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税制(庶民増税・徴税), 医療・介護・年金 (消費税, 年金制度)

2005年07月29日 第162回 通常国会 年金・社会保障両院合同会議 【322】 - 自由討議

年金・社会保障両院合同会議 消費税の年金目的税化を批判

 2005年7月29日、年金・社会保障両院合同会議が開かれ、国民年金と生活保護の関係についてテーマに各党一巡の冒頭発言があり、自由討論が行われました。佐々木憲昭議員は、自由討論で発言しました。

 自由討論のなかで、民主党の古川元久衆院議員は、消費税の年金目的税化を主張。
 佐々木議員は、「財源を消費税に頼るのは反対だ。低所得者ほど負担率が高くなり、目的税化すれば、税率を低くすると年金が低下し、年金を高くすると税率が上がるという悪循環になる」と批判しました。

議事録

【自由討議部分】
○与謝野会長 引き続き、議員間の自由討議を行います。
 1回の発言は3分程度で、会長の指名に基づいて、所属会派と氏名を名乗ってから行ってください。
 なお、発言時間の経過については、3分経過時と、その後は1分経過ごとにブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、御発言のある方は、お手元のネームプレートをお立てください。
○古川議員 民主党の古川元久でございます。
 きょうは国民年金と生活保護の関係というテーマでございますが、先ほどから、生活保護についてはミーンズテストがあるということが述べられているわけなんですけれども、社会保障制度の改革の中で、一般の国民、確かに生活保護を受けるにはかなり厳しい資産調査も受けなきゃいけないと言われている一方で、かなりそのミーンズテストが甘いのではないか、なぜこの人が生活保護を受けているのか、そういう疑問も持たれているというのが実際ではないかと思います。
 そういう意味では、私は、この年金問題を初め、政府が個々人の生活に社会保障給付という形で何らかの手を差し伸べるに当たっての基本的な前提の環境整備が必要ではないかというふうに思うわけなんです。
 ここの議論で何度も、我が党が提案をしております年金制度において所得把握ができないのではないか、そもそも自営業者も含めて正確な所得把握などは不可能なんだ、そういう意見がいろいろな方から出されたりしておりますけれども、もし、ずっとそういう状況を仕方がないということで許すのであれば、本当に社会保障制度、今財源的にも非常に厳しくなっている中で、効率化をさせていかなければいけない、本当に手を差し伸べなきゃいけない人にきちんとした手が差し伸べられるような社会保障制度にしていかなければいけないというふうに考えたときには、今のように、言ってみれば中途半端な所得把握の制度の中で、その中途半端な形で生活保護を初めとするいろいろな社会保障給付が行われているとすれば、それは、社会保障制度全体の効率化ということから考えても、そして国民の間の公平感ということから考えてもやはりおかしいのではないか、私はそう思わざるを得ません。
 社会保障制度全体を本当に効率化させて、必要な人に必要な手を差し伸べる。それには当然、所得などの部分は、プライバシーというよりも、きちんと社会保障を受ける前提としてその部分は明らかにされる、そして明らかにされるような仕組みを整えることがあるべき姿ではないのかというふうに思います。
 ですから、私は、ぜひここで、これから年金制度を考えるに当たって議論していただきたいと思うのは、所得比例年金、我々が提案しているものに対して、そもそも所得把握などできないんだということを言うのであれば、年金制度だけでなくてほかの社会保障制度の本当の意味での効率化というものもできないわけでありまして、ぜひそこは、ほかの社会保障制度全体の効率化をするためにも、ではどうしたら所得把握できるのか、そういう形で議論を進めていくべきだということを提案させていただきたいと思います。
○福島議員 本日のテーマは、国民年金と生活保護の関係ということでありますが、今までの議論を聞いておりましてまず確認をしたいことは、一元化の議論もありますけれども、一方で最低保障年金の問題がある。この二つは直ちに結びつく話ではない、これを確認するということが大事だというふうに私は思います。
 最低保障年金の問題は、この会議で繰り返し指摘されたのは、現に高齢者で無年金の者であるとか低年金の者、こういった方の生活保障は一体どうするんだと。これは確かに大切なことで、それに対しての答えをどう出すのかという議論なんだろうというふうに思います。
 最低保障年金を求める方は、こういった方は生活保護に移行していく、生活保護を受ける方で高齢者がふえている、それであれば最低保障年金を導入すべきだと。言ってみれば、生活保護の代替の政策としてこういうものを導入するという御主張なんだろうなというふうに私は思います。そういった一種の三段論法になりますが、ただ、そういう論理だけかという話ではないというふうに私は思います。
 むしろ、年金制度のあり方そのものをもう少し工夫するということは可能だと思いますし、そしてまた、何よりも大切なことは、生活保護と年金制度、これは性格が異なるものなんだということを明確にすることの方が大事だというふうに私は思っております。
 現に、未納、未加入の問題にしましても、保険料が払えるけれども払わない人、そしてまた、所得が低くて保険料が払えない人、これは、払えるが払わない人も比率としては非常に多いわけです。払えなくて払えない人が非常に多いというわけではない。この実態をよく見きわめる必要があると思います。
 ですから、年金の額が少ないということだけに着目して、そこのところを税金で補うというような考え方をとるということは、この現状を踏まえた場合に、果たして適切かどうかというふうに私は思います。
 そして、所得が低くて保険料が払えない人、これについてはさまざまな減免措置を前回の年金制度の改革で導入したわけでありまして、そのことによって対応ができないということを言っておられるのであれば、どう対応できないのか、具体的な事実を示していただきたいと私は思います。
 そしてまた、現に生活保護の中で医療扶助が非常に大きな比率を占めている、こういう実態もあるわけであります。単に所得保障の問題だけではないということでありまして、こういったことは医療保険や介護保険、介護保険については保険料の減免も今回の改革の中で導入いたしましたけれども、横断的に低所得者対策をどういうふうに構築していくのか、そういう観点があるわけでありまして、そういう議論をこそ進めるべきではないか。そしてまた、生活保護の抜本的な見直しの中でこうした社会保障制度との関係を整理すべきであろうというふうに私は思っております。
 どこのだれが負担したかよくわからない最低保障年金、私はこれはいかがなものかと思います。自助努力、みずからが負担をしてみずからが給付を受ける、この原則をやはり堅持していくべきではないかというふうに私は思います。負担は少なく、給付は多く、だれもがこういうことを政治の場では言うわけでありますけれども、日本の国家財政を考えたときに、そのような考え方で最低保障年金を導入するということであってはならないというふうに思います。
 以上です。
○枝野議員 民主党の枝野でございます。
 今、福島先生のお話を伺っていて、あれっと思ったんですが、生活保護のかわりを年金にさせるのではないか、私はそれでいいんではないか。つまり、生活保護という仕組みは、本来は、なければない方が望ましい制度なんだ。まさに自助、共助、公助であって、本来は、各個人が自分の責任と自分の努力で生きていければ一番いいんだけれども、ところが、人間社会というのは必ずしもそうはできない。そうした中でお互いの助け合いという共助の仕組みがある。そして、そういうやり方の中でもどうしても救えないケースが出てくるからこそ、最後のベースとしての生活保護が存在をしているのであって、できるならば自助と共助の世界の中で、生活保護という仕組みを受ける人がいなくなる社会が我々の目指すべき社会なのではないか、私はそういうふうに思っています。
 そうしたことを考えたときに、まさに我々は、新しい制度、将来像、今すぐそうなるわけではありませんけれども、必ずすべての国民が所得に応じて保険料を納めてくださいと。それは前回来、何度もここで伊吹先生からお尋ねがありましたけれども、我々は、所得がゼロならばゼロ円という保険料をちゃんと納めてくださいと。
 少なくとも、自分たちが、この年金というお互いの助け合いの仕組みの中にきちっと当事者として参加をしてきたということを前提として、つまり、どこからともなく、何となく無条件に、何の努力もしなかった人もお金を受け取れるという仕組みではなくて、少なくとも自分の所得が幾らあるのかということをきちっと届け出て、それに応じて保険料を納めるという意思を、40年超にわたって責任を果たしてきた人は、その助け合いの仕組みの中で、ミーンズテストなどの余計なことをしないでも最低限の老後の生活はやっていけるんですよ、こういう仕組みをつくっていくということは望ましいことではないか。
 そして、私はこういう仕組みをつくることによってこそ、例えば自助努力とかということが働くのではないか。つまり、老後の生活が生活保護であった場合には、例えば五十を過ぎ六十近くなり、ちょっとでも自分の努力で資産を蓄えておこうとか、あるいは自助努力による私的な生活維持のための保険に入ろうとかいうことは、そういうものがあれば生活保護は受けられなくなるし、そういうものがあれば生活保護がマイナスになっていくということで、どんどん、まあここまで来たんだからしようがないや、後はどうせ生活保護なんだからちょっとぐらい努力してもしようがないやというインセンティブが残念ながら今の制度では働いてしまいます。
 しかし、ミーンズテストは行わずに、きちっと、例えば一生の間無収入であった人でも権利としてこういう年金が受け取れるんだ、そういう中であれば、ほんのちょっとでも努力をして老後をより安定させるために頑張ろうという自助努力が、まさにミーンズテストなどがないからこそ私は働くのではないか。自助を促すという観点からも、できるだけ生活保護という部分を小さくしていくことの可能な制度を組み立てていく。
 我々は、基本的には高齢者についてのお話だけさせていただいていますが、同じような発想の中で、若年障害者の皆さんについてどうするのかということについても同じような理屈立てで同じような組み立てをしていって、生活保護的な、本当に全部チェックして、貧しいからここまでは最低限上げますよではなくて、自分が加わっている共助、助け合いの仕組みの中で、その参加者として加わっているからこそこれぐらいの給付は受けられるんだという権利性を持ったものとして、一番最低部分のところを確保していくということは望ましいことではないか、こんなふうに思っています。
○山井議員 民主党の山井和則です。
 今の枝野議員の発言の趣旨とも近いわけですけれども、やはり生活保護というのは、ある意味で、できるだけその利用をする人は少なくならねばならないわけです。社会保障の一つの目的というのは、いかに生活保護に頼る人を減らしていくかということであると思います。そういう意味では、今の日本の年金制度あるいは昨年の年金改革というのは、生活保護を逆にふやしていくような流れに私はなっていると思います。
 与党のある幹部の方も、結局国民年金に入らなければその人は老後年金をもらえないんだから、それで仕方がないということを発言されたのを聞きましたが、やはりそれでは、払わなくて高齢になったら最後は生活保護になったらいいということでは、逆にこれはモラルハザードになっていくわけでもありますし、また同時に、国民皆年金という大看板をおろしてはならないわけであります。
 その意味で、生活保護をいかに減らしていくかという年金制度であらねばならないわけで、国民年金の未納、未加入にならない制度をきっちりとつくっていくことが重要であると思います。
 水準に関しては、国民年金だけで最低保障に係る国の義務を果たすわけではないので、生活保護水準よりも高くなければ憲法25条に違反するとまでは言えないわけですけれども、四十年拠出して生活保護以下ということであれば、当然払うインセンティブも働かないわけですから、やはり生活保護以上の水準が望ましいのではないかと思っております。
 高齢者の場合は貯蓄もあるからそれほどの高い水準は必要ないのではないかという議論もあるかもしれませんが、確かに多くの資産を持つ高齢者もいる一方で、世帯所得が100万円以下の高齢者の世帯では貯蓄ゼロの人が約3割もいるわけでありまして、明らかに生活が成り立たない、そういう制度ではセーフティーネットの役を果たさないと思っております。
 まとめになりますが、そういう意味でも、今のままの国民年金というもの、未納、未加入がこれだけ多い制度を放置して、そして、その方々がひいては生活保護にどんどん流れていきかねない、こういう制度を放置していくことは絶対許されないわけでありまして、民主党が主張しているような抜本改革が必要であると思います。
 また、一つつけ加えるならば、今障害者自立支援法も議論されておりますけれども、これも一歩間違えば生活保護をふやしていく、そういうふうな方向になりかねないのではないかというふうに私は危惧をしております。
 以上です。
○柳澤議員 枝野議員の御発言、興味深く伺いました。
 消費税のゼロ税率みたいな話もされたわけですが、手続面のことなんですが、これを申告でやって、それの正当性、妥当性というものを調査するのかしないのか。
 私は、スウェーデンのみなし積立金の制度は、いわばそれを常に知らせることによって申告の実質的レベルを向上させようとしている制度とも見えるわけですけれども、枝野議員の今の、毎年恐らく申告させるんだろうと思うんですけれども、あるいは毎年ではなくて毎月でしょうか、いずれにしても、手続面のことを考えますと、これは膨大な行政コストがかかってくるのではないかとも思えるわけです。
 これは、今のこちら側の悩みでもあるんですけれども、自営業者とかあるいはフリーターというような人たちの所得課税の問題でもあるんですね。しかし、それは、所得税の税制の中ではある意味で割り切って、行政コストとの関係、徴税コストとの関係からいって、そこまでは到底やり切れないといういわば割り切りのもとであきらめているというか、そういう面があるんですけれども、枝野議員はそのあたりのことについてはどのようにお考えか、お話しいただければ大変幸いだと思います。
○枝野議員 御指摘のとおり、コストの問題というのはきちっと考えなければいけないと思います。
 私は理念的に、収入がゼロならゼロと申し上げましたが、それは例えば、一定の枠をはめて、何十万円なり何百万円以下ならばゼロとみなして、保険料ゼロ円ということは理屈の上であると思うんですね。所得控除を所得税についてしているように、そこの部分は、そういうことをやることによって実際の徴収コストを下げるという部分はあり得ると思います。
 それから、その上で我々が一つ目玉なのは、納める側からすれば、税も保険料もお上にお金を預けるという意味では一緒なのに、今、ばらばらに納める、ばらばらに手続をする。すべてベースになる収入というのは、所得比例年金であれ所得税であれ、こういう所得がありました、それに対して、税の方はこういう仕組みでこういう納め方をします、保険料の方はこういう仕組みでこういう納め方をしますということをやるわけですから、数字をほうり込めば後は機械的に出てくるという世界のところで、一緒に届け出をして一緒に集めるという仕組みをとれば、さらに言えば、健康保険などについても、これは将来的な課題ですけれども、本来ならば一緒に効率的にやれた方がいいだろうと思うんです。その部分のところで、徴収コストについて一方で下げる努力をするということを組み合わせれば、私はそれほど大きな徴収コストの問題にはならないのではないだろうか。
 しかも、年金については、既に基礎年金の番号もついていますので、そうしたことでの一元管理ということは、技術的、コンピューター処理的にはそんなに難しくないというふうに思います。
 多くの場合は、ゼロなのか、それともかなり低い額なのかという人が一定層出てくるんだろうと思います。だけれども、それは、前回以来、伊吹先生から御指摘を受けているとおり、少しでも収入があれば保険料を納める、納めたことの対価なんだということを維持するためのコストとして理解できる線で、何とか僕はできるのではないか。
 もちろん、そういった技術的なことは、もしこういう仕組みで一緒にやりましょうと言っていただけるんだったらば、御相談をすべきことだとは思っております。
○伊吹議員 枝野先生のお話を伺っていて、最低保障年金が権利としてという表現がありまして、民主党、リベラル政党という表現がいいかどうかはあれなんだけれども、やはり我々と、その権利としてというところが若干違うんじゃないかという気がしますね。どちらかというと、先ほど坂口先生がおっしゃった意見に私はむしろ共鳴を受けます。
 制度として年金制度が信頼を受けるのは、財政基盤がしっかりしていることと、もう一つは、やはり公正というかフェアネスということだと思います。だから、何度もここで議論があるように、二階建ての部分を払わなければ一階建ての部分はもらえない、これは私の感覚に非常に近いです。
 ところが、先ほど古川先生がおっしゃったように、2階建ての部分の所得の把握ができるかできないかというのは、一度ここは抜本的に専門家を呼んでただしてみる必要があると思います。今まで、それができないから定額という形で国民年金の保険料を処理してきたんだと思うんです。
 ですから、こういう方法で、同じようにやれるのならということは今枝野先生からあったんですが、私は、再三ここで申し上げているように、皆さんの最低保障年金というのは、国庫負担率100%だと考えればいいと思うんですよ。
 我々は、保険制度を分立させたままで、被用者がいる保険とそうじゃない保険と二種類を一緒にするのはやはりなかなか難しいだろう。しかし、基礎年金という部分では一元化をされているんだから、例えば3分の1から2分の1、皆さんは100分の100ですね、最低保障年金、だから、この我々の2分の1というのを4分の3なら4分の3に近づけていけば、その差はほとんど縮まってくるんじゃないのかなという気が私はして、再三御提案をしているわけです。
 そこで、本来、生活保護費とこの最低保障年金あるいは基礎年金を対比するべきは、私はやはりそこに入っている国庫負担だと思いますね。
 先ほど、森先生の御意見では、基礎年金の総額と生活保護費の間にはほとんど差異はないというお話があったけれども、国庫負担部分というのは、本来、自助努力ではなくて、だれかの税金をもらっている部分ですから、やはり自分が積み立てた部分は別なのであって、そうすると、現行の生活保護費と基礎年金の国庫負担分を一緒にしようとすると、仮に2分の1とすれば、基礎年金部分が物すごく大きく膨らんできます。そうすると、残りの2分の1の保険料で賄う部分が、特に自営業者の場合はとても耐えられないんじゃないか。だから、2分の1を将来4分の3にしたらどうなんだという提言をしているわけで、お互いの差を随分詰めようと思って私は提言をしているつもりなので、お互いに柔軟にその辺の詰めをしていっていただいたらいいんじゃないかと思います。
 以上です。
○阿部(知)議員 本日のテーマが、基礎的暮らし保障年金、最低保障年金と生活保護であるという文脈にのっとって、もう一つ、実は、我が国の生活保護制度においては、生活保護費以下の低所得でお暮らしの方が多い現状ということも皆さんで認識を共有してほしいと思います。
 生活保護に至るのが非常に甘えてだらしなくて、それを悪用しているというような形でなくて、今はこの所得以下の低所得でお暮らしになる方があらゆる年齢でふえていて、森永卓郎さんが年収300万円以下とお書きになって、次にまた200万円、160万円と、もう100万円ちょっとで暮らす若者もふえています。
 こうした低所得の実態は、将来どんな制度設計をするにも、現状をきっちり見詰めた上で設計をしていかなければならないし、その意味で、繰り返し申しますが、年金制度における、多くの若者がパートや非正規となった現状での企業が負担すべき負担のあり方をちゃんと論じてほしいです。今、パートやアルバイトの方は、人件費として計上されないで、まかり間違うと物品費の方に計上されたりしております。社会保障を全然つけられないで働く若者が将来膨大に出てくるということは、やはりこの場の論議が現状と乖離してしまう危機を私は非常に感じます。
 では、社会保障制度の中で、いわゆる生活保護と年金との違いは何か。
 私は、やはり基礎的暮らし保障年金の部分に企業の社会的責任を組み込む、共助の仕組みを組み込む。伊吹先生は、公助を4分の3、税を4分の3で、それも一つの考え方で、もっと公助、共助は強められるべきと思います。でも、憲法27条、労働は権利であり義務であるということにのっとって、今、若い人たちがこの当たり前の権利と義務を実際に自分で担えない状態になっていて、それは、我が国が1990年代後半から多くの非正規雇用という問題に直面し、そのことを社会保障制度と合体させていないところの問題と思います。
 フィンランドなどでも活用されている社会保障税という企業が担うあり方、これもぜひ折があれば皆さんに御論議いただいて、私は、切り詰めれば、それが財源的には生活保護部分との違いというふうに考えております。
 以上です。
○峰崎議員 峰崎でございます。
 伊吹先生のお話を聞いていて、前にもちょっとお話をしたことがあるんですが、今、基礎年金、国民年金、4分の3という提案があったんですけれども、私、個人的に言うと、3分の1から2分の1に上げることについても実は非常に懐疑といいますか、余りこれはよくないのではないかというふうに思っているんです。
 それはなぜかというと、高額の年金をいただく方も、実は3分の1から2分の1の補助というふうに切り上がっていくんです。そうすると、4分の3ということになると、高額所得者になるとさらにそれが、もし疑問があれば後でまたいただきたいんですが、そういう意味で、私たちが最低保障年金というふうに言っているのは、非常に所得の低い人だけにこれを支給していこう、これは一律に、100%税額をべたでいくのではないよ、こういう意味で実は述べているわけです。
 そこで、私は前に、今の保険料というのは、定額制の場合はこれはまさに人頭税ではないかというふうに言っておりますから、これに比べれば消費税の方が、消費に比例するという点ではまだいいと思っているわけですが、所得に対して、これは年金目的の所得税じゃないかと。
 これを年金目的の消費税に切りかえれば、いいか悪いかというよりも、消費税というのは多段階にわたってすべての人から、最終的に消費者が負担をする。そういう意味では、本来ならば所得税の世界では払っていない世帯も、実は消費をすることによって税を払っていくわけです。これに目的税という区分経理ももちろん入ってまいりますから、当然、そういう目的、性格を持たせた消費税というものを導入することによって、実はこれはみずから納めているという権利性を発揮することが、私は、それは十分可能なのではないか。
 そういう意味で、民主党の主張している最低保障年金という、そこのところの、いわゆる所得捕捉をどう正確にするかという問題はまた別の問題として、そこで支給されている財源の問題について言えば、私は、消費税というものが目的税化すれば、これは国民皆年金というところにも一歩近づいていく非常に大きな要素を持っているのではないかなというふうに思っております。
○伊吹議員 峰崎先生の御指摘に簡単にお答えしたいと思います。
 私が提案しているのは我が党の共通の意見ではありません。例えば、現行3分の1をいずれ2分の1にするということは党が決めております。それを私はいずれ4分の3ぐらいに、本当は2分の1でとめるべきだと私自身は思っているんですよ、しかし、現実を考えると4分の3まで持っていった方がいいんじゃないかと言っているのは、これは現在でいえば国民年金に当たる、2階建て部分の厚生年金の基礎年金部分なんですよ。そして、再三ここで言っているように、御党の提案と同じように、この国庫負担、税の部分については、所得制限をかけるべきだと言っておるんですよ、私の提案は。
 ですから、今峰崎先生がおっしゃったようなことが起こるのは、昭和61年の年金改革までは、厚生年金の二階建ての部分についてまで給付の4分の1について税を入れておったわけです。ですから、例えば、ほとんど税を払うほどの所得のない、町の零細な商店の方が汗水垂らして納めた所得税が、大企業の重役や部長で定年退職された方の厚生年金の給付額の4分の1の補助に回っておったわけです。
 その制度はまずいということで、61年に基礎年金だけに国庫負担を入れることになったわけです。基礎年金だけに国庫負担を入れるのは、全国民共通ですから、国民年金も厚生年金も。そして、その国庫負担について、私は、所得制限をかけて、所得の高い人はそれを遠慮してもらおうという提言をしているわけで、これは民主党の御提言と極めて近い提言だと私は思いますよ。
○小宮山議員 私たち民主党が税調で考えている考え方は、納税をする人たちはすべての人が申告をする、それに対するインセンティブも働かせられるように控除の仕組みも考えていくということを考えております。
 だから、そういう意味からいたしますと、前回も御説明したように、所得がなければゼロ円の保険料を納付する。先ほど枝野議員が言われたことと同じことですが、そのことによって支え合いの年金の制度の一部を担って責任を全うする。その責任を全うしたことによって権利が生じるので高齢期に年金を受け取れる、そういう組み立てで考えております。
 そのときに、先ほどからあるように、ゼロ円とするのか低額にするのかという考え方が一つあるとは思いますけれども、例えば、今自営業者の皆さんも、国民年金の第一号被保険者は511万人に対して、農業者も含む自営業者の納税者は200万人というように、自営業者の多くは納税をしていない。ということは、所得がないとみなされているというようなこともございますので、それを年金の場合にゼロ円とするのか低額にするのかということは考え方がまたあるかとは思いますけれども、私たちはそういうことで権利を持って受け取るという言い方をしているわけです。
 きょうのテーマでいいますと、高齢期にはまず年金を受け取って、それだけではどうしても最低限の生活ができない場合には生活保護ということで、少しでも生活保護を小さくしていく、そういうことが必要なのだと思いますので、前回も申し上げましたけれども、ちょっと整理としてそういう考え方を述べさせていただきました。
○古川議員 民主党の古川です。
 先ほどの柳澤議員の所得把握のお話で一言申し上げたいと思います。
 私たち、年金の抜本改革をするに当たっては、その制度設計の中で、税制の抜本改革も同時に行われなければだめだというふうに考えています。
 そういう中では、当然時代に合った税制のあり方、ですから、今までのように、多くの人がサラリーマン、しかも一つの会社から給料をもらっている、そういうときには、会社の中で源泉徴収して、年末調整までしてしまって、ほとんどの勤労者は申告しなくてもいいという制度がよかったのかもしれません。しかし、これだけ職につく人が多様化して、収入の得方も、稼得の方法もかなり多様化している。人によっては2カ所、3カ所から、ダブルインカムやトリプルインカムの人もいるわけです。そういう中で、今のような形で全部、ある会社の中で、メーンに働いているところの中で年末調整までやってしまって納めるのがいいのかどうか、そこは根本的にちょっと考え直すときに来ているんじゃないかと思うんですね。
 フリーターの人たちの収入をどうやって把握するのか。やはり、それには基本的には申告納税で、自分たちでちゃんと申告をしてもらう。もちろん、それは一切の源泉徴収を否定するわけでなくて、アメリカなどでもほとんどの申告というのは還付してもらうために申告するようなものですから、そういう意味でも、基本的に納税者の皆さんに申告するチャンスを与えて、その中で税に対する意識を持ってもらうことがまず一つ大事なことだと思っています。そういうことまで含めて年金の抜本改革をやらなきゃいけないだろうと思っています。
 そしてまた、消費税も、実は今免税点が1000万になりました。これは柳澤議員とかそちらに座っている方々には釈迦に説法になるかと思いますが、売り上げが1000万ということは、普通の小さなところでいうと、仕入れとかを抜くと、収入でいうと大体200万ぐらいじゃないかと思うんですね。そういうところは、今までだと所得税は課税最低限以下とかでかかっていないような人たち、そういうようなところまで今や実は消費税の課税対象になってきている。ですから、そうなりますと、そういう人たちも当然税務署なんかも所得を把握しなきゃいけないわけですね。
 今後、この消費税、我々も年金目的消費税で3%というものを提案しておりますけれども、当然私どもは、消費税の引き上げをするというときには、免税点が高ければ高いだけ益税の問題がありますから、やはりこれを下げていかなきゃいけないだろうと思っています。
 ですから、これがどんどん下がっていけば、例えば500万の売り上げということになれば、割合からいったら、それこそ収入でいうと100万というような人まで収入が把握されるということになるわけですから、そういう意味でいきますと、所得が把握できていない、把握しなくてもやむを得ないというふうに取り扱われる層が、抜本的な税制改革をやっていく中では極めて小さくなってくるんじゃないか、あるいはならざるを得ないんじゃないか。
 そういう中で、じゃ、フィージブルな年金制度というのはどうかと考えれば、所得に比例してというので、そこまで把握したところで所得に比例した保険料を納めてもらうということであれば、国民もそれは不公平というふうには感じないんじゃないか、そういうふうに私どもは考えております。
○坂口議員 先ほど阿部先生からございましたパートのお話ですが、これは前回の年金改革でも先送りになってしまった問題で、私も大変残念だと思っているんですが、そのときに、スーパーなどの経営者の皆さん方が大変だからといって反対されるのはわかるわけですが、それだけではなくて、パートで働いておみえになる皆さん方の多くの方から反対陳情が実はあったわけでありまして、これは私は予測しないことでございました。
 それで、パートで働いておみえになる皆さん方は御希望になっているんだというふうに思っておりましたけれども、これは三号被保険者の皆さんとの関係もあるのかなと。御主人がお勤めになっていて、100万か130万か、その辺のところ以内で働いておみえになるという方がおって、そういう皆さん方からすれば、それはそういう選択なのかなというふうに思ったわけであります。これは、先ほど古川先生がおっしゃったように、税制との絡みもあって、ここはよく整理をしていかないといけない話ではないかというふうに思っております。それが一つ。
 それから、低所得者にだけゼロ円にするということになりましたときに、共済年金なり厚生年金を個人単位にするかどうかですね。国民年金は個人単位になっています。だから、ここはいい。厚生年金、共済年金のところは世帯単位になっていますから、例えば三号被保険者の皆さん方を所得なしと見るのか、それともそうは見ないのかというようなことは、これはなかなか重要な問題になってくるものですから、進めていきますときに、その辺の整理をしないと話は前に進みにくいなというふうに思っております。
 以上です。
○佐々木議員 高齢者の最低生活をどう保障するかという保障の仕方でありますが、私、先ほど、政令指定都市市長会の提案を御紹介しましたが、これを少し具体的に見ますと、こういうふうに言っているわけです。
 生活保護制度の対象を、高齢者の部分についてはそれを外す。そして、その高齢者の部分に生活保護制度とは別建てで、新たに低所得高齢者の生活保障制度を創設する。その生活保障制度の内容として、最低限の所得保障を行うために、最低年金制度を創設する。その内容は、無拠出で、一定の年齢の到達を受給条件とする、つまり、一定の年齢に到達した場合には最低年金を保障する。こういう提案なんですね。
 これは政令指定都市の市長会の提案でありまして、一定の合理性があるというふうに思っております。これは大いに検討する必要があるのではないか。
 そこで、我々が提案している最低保障年金制度でありますが、この市長会の提案と共通するんですけれども、いずれにしても、厚生年金、共済年金、国民年金の共通の土台として、全額国庫負担による一定額の最低保障額を設定する、その上に、それぞれの掛金に応じて給付を上乗せするという制度であります。
 これを最低保障額月額5万円からスタートさせようというのが私どもの考えでありまして、こういう制度が実現しますと、現在の無年金者には、月額5万円の最低保障年金が支給される。現在、2万から4万ぐらいの国民年金の受給者にとっては、この5万円に加えて、支払った保険料に相当する1万から2万を上乗せしますので、月額6万から7万が受け取れる。現在、国民年金の満額6万6000円を受け取っている人は、同様に5万円に3万3000円上乗せしますから、8万3000円が受け取れる。こういうような考え方で、厚生年金についても一定額までは同様の底上げを行う。
 この財源ですけれども、5万円の最低保障を実現するために必要な財源として、国庫負担を2分の1にするための2.7兆円のほかに、新たに約5兆円が必要であります。この財源として、道路特定財源の一般財源化を初めとする公共事業費、歳出の見直しを行うということ。それから同時に、歳入の面で、法人税率がこの間ずっと引き下げられてきました、あるいは所得税の最高税率の引き下げというのがありまして、これは見直されておりませんので、この点を見直していくということ。したがって、こういう形で財源を確保する。
 消費税に頼るというのがどうも何回も出てくるわけですが、我々はそれは反対であります。なぜかというと、消費税というのはもともと逆進性を持っていて、これは先ほど坂口先生もお認めになったように、低所得者ほど負担率が高くなるというものでありますので、福祉の考えからいうと逆行するということです。
 そういう意味で、福祉の財源として、高齢者の生活を圧迫するという税制については我々は反対でありますし、目的税化しますと、その金額を上げようとすると税金が重くなる、税金を軽くしようとするとサービスが低下する、こういう悪循環になりますので、これも我々は賛成できない。何度も繰り返し言っておりますが、これは改めて言っておきたいと思います。
○山本議員 民主党・新緑風会、山本孝史でございます。
 この場における議論でいつも若干の混乱を生じているのは、現行制度を前提に話されている方と、新しい制度をイメージして話している方と、その場がそれぞれに絡み合うものですから、うまく議論が重なってこないのかなというふうに思います。
 現行制度を前提にきょうの議題で申し上げれば、今回の改正で、私、何回も申し上げておりますように、基礎年金の性格が、マクロ経済スライドがかかることによって変わりました。マクロ経済スライドを2階にかけることについては私は一定の評価をしますが、1階部分までかかってしまったがために、基礎年金とは何かという考え方が変わった。予算委員会での御答弁で、年金局長は、従来の積み上げ方式ではもうないのです、これは一定額を支給するものになったんです、こういう御説明をされました。基礎というのじゃなくて、ある普遍的な年金ということに、ここは性格が全く変わってしまったのだと思います。
 そうしますと、次に出てくる問題は、補足性の原理が生活保護にあるということですね。どうしても25年以上払わないともらえない、40年でようやく満額になる。そしてまた、それでも水準が生活保護よりも低いということになると、現行制度ではなかなか保険料を払うインセンティブが働かなくなってくるのではないか。そうしますと、基礎年金もマクロ経済で下がる、生活保護水準が高いからというので、多分、財政上悪いから生活保護も下げるということになってきて、両方がともに下がっていくという形に今の与党の考え方ではなるのではないかと思います。
 そういう意味で、一体低所得者というのがどこにどういうふうに生まれてくるのかということについてのもう少しきっちりとした議論が要るのではないかと思います。
 それともう一つの問題は、阿部先生と意見が一致しますが、基礎年金はバーチャルな制度なんですね。これは単なる財政調整をしているだけなんです。給付は払った月数で一元化されていますが、納付の仕組みは一号、二号、三号でそれぞれに違う。ここに世代内において大変に不公平が残っている。これをどう解消するかというときに、やはり一元的な負担の仕組みを考えるべきではないか、こう申し上げている。
 ところが、サラリーマンと自営業者の間での所得の捕捉は、どこまでいっても両者で理解が一致しないのではないかと思います。なぜならそれは、経費をどう外すか、給与控除をどう見るか、事業の控除をどう見るかによって、所得というものは一致しているかもしれないが、もともとのものは違うのかもしれない。この差をどこまで埋め切れるのか、どこまでいったら両者が合意できるかという努力をしてみようというのが古川さんの御提案だと私は思っています。
 その意味では、いろいろな税制の改正はしなければいけない。納税者番号にしても、あるいは全員が申告納税をするという仕組みもやはり考えなければいけないのではないかと思います。
 歳入庁構想を申し上げているのも、なぜ国税庁が社会保険庁と一緒になるのが嫌なのかなというふうに思いますが、しかし、そこはそういう歳入庁構想を考えてみるべきで、伊吹先生、なぜできないとおっしゃったのか、ぜひお答えもいただきたいと思います。
 そういうことで申し上げているのは、1階と2階の保険料を分けるというのは一つの考え方なのではないか、現行制度を前提にして考えるならば。そうすれば、阿部さんがおっしゃったようなパートタイマーに対する適用の問題も、保険料率が下がるという意味において、事業主も、あるいは御本人もパートでも払うという意識が出てくるのかなというふうに思うので、そこは現行制度を前提にすればそういう考え方ができるかもしれない、こう申し上げている。
 スウェーデン方式はスウェーデン方式でいろいろな議論がありますけれども、日本型のスウェーデン方式を考えなければいけないと思うので、必ずしも今のスウェーデン方式がすぐ日本でできるとも思わない。
 申し上げているように、できるだけ、税制であれ何であれ、合意できる部分の整理というものもこの議論の到達点として少しなさるのが次に対する議論の進め方としてはいいのではないかと思っております。
 以上です。
○冬柴議員 公明党の冬柴鐵三でございます。
 きょうは国民年金と生活保護の関係が議題だと理解しておりますが、憲法25条、言うまでもなく、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」それを保障するのが生活保護であると思います。
 生活保護の場合には、その個人によって、給付の額、決められる額が非常に大きく変わります。例えば住んでいる地域ということで、現行法では六つの地域に分けまして、その必要な住居費用というものが計算されて、金額が違います。東京で住んでいる場合と富山で住んでいる場合では大きく違います。そしてまた、その個人によって、義務教育を受ける子供たちを扶養している人たちには教育扶助もしなければなりませんし、もし病身であれば医療扶助も受けなければならないし介助扶助も、また出産の扶助も受けなければならないということは、非常にその人によって受給する金額というものは個性的であります。
 そしてまた、その人が資産を持っているかどうか、資産ということは固定資産でございますが、また貯蓄があるかどうか、あるいは民法上の扶助義務を持つ親族があるかどうか、その人の所得はどうかということによっても金額が左右されるわけであります。
 したがいまして、これは25条がある以上、この制度はどこまでも維持されなければならないわけでありまして、その拠出するもとは、国が責任を持っている以上、税で賄われるということになります。
 現在の生活扶助、平成15年の実績で見ますと、生活扶助本体の部分は8182億円のようでございます。ところが、医療扶助は1兆2,361億円、そして、先ほど言いましたような個性的な部分で、住居とか住んでいる場所が違うとかいうようなことで払われる金額がそれ以外に3,338億円。そういう構成になっているものを、国民年金、そのうち基礎年金あるいは最低保障年金というもので画一的に保障できるはずがないわけでございます。
 したがいまして、これは、民主党さん案におきましても、月額7万円という一つの基準が法案の中に書かれておりますが、人によってこの7万円ではとても生活ができない部分が生じてくるわけでございます。
 したがいまして、我々は、この年金、これを社会保険制度でやる以上は、拠出と給付というものを画一的に、その掛けた年度とかそういう計数はありますけれども、定めざるを得ないわけでございます。保険である以上は、保険危険とその生ずる確率に基づいて保険料が計算されるからでございます。
 これは、坂口さんもおっしゃって、また与党の先生方がおっしゃるように、自助というものを、健康なときに老後に備えようという精神のもとに払える金額を払っていこうという精神で立案されているわけでございまして、生活保護を受ける人のものをそれで代替しようとか、そういう精神であってはならないのではないか。あくまで自分が老後に備えて一生懸命やる、そして受ける金額が生活をするに足らない場合にはその差額分は生活保護で受けるということはいいとしましても、あらかじめ画一的に保険の制度で生活保護を受ける人の部分まで置きかえるということは妥当ではない、私はそのように思うわけでございます。
 以上でございます。
○伊吹議員 山本先生からお尋ねがあったのでちょっとお答えしておきますが、歳入庁がなぜだめなのかということを私は言っているわけじゃないんです。歳入庁というものをつくればすべてが解決するという御理解は無理ですよということを申し上げております。
 つまり、問題は二つあると思うんです。
 仮に、納税者番号でも社会保障番号でもいいですが、これを付して把握しようとすれば、資産は把握できるんですよ。それから、サラリーマンの場合は、働き方が徐々に変わってくるというお話がありましたが、源泉徴収される所得税は把握できるんです。しかし、歳入庁がある国であっても、やはり事業所得というものはすべて申告制なんですよ。収入と経費をおのおの申告してやるわけですね。
 これを完全に公平という形で担保するということは不可能だと思いますが、やろうと思えば、かなり完全なところまで近づけます。しかし、そのためには、税務職員をどれぐらい増員しなければならないか、そして、毎日毎日事業所にどれだけの税務職員が入ってきて日常の業務が混乱してくるかということを考えると、つまり、病理学としては正しいけれども臨床としてはなかなかやれないなということがかなりありますよ。そういう前提のもとで、歳入庁という言葉だけを出せばすべてが解決するというわけじゃありませんねということを申し上げておるわけです。
 それから、せっかくの機会ですから、先ほど古川先生がおっしゃったのがやはり私は一般の国民の感覚に近いんじゃないかという気がするのは、本件とは直接関係がありませんが、生活保護費の認定率、これはもちろん失業だとか年齢構成によって違いますが、府県単位で見ると20倍以上の差がありますね、同じ日本国で。そして、町村は府県が認定をしますが、市以上は市が認定しますから、市で見ると150倍の違いがありますね。
 これは、私は、三位一体のこととも絡んで、国税を預かっている、我々国会議員は全員そうですから、そういう立場から見ると、地方にやはりある程度のことはお願いをしないと、なかなか納得が得られない分野じゃないかなという気がしております。
○枝野議員 先ほど来、所得の捕捉についての議論が出ておりますので、これはこれで一つのテーマとして取り上げてやらなきゃいけないと思うんですが、せっかく出てきておりますので。
 私は、昨年の法案の審議のときにも何度も申し上げたんですが、確かに、所得の捕捉というものを100%完全にやるということは、人間の営みですから、あり得ないということはよくわかっています。ただ、少なくとも、特に政府・与党の皆さんが、現状は所得の捕捉ができていないんですということを堂々とおっしゃる、これは、野党の側から言うのだったらわかるんですが、私は大変不思議なんですね。
 つまり、現状でも所得税というのは、現状の所得の捕捉状況を前提としてかけているわけですよ。所得の捕捉が不十分である、サラリーマンと自営業者では捕捉が全然違うんだということをみずからお認めになりながら、所得税をおかけになっているということになるわけですね。
 まだ年金は、例えば我々の提案では、納めた額によって将来受け取る額が変わってくる。ごまかして少ししか納めていなければ、将来受け取るのも少ないんだ、最低保障の部分で補われる分は別としても、所得比例の部分はそうなっているわけですから、捕捉率に若干の違いがあった、ごまかしがあったとしても、まだ本人からすれば納得ができるというか、そういう部分があるわけですが、税については、たくさん納めたから見返りが大きいという制度じゃないわけですから、まさに所得の捕捉が全然違っていて、それが容認できないほどの不公平であるならば、所得税という制度自体が成り立たないということになるわけですね。
 さらに言えば、先ほど古川さん、冒頭のところでおっしゃっていましたけれども、今もその不十分な、不公平な所得の捕捉に基づいてさまざまな給付を行っているわけですよ。何とか手当、そういったものを出すかどうかとか、あるいは、細かいところまで私も把握していませんが、保育所に入れるとか入れないとか、そのときに幾ら授業料を取られるのか。全部現状のサラリーマンとそれ以外では不公平であるということを前提にした所得捕捉でやっているということを、与党の皆さんがお認めになっているということになるわけですね。
 もちろん、不公平がないと言うつもりはありません。我々もそこのところは直していかなきゃならないわけですが、でも人間の営みだから、そうはいってもある程度割り切らないとできないことはある。では、そのときに、所得税であるとか、あるいは何とか手当とか何とか給付とか、そういうことについてアンバランスな中で行われているということと、所得比例年金で、納めた額に応じて将来受け取るという相関関係がある中で捕捉にある程度の事実上の違いがあるということと、どちらがより容認可能な範囲なのかといえば、私は年金の方がずっと容認可能ではないかというふうに思っております。
 もしこれが年金すら所得の捕捉が違うからだめだということだとすれば、所得税という制度自体をやめないといけないんじゃないのかな、あるいは自営業者は定額の所得税を納めていただくという発想になられるのかな、でないと私は論理的一貫性がつかないと思うんです。
 以上です。
○津島議員 きょうは、お互いの意見がとてもよくわかる、いい会合でございました。
 それで、幾つかつけ加えて申し上げたいんですが、枝野先生などから所得の把握の問題で非常に率直な御指摘がありまして、相当部分、私は共感するものであります。
 ただ、一つ考えていただきたい。申告でさせればいいだろうと言っていますが、今、自分で頭で考えて、所得控除、経費控除をいろいろやって、所得が最低限以下だなと思う人は、そもそも申告もしていない。膨大な人口になっております。年金にかかわるところは、ここが大事なんです。ですから、今の申告している人の間の公平がどうかという議論は、これは先生の言うところのあれですけれども、もう少し下のところ、年金に係る部分、ここでは控除のあり方、給与所得控除というものが一体どうなのか。実額控除と、つまり事業所得者は実額控除でいきますから、このアンバランス、この制度問題にまで実は入り込んで議論しなきゃいけないだろう、これが一点。
 それから二番目に、きょうの議論で、生活保護と最低保障年金の議論をしていったら、限りなく、公助の世界がいいじゃないか、こうなってきた。阿部さんだけはちょっと、企業税、ノルウェーの企業税、これはアメリカの社会保障税だってそうですよ、同じで、これは共助の世界ですよとおっしゃった。つまり、スウェーデンの制度は、基本的には共助の世界ですよ。公助の世界ではありません。下にずっとくっつけた部分、最低所得保障の部分だけ公助の世界だ。
 ですから、公助でいくか、共助でいくかということは、もうちょっと議論しなきゃいけない。それは、僕は、坂口先生が提案されたように、スウェーデンの制度を一つの参考にして、徹底的に議論をしてみる必要があると思っております。
 三つ目に指摘したいのは、なぜそういうことを言うかと申しますと、年金で一番大事なのは、世代間、グループ間の公平感です。新しい制度を入れようというときに、当然この問題が非常に厳しくなってきます。これまで掛けていた人、掛けていないけれどもかなり従来よりもいい年金をいただける人、その財源は何なのか。これも答えを出さないと、ここの議論だけでは国民は納得してくれないだろう。
 以上、三つだけ御指摘申し上げておきます。
○与謝野会長 それでは、時間も参りましたので、本日の自由討議は終了することにいたします。

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