2005年07月29日 第162回 通常国会 年金・社会保障両院合同会議 【321】 - 発言
「貧しい年金制度が、多くの高齢者を生活保護が必要な状況に追い込んでいる」 佐々木議員が指摘
2005年7月29日、年金・社会保障両院合同会議が開かれ、国民年金と生活保護の関係についてテーマに各党一巡の冒頭発言があり、自由討論が行われました。佐々木憲昭議員は、冒頭発言を行いました。
佐々木議員は、冒頭発言で、日本の生活保護受給者のうち高齢者世帯が47%にのぼる実態をあげ、「日本の貧しい年金制度が、多くの高齢者を生活保護が必要な状況に追い込んでいる」と批判しました。
また、高い保険料や長い納付期間などが大量の無年金者、低額年金者を生み、生活保護に頼らざるをえなくなっている状況を指摘。「先進国のなかでも異常な事態だ。他の先進国には全額国庫負担の最低保障年金制度などがあり、高齢者の生存権を保障している」とのべました。
その上で、日本でも高齢者の年金水準を底上げする最低保障年金制度を創設する必要性を強調。27日には全国14の政令市で構成する指定都市市長会が、保険料の支払いを要せず、一定年齢に達すると支給される「最低年金制度」の創設を求める提案を採択したことをあげ、「この声にこそこたえるべきだ」とのべました。
議事録
○佐々木議員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。
この合同会議の席上で、たびたび、最低保障年金と生活保護がどう違うのかという発言が与党の議員から出されております。言うまでもなく、この二つの制度は根本的に違うわけであります。
生活保護は、生活保護法第一条にも明記されておりますように、みずからの資産や能力その他あらゆるものを活用してもなお健康で文化的な最低限度の生活水準に至らないときに、その不足分に限って、税を財源として生活を助けるというものであります。
その際、貯蓄など本人の資産、他の公的制度の活用、子供など扶養義務のある者の扶養などが厳格に調査されるわけです。この資力調査によって資力があると判断された場合には、まずその活用が優先され、それでも最低限度の生活に至らないときに初めて、その不足分に限って支給をされるというものであります。
これに対して、公的年金、国民皆年金制度というのは、現役世代において働いて収入を得ていた者が高齢により収入を失うということを補てんする性格を持っており、受給時の個々の生活状況にかかわりなくすべての国民に支給される、権利性の強い仕組みであります。
制度の趣旨も運用も違うこの二つの制度が、我が国では深い関係を持たざるを得なくなっております。つまり、前回も指摘しましたように、大量の無年金者、低い額の年金者を生み出す貧弱な国民年金制度によって、余りに多くの高齢者が、資産、能力その他を活用してもなお生活が維持できない事態に陥っているからであります。
それは、高額過ぎる保険料、25年という長過ぎる納付期間によって、低所得者を制度から排除する事態をつくっているからであります。これは国民年金が発足時から持っていた欠陥でありまして、そのために、今、数十万人の無年金者が生まれ、月額3万円、2万円など低い年金しか受給できない人が数百万人に上っているわけであります。貧しい年金が、多くの高齢者を生活保護が必要な事態に追い込んでいると言わざるを得ません。これは、先進国の中でも異常な事態であります。
日本では、生活保護受給者の47%が高齢者世帯であります。ドイツではこの割合が5%程度であります。他のサミット諸国でも、公的扶助の受給者の中で高齢者はごく少数であります。
なぜでありましょうか。他の先進国には年金の最低額を保障する制度や全額国庫負担の最低保障年金制度があって、高齢者が資力調査つきの公的扶助に頼らないで生きていけるからであります。年をとれば、働く能力が低下し、収入を得にくくなるというのは当然であります。そうなっても、公的扶助に頼らず暮らしていくために公的年金があるわけです。
だから、かつて社会保障制度審議会は、たびたび、現役世代に資産を蓄えられない低所得者のためにこそ国民皆年金が必要だと勧告したわけです。ところが、実際には、低所得者が制度から排除されて無年金者になり、あるいはわずかな年金しか受け取れず、生活保護に頼らざるを得ない。これでは、公的年金、国民皆年金の存在意義そのものが問われていると言わざるを得ません。今の状況を放置すれば、将来大変なことになりかねないわけであります。
6月30日のこの合同会議で指摘しましたように、パート、アルバイト、派遣などの不安定雇用、失業中の若年フリーターは417万人であります。現行の年金制度では、これらの若者の多くは、基礎年金の満額6万6,000円すら受け取る見通しが立たないわけであります。こうして生み出された大量の無年金、低額年金者すべてに生活保護を支給するとなったら、それこそ巨額の財源が必要となるわけです。しかも、これらの無年金、低額年金者が生活保護を受け取れるのは、さきに述べたように、本人の預貯金、他の公的制度の活用、扶養義務のある家族の有無などを厳しく調べた後というのが今の生活保護行政であります。
我が党が提案する最低保障年金というのは、一定の年齢に達した高齢者であればすべて加入したものとされ、年金水準を底上げする財源が確保されれば、あとは本人が払った掛金に応じて額が上乗せされるというものであります。こうしてこそ、高齢者は、貯金を使い切る必要も家財を売る必要もなく、それを有効に活用しながら生活を営めることになります。他の先進国では、こういうやり方で高齢者の生存権そのものを保障しているわけであります。
2001年8月、国連の社会権規約委員会は、日本政府に対し、公的年金制度に最低保障を導入することを求める勧告を出しました。過酷な保険料徴収で低所得者を排除し、無年金、低額年金者を生み出すことを、国際社会も日本の年金制度の重大な欠陥と見ておるわけであります。
なお、今の日本では、膨大な無年金、低額年金者が生活保護によっても救われていないという現実についても指摘をしておかなければなりません。
この半世紀、政府はたびたび、適正化政策の名で、保護費節減に向けた支給抑制を生活保護の現場に押しつけてまいりました。特に1980年代以降、政府の強力な指導のもと、面接時点で申請をはねのける水際作戦、要保護者のプライバシーを侵害するような資力調査、わずかな貯金や家財を理由にした申請の却下、さらに保護打ち切りといった事態が全国で横行しているわけであります。
1987年には、東京荒川区で、生活保護を打ち切られた78歳の女性が福祉事務所あての抗議の遺書を残して自殺する事件が起こりました。1991年、横浜市では、老いた兄弟が生活保護を受けられないまま餓死しているのが発見されました。この7年間、高齢者の自殺は毎年一万人を超え、医療、介護の費用を払えないことを苦に心中事件も起こっているわけであります。
国民年金のみ受給の高齢者は900万人に達しておりまして、生活保護を受けている高齢者世帯は47万世帯にすぎません。生活保護からも排除されているというのが実態ではないでしょうか。
その上、政府は、生活保護の老齢加算を削減する、来年には廃止するということでありまして、生活保護の削減がどんどん進められております。財界団体の日本経団連は、年金の支給額にあわせ保護費自体を削減するよう要求していますが、このような方向は、国民の生存権を根底から脅かすものであります。
一昨日、全国14の政令市で構成する指定都市市長会がありました。都内で開かれたこの総会で、大変重要な提案が採択をされました。それは、生活保護の抜本改革に向けての提案であります。この提案によりますと、生活保護受給世帯に占める高齢者世帯の割合が半数を占めるに至っていると指摘をしまして、経済的な自立が困難な高齢者にとっては最低限度の生活保障が必要だと述べております。その上で、具体的な提案として、生活保護制度の対象から高齢者を除いて、保険料の支払いを必要としない無拠出制で、受給要件を一定年齢の到達とする最低年金制度を創設することを求めております。この声にこそこたえるべきではないでしょうか。
無年金、低額年金者を生み出し、多くの高齢者を要保護に追い込むような今の年金制度を抜本的に改めて、日本の将来のために最低保障年金制度の実施に足を踏み出すべきだ、このことを強調して、発言を終わります。