三井物産の落札・これが手口=競合商社を圧力で排除・協力社、形だけ入札参加
ムネオ疑惑のひとつ、国後島のディーゼル発電施設をめぐる不正入札事件で、大手総合商社「三井物産」は、入札情報を事前に入手したうえ、本気で契約をねらう商社にはさまざまな圧力をかけて排除、“談合”に応じる商社は形だけ入札参加させ、落札しました。色丹、択捉両島のディーゼル発電施設でも同じ構図で、三井物産が受注していました。
国後島施設の入札(2000年3月)には、三井物産以外に住友商事(東京)、兼松(同)の商社2社が参加しました。しかし、この両社が提出する入札審査書類を作成し、入札価格の根拠となる見積書まで準備したのは、三井物産でした。三井物産は、両社に予定価格より高い価格で応札させ、自社が予定価格の99.91%で落札できるように仕組みました。
形だけ入札に参加した商社と組んだある電気工事会社は「商社から『名前を貸してくれ』といわれて承諾した。工事経歴書だけは出したが、見積もりも依頼されていない」と告白します。
三井物産から両社への直接的な見返りはなかったものの、関係者は「2社は、別の事業での同様の談合受注を期待していた」と指摘します。
他方、国後島施設で受注意欲を持っていた丸紅(東京)に対して、三井物産は、丸紅の提携先であるエンジニアリング会社「日揮」(横浜市)に圧力を掛け、入札参加を断念させました。三井物産は当時、より事業規模の大きい別のプロジェクトで、日揮との提携を予定していました。このため、同社に「(プロジェクトを)一緒にやりたいなら、今回は降りてくれ」と迫り、参加を見送らせたといいます。
国後島では、伊藤忠商事(東京)も、受注意欲を示していました。が、同社が提携を持ち掛けた業者にたいし、三井物産は、入札から降りるよう働き掛け、伊藤忠は結局、提携先が見つからずに入札参加を断念せざるを得ませんでした。
伊藤忠商事は、当初、国後島に先立って99年2月に入札した色丹島の施設で受注をねらいました。同社は北海道の工事会社などと提携。独自ルートで発注元の国際機関「支援委員会」の設定した最低価格の入手を試みましたが成功せず、最低価格を下回る価格で応札、失格しました。それ以後、三井物産は、伊藤忠、丸紅が談合に非協力的と判断、両社を事前に排除する方向で工作するようになりました。三井物産幹部は「最後まで黙ってついてきたのは、兼松だけだった」と話しています。
逮捕された三井物産営業部長の飯野政秀容疑者は、モスクワ駐在中に知り合った外務省前主任分析官の佐藤優容疑者(42)と「じっこんの仲」。佐藤容疑者と親しい衆院議員鈴木宗男容疑者の力を背景に、三井物産は圧力と談合を通じて独占受注してきたのです。