奮戦記
【01.08.18】予算委≪中東調査≫報告�Д茱襯瀬鵝▲汽Ε献▲薀咼�
8月18日(土)
【ヨルダン】
09:30 バカア難民キャンプ視察
───アンマンの北部約20キロのところにある。総面積は、約130万平方キロメートルで、ヨルダン国内最大の難民キャンプ。キャンプの設立は、1967年の第三次中東戦争で住居を失った難民約2万6000人が、翌年5000のテントに住んだことが始まり。キャンプ内の人口は、8万5898人(難民7万5333人、避難民1万565人)。
───ヨルダンの難民キャンプは、パレスチナの難民が約50年にわたってさまざまなかたちで集まって形成された。キャンプと言っても、テントを張っているわけではない。自然と街ができている。ここを自立して出ていった人は、約8割だという。残っている人、特に生活保護を受けている人々は、貧困そのものだ。暗い不衛生なバラックのなかでは、靴のない痩せた子どもがスナック菓子を袋ごと持って走り回っている。
───私たちが訪問したのは、学校、保健所、住居。学校は、第一、第二女子小・中学校。1993年に日本の援助でプレハブから鉄筋コンクリートに建て替えられた。今日、約2000名の児童・生徒が二交代制で学んでいる。日本の子どもとパレスチナの子どもを描いた大きな絵が入り口に飾ってあった。
───学校を出ると、子ども達が遊んでいる。カメラを向けると、沢山の子どもが集まってきて、いっしょに写真を撮ろうとすると、ピースをしてはしゃぎだし画面からはみ出しそうだ。
<カメラの前ではしゃぐ難民キャンプの子どもたち>

───保健所では、沢山の患者が待合室をうめている。歯医者の部屋の前にも、つめかけた子どもやお年寄りの姿が多い。
【サウジアラビア】
16:00 リアド着
───こんどは、世界最大の石油産出国、国王が支配するサウジアラビアだ。
タラップを降りると、やはり南国の太陽がまぶしい。パトカーがサイレンを鳴らしながら先導してくれた。数珠つなぎで何台ものベンツがそこのけそこのけと通る。やはり、この国では王様の権限が絶対なのだ。
道の両側は緑の植樹でうめられている。砂漠の中でこれを維持するのは大変だろう。つねに水を供給し続けなければならない。深いところから汲み上げられた地下水と、海水の淡水化が水源。
<パトカーが8台のベンツを先導>=原口議員撮影

16:45 迎賓館着
───玄関を入った途端、この黄金の輝きは何だ!と思うほど、まばゆい光と明るさ。豪華なシャンデリア、広いスペース。この国では、王族が贅沢三昧をしているようだ。イラクの悲惨さと比べて別世界だ。
<サウジの迎賓館>

───いまのサウジアラビアは、1900年代に入ってからつくられた。
<初代国王の精悍な姿を描いた絵の前で>

●19:30 シャタ諮問評議会副議長との会談(於:諮問評議会)
副議長は、「中東地域と日本は補完的関係にある。戦略的パートナーであることをも望んでいる。投資は、日本からはさほど伸びていない。したがって、私どもは日本が投資にたいしてより多くの関心を払っていただきたい。私たちの要望は単純だ」とのべた。
───日本に対する要望の中心は「投資」のようだ。
───諮問評議会とは、数十人の専門家によって構成されており、国政について意見をのべることができる。しかし、決定権はない。議会のつくりも贅沢だ。280の席がある本会議場は、すべての机にパソコンが備えられている。ところがこの大きな会議場は、年に一度、開会式にしか使われないと言うので、またまたびっくり。
<諮問評議会との会談>

<乾いた大地と木々>撮影は原口議員
