、小渕内閣・森内閣時代には1〜2%の経済成長となり、不良債権の新規発生は年に10兆円、9兆円と減りました。
ところが、「構造改革」をかかげて登場した小泉内閣ではどうでしょうか。最重点課題として不良債権処理をかかげデフレを加速させました。そのため、経済成長率は最悪のマイナス1・9%に転落しました。そして、新規の不良債権発生額は実に17兆円を記録したのです。
小泉総理は、これまでの内閣でいちばん大きな不良債権をつくった総理大臣です。いったいその責任をどのように感じているのでしょうか。――
小泉さんの答弁は、「検査で不良債権の額が増えた」というはぐらかしでした。
私は、続けてこう質問しました。
――政府が決めた「不良債権処理の加速」とは、失業と倒産の加速でありデフレの加速です。小泉内閣の政策が不況をいっそう深刻化させ、不良債権を増やし経済全体にとりかえしのつかないダメージを与えるという認識は、総理にはまったくないのでしょうか。
昨日、わが党の志位委員長が党首討論で指摘したように、小泉内閣になってその前の4年分の貸しはがしが一気におきています。
「金融再生プログラム」によって「再検査」を実施して不良債権処理を加速させれば、これまで「健全」とされた中小企業もふくめて、中小企業全体に対する貸しはがしが猛烈にすすむことになり、貸出金利の引き上げが大手を振ってまかり通ることになるのです。
しかも重大なことは、体力の落ちた銀行にたいし公的資金を投入するというのです。公的資金とは、煎じ詰めれば国民の血税です。
結局、政府がやっていることは、倒産と失業を増やすために血税を使うということではありませんか。そんな税金の使い方があるでしょうか。
国民の税金は、ぎりぎりのところで頑張っている中小企業を支援し、失業者を救うためにこそ使うべきではありませんか。
次に、提案されている「預金保険法改正案」についてききました。
深刻な不況と信用不安のもとで、現在は、ペイオフ解禁の条件にないことは明白です。しかし、今回の延期措置は、小泉内閣がすすめる不良債権「早期最終処理」の集中処理期間に対応して2年間に限定したものとなっているところに問題があります。
ペイオフ解禁は、経済の立て直し政策によって景気を回復させることを大前提におこなうべきであります。ともかく機械的に2年間という期限を切って解禁するというやりかたは、きわめて乱暴であり無責任です。
なぜそうなるのか。それは、不良債権処理の加速による企業つぶし、金融機関の淘汰・再編の方針と結びつけて出されているからではありませんか。
地域金融機関に対して、中小企業支援よりも「収益力の強化」を求めることになっていますが、これは不況で苦しんでいる中小企業の経営難に追い打ちをかけるものであります。
ひいては収益力強化どころか地域金融機関の経営基盤を掘り崩すことになるのです。それは、地域の金融システムそのものを弱体化させることにつながるのではありませんか。
いま、政府に求められているのは、地域金融機関をつぶすことではありません。信用金庫、信用組合など協同組織金融機関が、地域に密着し協同をひろげることができるような環境をつくりだすことです。
これらの金融機関は、本来、会員・組合員の相互扶助のための機関であり、基本的には構成員である中小企業の出資によって支えられているものであります。上から合併を促し、資本不足になったら税金を投入するという発想は、まさに本末転倒です。
ほんらい、金融機関の評価は、地域経済・地域の中小企業への貢献度によっておこなうべきものです。
小泉総理は、わが党の「地域金融活性化法案」にたいして、一律の基準を適用することはよくないと言われました。しかし、政府のやり方こそ、自己資本比率や検査マニュアルなど一律で画一的な基準を押しつけ、地域の金融機関を破たんさせ金融機能を弱体化させるやり方ではありませんか。
わが党の提案は、貸し渋り・貸しはがしなどをやめさせ、地域に必要な資金を供給し国民のくらしと中小企業・業者の営業を育てる金融機関に変えるものです。この方向でこそ、長い目で見て地域金融機関を安定化させ、国民の金融への信頼を回復させる道です。
●小泉さんの答弁は棒読みでした
小泉総理の答弁は、官僚が書いた答弁書をただただ読み上げるだけ。――棒読み総理そのものでした。
自分の政策に自信がなくなったのか、投げやりなのか、ほんとうに困ったものですね。