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財政(予算・公共事業), その他 (災害支援)

2011年07月27日 第177回 通常国会 財務金融委員会≪参考人質疑≫ 【624】 - 質問

復興構想会議議長に質問 被災者の考え基本に震災復興を

 2011年7月27日、財務金融委員会が開かれ、 東日本大震災復興構想会議の五百旗頭真議長、飯尾潤検討部会部会長を参考人として招致して質疑をおこないました。
 佐々木議員は、五百旗頭議長が復興構想会議の初会合で、「(原発事故は)あまりにも大きな問題だから扱わない」「16年前の(阪神・淡路大震災の)被災がかわいく見える」などと発言し、大きな批判をあびたことへの認識をただしました。
 五百旗頭議長は「議論を経て、しっかり受け止めなければならないとなった」「『かわいく』というのは感心しない表現だった」と述べました。
 さらに、佐々木議員が原発事故が他の事故に比べものにならない「異質の危険」をもっているとただしたのに対し、飯尾部会長は「重大な問題だが、すぐに手をつけられないということで(構想会議では)まとめるにいたらなかった。これからしっかり議論していくべきだ」と述べました。
 被災地復興のあり方について、私佐々木議員は「上からの押しつけではなく、地域の特徴、住民の考えを基本において計画を立てていくべきだ」と指摘しました。
 また、漁業への企業参入を認める「水産特区構想」についても、「漁民の意向を基本に据えなければ、復興の原動力も生まれない」として押しつけをやめるよう強調しました。
 五百旗頭議長は「地場の漁業の復旧を支えると同時に、外からも新しい活力を入れてやることも可能にする必要がある」と述べました。

議事録

○佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。
 五百旗頭参考人、飯尾参考人、大変お忙しい中、御出席をいただきましてありがとうございます。
 最初に、この復興への提言の前文のところでありますが、今回の震災の特徴をとらえた部分があります。「地震と津波との二段階にわたる波状攻撃の前に、この国の形状と景観は大きくゆがんだ。そして続けて第三の崩落がこの国を襲う。言うまでもない、原発事故だ。一瞬の恐怖が去った後に、収束の機をもたぬ恐怖が訪れる。かつてない事態の発生だ。」ここには、地震と津波と原発事故、この三つの要素が紹介をされており、それが極めて深刻な事態を引き起こした、こういう特徴づけをされているわけであります。私も、これはよく簡潔に整理されていると思います。
 そこで、復興会議の一番最初の段階で気になることが二点ありまして、そこをまず最初にきょうは確認したいと思っております。
 一点は、原発事故について、最初からこういう位置づけをされていなかったのではないかという点でございます。それは、東京電力第一原発事故は余りにも大きな問題だから扱わない、こういうことで、会議の冒頭で五百旗頭議長が菅総理の方針として示したという報道があるわけです。そういう考え方というのは、菅総理自身がそういう位置づけで示されたのか、五百旗頭議長自身も実はそう思っていたのか、そのあたりの、一番最初の出だしのところをお聞きしたいと思っております。
○五百旗頭参考人(東日本大震災復興構想会議議長) 御質問ありがとうございます。
 大変よく議事録を読んでいただいているようで、ありがたく存じます。
 おっしゃるとおりでありまして、最初、私どもの委員会の与えられたメンバーを見ますと、原子力専門家はおりません。その理由というのは総理から御説明いただきました。福島原発への対処、まだ現在進行中の被害、継続中であって、それに対して危機管理的対処を東電及び国がやらなきゃいけない、そういう事態なんですね。そこで、長期的な復興プランづくりの任務を与えられた我々が、ああせい、こうせいと言って始まるものではない。そのような委員も与えられていない。
 そういうわけで、原発の現在も続いている災害への対処は我々の任務ではないというふうに総理が御指示くださって、私も、まことにごもっともだ、とても私たちの任に負えるものじゃない、もしそれが我々の任務に入るのならば、原発専門家を三人ぐらい委員に入れてくださらないことにはとても能力がないというふうに感じて、そう了解したので、第一回の会議でそのように委員に伝えたんですね。
 そうしたところ、猛然とリアクションが起こりまして、何を言っているのか、福島原発をほうっておいて何が復興会議かという意見が林立したわけですね。それに対して、違う、今の災害が続いている危機管理が我々の任務じゃないと言っているのであって、福島原発の被害、災害も復興の中に包含するのは当然だと。ある委員は、福島原発の解決なしに復興は終わらないというふうに名言を発せられました。それを、実は一回目の議論を通して、我々は会議の共有の認識としたんですね。
 少なくとも、今、対処に我々は何もできないかもしれない、しかし、心の共同体において福島の悲惨というのをしっかり受けとめて、これを最後まで考える、復興の中で位置づけるということをすべきだというふうに、一回目の会議の激しい議論、梅原猛特別顧問などは、机をたたいて、福島原発のことをほうり出して何かというふうに激しい議論をされるような、大変懐かしく思い出すところでございます。それを経て、我々は、福島原発、今なお災害進行中であるけれども、これをしっかり受けとめなきゃいけない。
 三県の知事が委員のうちにおられます。例えば宮城県の知事は、大変前向きに、てきぱきと構想プランをおっしゃる方なんですね。そういうのである程度議論が進みますと、福島県の知事が御発言になって、いいですね、私どもはまだスタートラインにもつけませんというふうに窮状をおっしゃるんですね。それは私、議長としてお気持ちは本当によくわかる、でも、他のところの復興プランが進むのを、置いてきぼりを食らうというふうにお受けとめになるよりは、自分たちも将来、放射能汚染の問題が終わればこのような復興を享受できるんだ、その保障だと受けとめていただければというふうなことを言ったりもいたしました。
 そういうふうにして、今は復興というとどうしても岩手、宮城の動ける方が中心になりますから、それを早く進めなきゃいけない、だけれども、福島がおくれるだろうけれども、最後までしっかり受けとめたいというのがこの会議の立場でございます。
○佐々木(憲)委員 原発の事故後の、後といいますか、現在まだ進行中でありますけれども、それにどう対応するか、原発そのものをどう考えるか、この点についてはちょっと後でまた触れたいと思います。
 気になるもう一点であります。それは五百旗頭議長の発言の中にあります。
 この初会合のときに、16年前の阪神・淡路大震災の被災がかわいく思えるほどの震災が今回の東日本大震災なんだと。これは、東日本大震災の惨状を強調する余り、そういう表現をしてしまったのかなというふうには思いますけれども、しかし、こういう発言をしたことによりまして大変な抗議が殺到したというのは、御自身で感じておられると思うんです。
 実際に阪神・淡路大震災で被災された方々、亡くなられた方は6434人でありますし、家屋の全半壊47万世帯。家も家族も仕事も、肉親、友人などを失う、そういう中で避難所生活をして、そして仮設住宅で孤独死が多発したわけですね。そういう被災者の気持ちからいうと、この発言は一体何を考えているんだ、こういうことになるわけでありまして、現時点で五百旗頭さんはこの発言についてどのように感じておられるか、考えておられるか。
○五百旗頭参考人 御指摘ありがとうございます。
 おっしゃるとおりでありまして、私自身、阪神・淡路の被災者の一人であり、我が家は全壊。その際に感じたことが二つございました。
 一つは、私の家が全壊した結果、広島大学で教えておりました若き日に親しくなった人が、3日ぐらいたって、やっと電話が通じたと電話を下さって、そして家族を、避難していらっしゃいとは言わないんですね。そう言われたら、いやいや、我が家は傾いているが何とかなりますと私は力んだかもしれないんですが、里帰りなさいよというふうにその奥様に言われたんですね。心の武装解除をされまして、家内と娘二人を、広島のそのお宅にお世話になりました。
 一カ月後に神戸大学の仕事にちょっと暇ができたので行ったら、娘は大変その広島の地域でかわいがられておりまして、翌朝、近所のお姉さんたちが、娘は小学校1年だったんですが、己斐上小学校へ連れていこうというので、階段をみんなで跳びはねるようにして上がっていくんですね。それを見て私は落涙しちゃいまして、日本じゅうが神戸の災害に対してこんなにも温かく支えてくれているんだと。これは今度、東日本のときに我々がしっかりそうしなきゃいけないということが一つ大きな認識の軸です。
 もう一つは、阪神・淡路の場合には中央政府はかなり冷たくて、現在から見ると非常に冷たくて、法体系の整合性から個人の財産等に国の経費を使っちゃいけないとか、それから、復旧までは国の経費でやるが、復興は地元でやりなさい、神戸は全国でも豊かな地なので地力があるだろう、民力でやりなさいというのです。神戸港は、12メートルのコンテナ埠頭、当時、国際競争力が負けそうになって、釜山や高雄に抜かれて落ち目になってきていた。そこで大災害が起こったので、この際、釜山に負けない、15、6メートルの水深に変えたいと地元は願ったんですが、国は、だめだ、それだったら自分でやりなさいと。でも、お金があるわけじゃない。大急ぎでまた12メートルに復旧して、そして10年後に、これじゃ競争にならないというので、15メートルに掘り直すという無駄なことをやったんですね。
 ルールを余り難しく言って、現に水に落ちた子供をすくい上げる、その精神を失っちゃいけないというのが、私にとってもう一つの大きな教訓で、そういう意味で、東日本のときには、復旧にとどまらない、復興をしっかりと支えるべきであるというふうに考えております。
 それから、そのかわいく思えるほどのという表現は、私の余り感心しない表現だというふうに思います。
 神戸の震災のど真ん中におりましたので、その大変さはよくわかっている、御指摘のことはわかって、それを前提にして、しかし、東北の被災地に行って町全体が瓦れきになったところを見ると、神戸のように選択的に、あそこの家、ここの家、日本家屋がつぶれているというのと全然情景が違うんですね。そういう違いを言おうとして、今の悲惨から見ればというふうな対比をしたのは、余りいい表現でなかったというふうにも思います。
 ともあれ、大変な、神戸の場合には、純粋に地震による家屋倒壊で6434名が亡くなったということでありますが、今度の場合には、悲惨な複合災害であって、地震に対しては東北の社会は非常に強靱性を発揮しましたけれども、津波にひどくやられ、そして原発を併発したというので、非常に違った、重い災害であるというふうに理解しております。
○佐々木(憲)委員 次に、原発の災害のとらえ方なんですけれども、一たび重大事故が発生すると、放射性物質が外部に放出されるというような事態になると、なかなかこれを抑える手だてというのは、ほとんどないわけであります。しかも、被害が非常に広い範囲に及ぶ。これはもう既に牛肉の問題にまでそれが派生して、もうこれは全国問題であり、また国際問題にもなってきている。それから、長期にわたる。放射能の被害というものは、短期間では終わらないわけであります。
 そういう意味では、この大変な危険性、地震、津波という自然災害とまた違う、大変異質の、特別の危険性があるというふうに思うわけですけれども、この特徴についてどのようにとらえておられるか、飯尾参考人の方からお願いします。
○飯尾参考人(東日本大震災復興構想会議検討部会部会長) 御質問ありがとうございます。
 今、もう御指摘のとおり、極めて重大な問題が起こっているというふうに考えました。ただ、実は、復興構想会議でもこれに関する御発言は出ましたし、検討部会でも議論はしたのでございます。
 しかし、先ほどちょっと申し上げましたように、実は、短期間の間でこの復興の構想を立てないといけないということで、やはり少し選択的にいたしました。
 ですから、重大なことはわかっておりますけれども、とにかく、すぐに手をつけられる津波の災害の地域、あるいは内陸部でもさまざまな被害が出ておりますけれども、どちらかというとそちらに注力をいたしまして、今の方はそれぞれ思いがございまして、関係者から思いが述べられたけれどもまとめるところには至らなかったというふうに認識しております。重大な問題なので、これから、しっかりした体制でこのことはじっくりと議論されなければいけないというのは、考えたところでございます。
○佐々木(憲)委員 最後に、議長の方に確認をしたいと思うんですけれども、復興を進める場合の基本的な考え方であります。
 我々は、上から何かこう決まった形を押しつけて、これでやりなさい、こういう上から目線のやり方は非常に問題があると思っておりまして、やはりそれぞれの地域の特徴、それぞれの住民の方々の考え、これを基本に置いて復興の計画を組み立てていくというのが一番の基本だと思っております。
 例えば、この地域の特徴としては、先ほども少しお触れになりましたが、高齢化率が非常に進んでいる地域であります。とりわけ、漁業の再建にとって大変だなと思いますのは、漁業従事者の年齢構成が非常に高いわけであります。農業センサスという統計によりますと、被災自治体の漁業就業者のうち60歳以上の占める割合は、岩手県で51・3%、半分以上なんです。宮城県でも46・5%であります。福島県で32・7。こういう状況なんです。
 ですから、もう一度、事業の再建、再開、これは、これだけの高齢の方々にとっては物すごく重い負担になっていくわけであります。したがって、こういう方々を含む、その地域の若い人ももちろん一緒に参加しなければならぬわけですけれども、そういう方々の意向を基本にする、やはりこれは基本だと思うんですね。
 何か特区というような話があって、その特区の中でも株式会社を入れたらいいとか、いろいろな話がありますけれども、漁民の方々は何を考えているのかということ、これをやはり基本にする、私はそれが最も大事なことだというふうに思っております。そうしないと、これは本当の復興の原動力にもなりません。
 そういう意味で、基本的な考え方を最後に確認しておきたいというふうに思います。
○五百旗頭参考人 ありがとうございます。
 私も全く同じように考えております。
 先ほど紹介していただいた復興の五つの基本方針、議長提出資料というものの二番目に、「被災地主体の復興を基本としつつ、国としての全体計画をつくる」「東北の人々のふるさとへの思いは格別に強い。それが復興の原点であり、被災自治体が復興の主体である。そのニーズや意向を受け止めつつ、日本社会が共有すべき安全水準に照らし、全体計画をつくる。」というふうに私の議長指針が語り、それを受けて、復興構想七原則におきましても、原則の二において、「被災地の広域性・多様性を踏まえつつ、地域・コミュニティ主体の復興を基本とする。国は、復興の全体方針と制度設計によってそれを支える。」というふうに書きましたとおりで、今、佐々木議員のおっしゃった趣旨と同じものであるというふうに思っております。
 上から目線のものであってはいけない。ここにはジレンマがありまして、私ども、ここで、6月25日にこの答申を総理に出しました。今、政府において、これを具体化する基本方針、そして財政措置等を検討していただいているわけです。来月から、実はボールは政治に渡されると思うんですね。政治がしっかりと制度設計と資源によって支えられるかどうか。
 と同時に、ボールは現地にも渡されると思うんですね。現地がみずから町づくりのプランをつくってくださらなければ、これは絵にかいたもちになりかねないと思っております。
 そういう意味で、我々が、こういうふうな制度設計が可能ですよ、安全な町をつくるには、五つのパターンを例示しまして、こういう場合、こういう場合、こういう場合がありますと。それぞれについて、例えば集団移転促進法だったら、4分の3は国の経費でというのがこれまでの扱いでありましたが、このたび、東北は4分の1の負担というのも難しいということを口々に現地に通じた人がおっしゃる。それならば、別途、交付金をもって残り部分も支えて、90何%になるかということをするのが必要だろうというふうなことを受けとめて、書いております。
 しかし、すべては、地元の方々がどういうプランをつくられるかということがなければならないわけですね。
 漁業についても、御指摘のとおり、高齢化しており、そして後継者が少ない。そういう中で、細々とと言うと、言い方がまた、表現が適切かどうかわかりませんが、地場の漁業として家族で、例えばワカメの養殖をやってきた、そういう方をしっかりと復旧するということをこの構想は支えるように、しかし、同時に、人口減少の中でそこだけでやっていたら、あの豊かな海の資源をこなし切る人材が足りないかもしれない。そういうことを考えると、外からも新しい活力というのが入っていって、一緒になってやるということも可能にする必要があるんじゃないか。その両方を我々は言っております。
 いずれにせよ、現地が中心になって、しっかりと、単なる復旧ではなくて、新しい時代の先端になれるような復興を遂げてもらいたいものと思っている次第です。
○佐々木(憲)委員 終わります。ありがとうございました。

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