奮戦記
【13.08.11】「結果の平等」か「機会の平等」か(facebookより)
「結果の平等」ではなく「機会の平等を」などという議論がありますが、まやかしです。
まず、日本社会の現実を見ましょう。一方で多国籍化した巨大資本がその内部に267兆円にものぼる膨大な富を蓄積し、他方で年収200万円以下の人々が1000万人を超え、非正規雇用者が4割り近くに達しています。
つまり、一方における莫大な富の蓄積、他方における貧困化の進行、これが現実です。その富は、労働者、勤労者を搾り上げ、税制・金融など大企業優遇の制度によって積み上げられたものです。
「結果の平等を求めるな」という議論は、この現実から目をそらし、格差と貧富を不問に付す議論です。生活が苦しいのは、本人の「努力不足」が原因だから、その「結果」を受け入れ「我慢せよ」という主張につながります。
また「機会の平等」という議論は、すでに機会が平等に保障されているかのような「幻想」をともなっています。
例えば、就職のさい最初から非正規の道しかない若者、正規で雇用されても労働強化やパワハラで心身がボロボロにされる労働者、窓口で生活保護を閉め出される人々。−−
「機会の平等」を喪失した人々がこれほどいるのに、「機会の平等」を唱える人々のなかで、この悲惨な現実を「変える意思」と「明確な政策」を持ち合わせている人はいないのです。
「結果の平等を求めるな。機会の平等こそ」という主張は、現状肯定の議論です。
格差と貧困という日本社会の現実を直視し、それを変える意思とプログラムを明確にしているのは、政党では日本共産党だけです。
だから投開票日の翌日(7月22日)、「はっきり言えば貧しい人たち、所得の低い人たち、自分はもうはい上がれないんじゃないか、と思う人たち、そういう人たちの魂の叫びを共産党への一票に感じます。苦しんで、苦しんで共産党アレルギーがある人も入れた」(TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」で武田一顯TBS国会担当記者)<2013年7月27日(土) 付「しんぶん赤旗」より>というコメントもありました。
私達は、この「魂の叫び」を正面から受け止め、これからもたたかい続ける決意です。
株を操作するだけで億単位の所得を懐に入れ、税金まで免れる一握りの富裕層がいる反面、年収200万円以下で働かされている労働者が1000万人を超え、貧困化が進行している。
働かない人が左ウチワで暮らし、過労死寸前まで働かされても生活が苦しい人々がいる!
この現実が、問われているのです。