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日ロ領土交渉・奇怪な二重外交=鈴木氏出席で表の交渉くつがえす

2002年3月21日・「しんぶん赤旗」報道

 「本日は良い協議が行われたか」「本日の専門家協議については、まだ東郷局長より報告を受けていないが…」――日本共産党の志位和夫委員長が19日明らかにした鈴木宗男衆院議員とロシュコフ・ロシア外務次官との会談記録(2001年3月5日)には、鈴木氏のこんな発言が記録されています。

 「本日の専門家協議」とはいったいなんだったのか―。実は、3月5日、鈴木・ロシュコフ会談に先立って、昼間には東京・港区の外務省麻布台別館で日ロ両政府の外務次官級による「専門家協議」がおこなわれていたのです。

<外務審議官は政府方針主張>

 出席者は、日本側が加藤良三外務審議官のほか、東郷和彦欧州局長ら、ロシア側はロシュコフ氏、パノフ駐日大使ら。

 そこでは、3月25日にシベリア・イルクーツクで森首相とプーチン大統領の首脳会談をおこない、領土問題にかんする「イルクーツク宣言」をまとめることで一致。当時の報道によれば、「日本側が歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)両島の返還は(1956年の)日ソ共同宣言で確認されているとの立場から、今後は国後(くなしり)、択捉(えとろふ)両島の扱いを協議したいとあらためて求めたのに対し、ロシア側は反対し、結論は出なかった」といいます(『東京』同年3月6日付)

 日本側代表の加藤審議官は、「四島一括返還」という日本政府の方針に沿った主張をしていたのです。

<両会議参加の東郷欧州局長>

 一方、夜の会合は、昼間の会合の日本側代表・加藤審議官が抜け、代わりに鈴木氏が日本側「代表」の座に座り、昼も同席した外務省の東郷局長を従え、ロシュコフ氏との会談に臨みました。

 昼間の表交渉とはうってかわり、鈴木氏は「二島先行返還」論の立場から、「四島一括返還」論の立場に立った政府首脳発言を非難し、「イルクーツク宣言」で56年宣言の有効性を「明記」せよと求めたのです。

 当時、ロシア側は、56年宣言の歯舞、色丹の引き渡し条項は「2島返還で領土問題を最終決着させる規定だ」との見解を正式に伝えてきていました。この状況下で「56年宣言を明記せよ」というのは、「2島で決着」というロシア側の立場を認めるに等しいものでした。

 福田官房長官は19日、志位氏が示した会談記録にかんして、「鈴木氏が一議員としておこなった非公式の会談」だとのべました。また、川口順子外相は20日の衆院外務委員会で、この会合に東郷氏が出席していたことは認めながら、「政府の公的立場で出席していたとは承知していない」とのべました。

 しかし、ロシア外務次官との会談に、外務省局長が同席していたとすれば、「非公式」どころか、政府間の交渉にならざるをえません。

<「政府代表」とロシアは判断>

 前年(2000年)の12月には、森首相の親書をたずさえ訪ロし、交渉にあたった鈴木氏。当時、河野外相はそれさえ知らされず、不快感を募らせたといいます。福田官房長官は、このときも「一議員の立場で領土交渉を支援しようということ」としました。しかし、これにも東郷局長が同行、「『ロシア側は政府を代表する立場と判断するのが当然』(外務省幹部)との見方が広がっている」(北海道新聞2000年12月27日付)と報道されました。まさに、翌年3月5日の会談につながる二元外交です。そして、3月5日に続く同19日の日ロ「専門家協議」では、加藤審議官が外れ、東郷氏が日本側代表として交渉を仕切ることになったのです。

 昼間の表交渉では「四島」、その後の裏交渉では「二島」。さらに、裏舞台の交渉が正式の交渉そのものを乗っ取ってイルクーツク会談につながる―これはまさに国益を損なう奇々怪々な二重外交としかいいようがありません。

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