奮戦記
【02.01.15】予算委員会の国政調査(in沖縄──その1)
予算委員会の沖縄調査がおこなわれ、私もメンバーの一員として参加しました。<前列右端が私(旧海軍司令部壕の前で)>
やはり暖かい。東京を出るときはコートを着てきたのですが、驚いたことに沖縄のバスでは冷房が効いていました。
●沖縄戦の傷跡
1970年に復元された旧海軍司令部壕を見学に行きました。旧日本軍の兵士が4000人も収容されていたという大きな壕。とくに太田司令官の部屋は、コンクリートで固められたもので「当時とまったくかわりません」という説明でした。かなり立派なものでした。
私が、以前訪れたことのある沖縄の一般の人々が隠れていたガマ(壕)では、自然につくられた洞窟を利用したもので、暗く、衛生上も悪く、悲惨な沖縄戦の傷跡が刻まれたものでした。それと比べた「落差」を思わざるをえませんでした。
「住民の苦しみ」というコーナーがあり、「夜はみんな、杖を持って歩いた。死体を踏まないためだった」という手記が掲げられていました。───他党の議員が「無謀な戦争をやったものだな」とぽつりと言ったのが印象的でした。
沖縄県、内閣府沖縄総合事務局、外務省、防衛施設庁、沖縄観光コンベンシションビューローから説明を受け、質疑がおこなわれました。

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沖縄の失業率は、全国平均よりも大幅に高く7〜9%台となっています。

沖縄には全国の基地の75%が集中し、沖縄本島では総面積の実に18%を占め、民間地域に隣接しています。「沖縄の経済発展を阻害していることは、いなめない」という説明でした。

観光客はテロ事件以降激減しています。昨年11月で前年比でマイナス24・4%となっています。12月〜1月にかけて、多少盛り返したということですが深刻です。特に、団体客や修学旅行のキャンセルが相次いでいます。

<平和祈念資料館>
沖縄戦の犠牲になったすべての戦没者が「平和の礎」に刻印されています。国籍を問わず20万人の名前が刻まれているのに、ほんとうに驚きますが、一人一人に家族があり人生があったと思うと、あの戦争の冷酷さ惨さを思い知らされました。

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<平和祈念公園の白鷺(シラサギ)>

<これはススキではありません。サトウキビの花なんです>

<可憐なハイビスカスの花>

<那覇の夕日>
